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ベルリンで頭を抱えた話

ベルリンに数週間滞在していたことがあります。昼間は語学学校に行って、その後は美術館やコンサートに行ったり、ウンター・デン・リンデンを散策したりしていました。

基本的に楽しげな日々を送ることができましたが、上手くいかなかったのは住む場所を見つけることでした。最初は語学学校の寮に滞在していましたが、さまざまな事情で別の家を探さなくてはいけなくなりました。しかし外国人の私がすぐに家を見つけることができるわけもなく、結局は安いホテルに滞在することになったのです。

このホテルは本当に安かった。しかし安さには理由がある。
1つ目の理由は夕方の6時にはフロントが誰もいなくなること。
2つ目の理由はシャワーとトイレが共用であること。
3つ目の理由は暖房の効きがあまり良くないこと。

滞在していたのは3月のベルリン。暖房が効かないと下手したら死ぬんじゃないかとも思いましたが、住宅難のベルリンに安い料金で滞在できるのは私にとっては何よりも大事でした。少ない貯蓄をできる限り勉強や芸術鑑賞のために回したかったのです。

さて、そんなベルリンの安いホテル生活。ある日の晩。その日は疲れていたため、「今日はゆっくり過ごそう」と思い部屋で過ごしていると、急にノックの音が聞こえます。
「何だろう」と思いながら部屋を出ると、肌着に短パン姿の中年の男が立っていました。とてもわかりやすい休日のおじさんのような姿。その片方の手には歯ブラシ、もう片方の手には歯磨き粉。

「Kannst du mir helfen?-あんた助けてくれないか?-」と紳士は私に聞く。

訳を尋ねるとどうやらカードキーを部屋に忘れてしまったらしい。ついでにスマートフォンも忘れて、その代わり持っているものは歯ブラシと歯磨き粉。そう、このホテルの部屋にはシャワーとトイレが無い。

「疲れているのに面倒だな」とうっすらと思いつつ、まずは話を聞いてみることにしました。

カードキーを忘れた。ついでに携帯もスマホも忘れた。俺は歯を磨きたかっただけなんだ!片っ端から部屋をノックしているが、出てきたのはあんただけだった。。。etc…

そんなことを興奮しながら話している男は「Scheiße!」と叫びながら頭を抱えます(ちなみに「Scheiße」はドイツのスラングです。「くそ!」みたいなニュアンス。絶対に学生には教えない単語)。

その様子を見ていると「あぁ、人って本当に困ったら頭を抱えるんだな」とのんきに感じ、むしろ私の方は冷静になってきました。

ひとまず解決するためにホテルの入り口に掲げられている「緊急時の連絡先」に電話することにしました。電話をしても誰も出ません。しばらくすると私の電話番号宛にショートメッセージがやってきました。
「ちょっと今手が離せないけど、どうした?」
そんなラフなメッセージ。

返事しようと思って文章を打ち込んでいると、この中年男性の名前を知らないことを思い出し彼に尋ねると、「俺はショルツだ!」と返事がきます。

「私は〇〇号室の釜村です。◻︎◻︎号室のショルツ氏がカードキーを部屋に忘れたそうです。部屋を開けてあげてください」とホテルにメッセージすると、「ショルツ氏は君の友達かい?」と返事が返ってきます。

「いや、友達ではないんだけどな」と思いつつ、仕方ないから「今知り合ったばかりだ」みたいな返事をしました。

「ショルツ氏はどこにいるんだ」

「僕の隣にいますよ」

「ショルツ氏の電話番号を教えてくれ」

「ショルツ氏の電話番号は〇〇です。だけど、さっきも書いたけど彼のスマートフォンは部屋の中です」

そんなやり取りをしつつ、そんなことよりも早く来てくれと心から感じたことは言うまでもありません。
また、我々がいる場所はホテルの入り口ですので、親子連れや老夫婦、若いカップルなどいろいろな人が通ります。ラフな部屋着姿の東洋人と歯ブラシと歯磨き粉を持った中年男性が入り口の片隅で何か話していて、片方の男の方は明らかに冷静さを失っている訳ですから人々は不思議そうな眼差しをこちらに向けてきます。そして何よりも人が出入りする度に差し込んでくる外気が冷たい。

もうしばらくするとホテル側から「ショルツ氏の部屋の前に向かってください。5分後には部屋を開けることができます」とメッセージが来たので、そのことをショルツ氏に伝えるとホッとした様子で「Danke!」と大きな声で言います。

部屋の前に移動するとショルツ氏はやっと安心したのか、「そういえば、あんた名前なんていうんだ」と私のことを聞いてきます。

「どこから来たんだ」「どうして日本から来たんだ」

そんなやり取りをしつつ、シュルツ氏にもいろいろと聞いてみます。どうやら彼はエンジニアで、ベルリンとドレスデン、ライプツィヒを回りながら生活しているらしい。

そうしていると、部屋のドアからカチャッと音が聞こえます。「遠隔で鍵を開けました。入れますか?」とホテルからメッセージが届きました。「Danke! Schönen Abend!-ありがとう!良い夜を!-」と言いながら部屋に入っていくご機嫌なショルツ氏。そして、やっと私の休息の時間がやってきました。

日本を離れてみると普段あまり体験できないようなことが起きたりします。それは楽しかったり、良いポジティブなこともありますが、むしろ頭を抱えることの方がはるかに多いような気がします。ベルリンで家が見つからなかったことは私にとって最も頭を抱えたことでした。ショルツ氏にとってはその晩に頭を抱えたのはカードキーを忘れてしまったことでした。

そのような中で、不自由でありつつも一つ一つ選択することで、特別な体験をすることもできたのではないかと思います。
そんな体験談を少しずつ書いていければいいなと思っています。

それでは、今日はここまで。

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