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一線とは、どこに引かれているのか?

🐙マニピューレーターという生き方

自分はマニピューレータを賢くて抜け目がない存在だと思っていましたが、ジョージサイモンさんの書籍「他人を支配したがる人たち」を読んでいるうちに、そうでもないという感想を持ちました。

自分の母の「死ぬ死ぬ詐欺」や、元妻の両親がやっていた、押し付けがましいくらいの「私達は子供を愛しています」アピールなどが、マニピューレーターと呼ばれるものに近いと知り残念に思っています。

自分は、マニピュレーターを憂国のモリアーティという漫画に出てくる、ウイリアムのようなイメージで考えていたので…

正直な話、この本に出てくるマニピューレーター達は、他人をコントロールするために、あからさまな方法を使っていて本人も大変そうです…

自分には普通の人の方が、もっと巧妙な方法で微妙な人間関係を操作して、目的を達成しているように見えます。

それこそちょっと行き過ぎただけで、マウンティング、善良な人物アピール、人間関係を損得で考えてる、などと批判されたりする中で、うまいこと適応して成功を手にしているように見えます。

大抵の場合、批判や攻撃の原因は、その批判や攻撃の内容とは別のところにあって、それに気づかずに正面から受け止めて取り組んでしまう人が、批判や攻撃の的にされることも見ていて分かりました。

矢面に立たされない人というのは、それこそ巧妙に立ち位置を確保しているものです。そういう意味で、マニピュレーターよりも要領よく周囲の人たちをコントロールしていると言えるのではないでしょうか。

むしろマニピュレーターの攻撃性と目的はあからさまで、しかも長期的な視野を持っていないから、長期的に冷静に観察している人に見抜かれて、異常者というレッテルを貼られた不器用な人に思えてきます。

そういう視点で考えてみると、目的を達成するために人に働きかけて巻き込み、そうしている自覚があって、必要なときに必要な行動を選択することはむしろ普通で、

人間関係を駆使して生きやすい環境を整えることは、自己中心的な悪事ではなく普通のことなんだと思えてきて、気持ちが楽になりました。

心理学系の本を翻訳する人たちが使う言葉は少し大げさ過ぎるのかもしれません…

殆どの人が他人を変えたいという欲求を持っていますし、自己防衛という自分中心の目的だったりします。そして、多くの場合「貴方の為」という論旨を使いますが、それを全てマニピュレーターとは言わないでしょう。

要は程度の差の話であって、生活や日常に問題が発生するから名前をつけて研究しましょうという事なんだと思います。

(実際に生活に困窮していたり、薬を処方されているレベルの人は別として)素人が診断まがいの事をしているのは、ちょっと問題があるように思いました。

💊脳内ホルモン中毒

知らない情報を得るとドーパミンが出るらしい… 何となく読んだWIREDの記事で、自分が本を読む理由が脳内ホルモン中毒なんじゃないかと思いました。

そう考えると、他にも思い当たるフシが…

考えたり気遣いが多い日が続いた週末に、救われないストーリーのドラマや映画を見て涙を流したくなるのは、エンドルフィン中毒、ゲームにハマるのはドーパミン中毒だし、人との駆け引きが楽しいのはドーパミンやアドレナリンなど複数の脳内ホルモンのブレンドが得られるからかもしれません。

新しい視点に気がつくと、今まで見えていたものが別物に見えるから楽しいですね。

矛盾して聞こえるかもしれないけれど、自分は人生の殆どの時間退屈していて、楽しいことを探すことに忙しいです。
同じ系統の物を事細かに調べてはいないけれど、興味を持てる範囲が狭くて、興味が持てないと居眠りをするレベルで退屈を感じる…

そんな特徴と脳内ホルモン中毒という話は辻褄が合うので、今はこの考えを支持しています。


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