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なくしもの

久しぶりに、物をなくしてしまった。

物とは腕時計で、留め金の調子が悪いなと
思いながら修理に行くのを先延ばしにしていた。

終電間近で小走りでホームに駆け込み、
時間を見ようと思って気付いた。

雨も降っていて、荷物も多い。
電車もこれを逃すとまずい。
落胆しながら、まもなく到着した電車に乗った。

私は本当に忘れ物、なくし物が多い人間で
今までにあらゆるものをポンポンポンポン。
過失で手放した。

なくしたくないのに、とても気を付けている
つもりなのに気付くとない。
自分に嫌気がさしていた。

小学生時代には、宿題、上履き、縦笛、
メロディオン、プリント、赤白帽子…。
ランドセルを背負い忘れて、しかも上履きで
自宅近くまでボーっと歩いてハッとして
焦って学校に戻ったこともある。

母は、私の忘れ物を学校に届けることが
頻回過ぎて、これは体がもたんと、一念発起。
30歳過ぎてから乗れなかった自転車を猛練習。

私の忘れ物で唯一、人の役に立てたこと。
それは母が自転車に乗れるようになったことだけだ。
結果的に。

小学校を卒業後もなお、私の忘れ物癖はひどくなる一方。

気に入って買ったもの。苦労して手に入れたもの。
大切な人にもらったもの。人のもの。

どうでもいいと思うからなくしてしまうわけではない。
大切だと思っているのになくしてしまう。
手あたり次第なくしてしまう私は欠陥があるなとは
薄々感じていた。

しかし、今更いちいち気にもしていなかった。
そんな自分に慣れていた。
だから、なくしたものを探そうともしなかった。

30歳になる年に結婚することになった。
くっついたり離れたり色々ありながら10年間付き合い、
結婚することになった。

その時、母が手紙をくれた。

そこには、私への想いや思い出が、母の目線で
丁寧に書かれていて、それは便箋4枚にも渡った。

母の手紙はこう締めくくられていた。

「財布、携帯、定期、鞄。
あらゆるものをなくしてきたあなたですが、
大ちゃんとの幸せな家庭は決してなくさないように
大切にしまっておいてください。
お願いします。」

母からこの手紙を貰ってから、なくし物が
確実に減った気がする。
減ったというか、なくしたことを悲しいと
思うようになった。
見つかるかどうかは分からないけれど、
なくしたであろう場所をよくよく思い出して、
探しにいくようになった。

それは私の成長かなと思う。
今年47歳になりましたが。

とりあえず出来ることはしたが、今の時点では、
時計はまだどこにも届いていないそうだ。
もう会えないかもしれないが、
もう少し待ってみようと思う。

そして、お母さん。
娘は、幸せな家庭を17年経った今もなくしていません。
人数も増えました。
時に幸せとは何よ?という問題はあるにせよ。








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