アサクリ問題 論点整理

 トーマス・ロックリー氏が主張・流布しているという「戦国時代の日本で黒人奴隷が流行し、イエズス会がそれに反対していた」という説は、鼻で笑うレベルのトンデモ論(学者がそれを主張しているというのは怖いが)。

 そもそも弥助を連れてきたのがイエズス会であり、弥助が織田信長に気に入られていたことは史料が残っている。

 実は(?)こういったトンデモ論に対して、歴史学者がほったらかしの姿勢を貫いていることは前々から問題視されている。百田尚樹氏が『日本国紀』を出版したときなど話題に挙がった。(以前、こういうのに積極的に噛みついては斬り捨てていく歴史学者がいたが、とある一件で炎上して現在は表舞台から姿を消している。)

 一方で、トーマス・ロックリー批判として、的外れな意見が含まれていることには注意が必要だ。具体的に挙げると、①(弥助を侍として英雄視・過大評価していることに対して)弥助は侍ではなかった、②日本ではそもそも奴隷制がなかった。その根拠に御成敗式目、というものだ。

 正直トーマス・ロックリー氏の主張は向き合うのも馬鹿らしいくらいの与太話なのだが、こっちは正義(正史)面してる分、注意が必要で、歴史学者の関心はこちらに向いている模様。

 例えば、①に関しては、まず(江戸時代と比較して)身分としての侍(武士)の定義が難しいことや、信長の家臣であった事実が批判に対する批判として挙げられる(歴史上の偉人を英雄視・神格化するのが危険な点は承知のうえ)。②に関しても、御成敗式目は全国法ではない(全国法と捉えるのは国民国家の概念に馴染んでいる現代的な視座である)ことや、そもそも御成敗式目に奴隷制を否定する内容はない、御成敗式目からたった半世紀以内にあった元寇では捕虜に対して奴隷のような扱いをしているなどがその内容だ(時代も違う)。

 これに対して「そこは論点の核ではない。それを分かっていないなら首を突っ込むな」という批判に対する批判、…に対する批判がついている。確かに論点の核ではないのかもしれないが、先に述べたように論点の核である「戦国時代の日本で黒人奴隷が流行していた」というのは、歴史学からすればトンデモ論すぎて、言ってしまえば「論外」である。向き合うのも馬鹿らしい(馬鹿らしくても向き合わなくてはいけないが)。
 もしかすると、トーマス・ロックリーを批判している人たちからすれば、自分たちの意見を批判をしてくる歴史学者は、トーマス・ロックリーの擁護者に見えるかもしれない。しかしながら、トーマス・ロックリー氏の主張は「論外」なので、擁護する意図はまったくないだろう。そのうえで、彼に対する批判として挙がっている内容は、たとえ論点の核ではなく枝葉であっても注意が必要なのである。トーマス・ロックリー氏vsトーマス・ロックリー批判の二元論で事態を捉えてしまうのは冷静さを欠いている。トーマス・ロックリーを糾弾できれば、こちらが間違っていてもいいというのはおかしな話である。枝葉なら歴史改ざんをしてもいいとはならない。歴史改ざんを批判する立場であるならなおさら正確性が求められる。

 トーマス・ロックリー氏の主張は論外としたが、それを海外向けに発信しているというのは確かに看過できない(創作物と割り切っている?)。ただ、彼の人格を弾劾・糾弾するのは、歴史学者の仕事ではない。歴史学者にできることは派閥関係なく間違っていることを間違っていると指摘し、誤解を招きそうな極論にエクスキューズを添えることだけ。

 最後になるが、つい最近『詳説日本史』の英語版が出版された。誤解を恐れずに言えば、『詳説日本史』は、こんにちに至るまでの日本史学の成果のすべてが凝縮されている“到達点”であり、言うなれば“正史”、そして“叩き台”である。学問である以上、これを無批判に読むこともできないが、アマチュアもプロもまずここからだろう。

p.s.
 個人的な意見を言えば、トーマス・ロックリー批判の論拠に挙げているのが「弥助は侍ではなかった」「日本では奴隷はなかった」なのだから、ここを否定するのは枝葉でもなんでもないと思いますけどね。ここを有耶無耶にするのは根本から揺らいでしまう気がしますが…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?