Dr.ViktorEmilFranklへの手紙
このNOTEを書いた背景
あるコミュニティでフランクル先生の『夜と霧』という本を知り、
暗くて重い話が大好きな私は読みました。
この本はナチスの強制収容所での体験を綴ったものなのですが、
読んでいるうちにフランクル先生が心理学者である事を知って、
どんな考えをお持ちなのか知りたくなり、
『それでも人生にイエスという』という本を読みました。
この本は、未来への希望を持てなくなり、
自ら人生を終わらせようと思う人に対して、
苦しみばかりの人生を何故生きなくてはいけないのか、
という問いに対して、真剣に考え抜いた思考過程が書かれています。
この本で2つの言葉に感銘を受けて、
もっと理解したいと思い、
3冊目として「フランクル心理学入門」という本を読んだところ、
自分の理解が世の中の解釈とは食い違っていることを知りました。
その時に感じた疑問をフランクル先生に質問したら、
どのような返事をくれるだろうかと想像して、
宛先の無い手紙をNOTEにしてみようと思いました。
生き方の間違いに気付いたこと
私は最近、フランクル先生の著作の翻訳本やネットの記事を読み、以下の名言に影響を受けました。
それまでは毎日が何となく退屈で、
いつか宿命が降ってきて人生が劇的に変わらないかと空想していました。
ですが上記の言葉を知って気づいたのは、
生まれてきて生きているというだけで宿命は訪れていた、
あとは自分が答えるだけ、という事です。
人生には苦しいことや悲しいことばかり起きるけれど、
それは「生き様という形で自分を表現する機会を与えられている」
と理解したのです。
辛いことから逃げて、大した価値も意味も見いだせないまま終えるのか、
辛さに向き合って、自分が満足できる結果を残す為に行動し続けるのか、
という違いでしか無かったと理解したのです。
当たり前ですが、向き不向きやそれまでの経験などから、
行動しても思ったような結果が出ないこともあります。
それを含めて自分らしさだと気づいたのです。
科学技術が発展するほどに、
正解、不正解が明確に表現されるようになって、
不正解の部分は出来損ないで不要な部分と考えるようになっていました。
こういった「出来が悪い=いらない存在」という感覚は、
多くの人が持っていて、自分もその一人なんだと理解したことや、
半世紀以上前に自分と同じ苦痛を感じていた人がいた事を知り、
人類共通の何かで繋がっていると感じることができました。
疑問点
しかし、「自己超越性」が意味するものが、
宗教的な意味での神を表すという事には疑問を感じています。
私は本やインターネットのお陰で、
自分と同じような疑問や悩みを持っている人が、
大勢居ることを知る事が出来ました。
こういった共通点を見つける事で、
自分は孤独ではないと感じることが出来たので、
私は自己超越性という言葉に、
こういった脳の構造からくる共通性のような意味を読み取っていました。
もしフランクル先生が今も生きていたなら、
フランクル心理学は宗教色が強いという意見に
どのように回答したのか、とても知りたいと思っています。
参考図書
V・E・フランクルについて
今回は私の視点で気になった話題のみ書いていますが、
「ロゴセラピー」「逆説志向」「脱内省」などが有名なようです。
「フランクル心理学入門」にも書かれていますが、
日本では「夜と霧」が有名過ぎて一部分しか伝わっていない…
という話の通りに入門しましたw
やっぱりアウトプットしないと理解が浅くなるし、
思考過程が定着しないですね。
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