死生観について

ちょっと重たい話をしようとしているわけではないんだけど、
最近知ったアーティストで「藤井風」さんという人がいる。
同じ岡山出身で地元が私とほぼ変わらない地元で少し親近感があるってだけでその人の曲をきいた。

「帰ろう」

どんな曲だろうと聞いた。最後まで聞いたとき泣いてた。
人の死をそういう風に考えられる人なんだと、思った。
語彙力ないので、出てくる言葉は「すごい」の一言だった。

何も持たずに帰ろう

という歌詞があるんだけど、後悔ややり残したことを何もかもおいて人生を終えようという意味なんだと思った。
それを聞いて自分の人生ってどんなだろうと考えた

私自身、死をあまり恐れてない。だって早かれ遅かれ決まっているからだ。決められていない先のことこそ怖いものはない。死は必ず誰にでもやってくる。ただ、そのタイミングがどんなものなのかによる。突然なのか、余白を残すのか。それでもやっぱり今元気なうちに後悔しない生き方をしたい。

そう思わせてくれる曲だ。
そしてそのタイミングなのか引き寄せられているのか、この動画がオススメに上がってきた

このマツコの人生論の動画をみて、これだ!と思ったんですよ。

死生観。
生きていくことというのは、誰かの役に立つことだと思う。
仕事でもこうやってネットで自分の感想書き連ねることで誰かの目にとまって、誰かがもしかしたら救われるなら、書いていこうかなと思ったんですよ。「小説家になろう」に書いているのも、誰かの目にとまって、もし同じ立場の人がいたら、こういう考え方があるんだよと、あと自分に言い聞かせているのもあったりするんですけど、たとえ自分の知らないところで救われていたとしてもそれはそれで嬉しいし、自分の存在意義があると思う。
何のために生まれたのか、誰かのために誰かの役に立つためなのかなって。それを模索していくことが人生なのかなって。

で、いろんなことがある。いらだつことだってあるし、消してしまいたいこともある、消えたいこともあるし、もうやめたいと思うこともある。自分のことに干渉しないでほしいと思うこともある。
でも、一度きりの人生だし、どうせいつかは死ぬ。なら、この人に出会えてよかったと言ってもらえる人生にしたい。偽善かもしれないけど、それでもいいんだよ。誰かが幸せだと思ってくれたら、ほかの人が自分の人生を貶してきたって、答えがないんだから、貶す意味がない。

話しそれたけど、死生観ってそういうことなのかなって思って。
そして自分がこの世を去るときに、「ありがとう」といってもらえる人生にしたい。本当、偽善っぽいかもしれないけど、そう思ったんだよね~。
普段よく暴言はいたり、汚い言葉使うくせに、やっぱりやさしくしたい。人に他人に大切なひとに。
そしてその人たちが違う人たちにしていってくれたら、世界は少し優しくなるんじゃないかなって思う。

自分の中にあるものをすべて与えて、人生を終える。
最期の時に「いい人生だった」といえる人生にしたい。

そう強く思った、藤井風さんの「帰ろう」だった。

毎日忙しい日々を過ごしているとそういうことを考える時間がなくて、仕事をして毎日が過ぎていくつまらない毎日じゃなくて、その中でも与えられるものがあるんじゃないかって、思って。時間は無駄じゃないからね。無駄なものは何もない、その時間こそが自分を育てる肥やしになるってフルバで言ってた。(わがバイブル)

遠く離れたタイランド在中の俳優さんから元気をもらっているように、遠く離れたどこかの誰かが、もしかしたら元気をもらえていたら、それだけで嬉しいな。そうなるように、私はつたない自作小説を書いていこうと思う。

来年、少し野望を見つけたので、そのためにお金ためて、
その「誰か」の役に立てるために、今から準備することにしたのです。

何の意味がないかもしれないけど、でもかすかの希望を見つけながら、そうやって生きていくのも、悪くないかなって、思うのです。

なんか、遺書っぽいけど、そうでもいいかな。
私は誰かの役に立って、私といて幸せだと感じてくれて、
ありがとうと言われる人生を送りたいとここで宣言するです!
そして好きなもの、好きなこと、好きなようにつぶやいたり、ここで書き込んだりしていこう。時々「ん?」て思うこともあるけどね笑

あ、藤井風さんの曲はほかにも
「何なんw」「もうええわ」などなどいい曲たくさんあります!
岡山の米津玄師だと思ってますw

私、死にたいわけじゃないので~
まだまだやりたいことあるし、したいこともあるし、ただ、それを後回りしにしないようにしようって思うだけ。後悔しない人生を送って、すべて手放して、さよならしたいなと、思うだけ。
まだまだ元気りんりんに生きていくよー!

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