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一つの演奏とさまざまな思い出と

先日知り合いの方から紹介を受けて演奏会に行ってきました。行ってきたのはアマチュアのオーケストラの演奏会。思えば、アマチュアの演奏会に来たのは久しぶりのことです。
アマチュアとは言っても侮ってはいけない。フランスもので揃ったレパートリーは十分に楽しめるものでした。

ただ、なんとなくアマチュアの演奏会の雰囲気のようなものはあります。
引き合いに出す話として適当なのかどうかわかりませんが、かつてライプツィヒに住んでいた頃に、これまた友達に誘われて、ライプツィヒ大学のオーケストラを聴きに行ったことがあります。ライプツィヒ音楽大学ではなくてライプツィヒ大学のオーケストラですので、そのメンバーは人文科学系や自然科学系の学問など、様々な専攻の学生で構成されています(ちなみにホームページによると医学生が多いそうです)。大学オーケストラとはいえその演奏は満足できるもので、しかも会場はゲヴァントハウスでした。だけど、やはり演奏会の雰囲気は普段のプロオケのものとは異なるような感じがしました。

さて、先日行ったアマチュアオーケストラの演奏会。配布されたプログラムの裏には「演奏会の楽しみ方」が書かれている。開演前にホール内で会場の雰囲気を感じていると、ふと思うことがありました。
もしかしたらこの雰囲気の違いは、きっとこの会場に楽団員の家族や友達が多いからかもしれない。そう感じるとさまざまな想像が膨らんできます。
この舞台に上がる楽団員のおおよそ大半は普段は別の仕事をしているのだろう。企業の会社員や公務員、医者だっているかもしれない。翌日は朝から出勤して、また再び平穏な日常が繰り返される。そんな人たちが1年近く準備していよいよ迎えた演奏会。その人たちにとってこの日は明らかに非日常的な1日だ。
そして彼らには家庭もあって、家の中で、ーもしかしたら時々家族に小言を言われながらもー、練習をしてきたのかもしれない。そんな姿を知っている家族にとってもこの日は特別なもの。
それぞれの楽団員と、それぞれのその家族や友達との間には共通されるストーリー、記憶がある。それらの個別的な、慎ましやかなストーリーに伴って、彼らの感動はきっとこの会場で見事に調和し、記憶となってさらに個別的で慎ましやかなストーリーを形成する。

似たようなことをかつてピアノ教室で講師をしていた時に感じました。発表会で教室の生徒たちはそれぞれがそれまでに練習した成果を披露します。ある生徒にとってはその演奏曲は楽しい思い出と共にありつつも、また別の生徒にとってはその演奏曲はつらい練習の思い出と共にあるかもしれない。彼らは彼らそれぞれの感情によって、その演奏会を過ごします。
そして、その生徒の練習の様子を見てきた家族にとってもその曲、またはその演奏会そのものがさまざまな思いと共にあります。
そんなさまざまな感情は一つの演奏会の中で混じり合って、何物にも変えられない唯一の思い出となり、その演奏や音楽はそれぞれの思い出と共に記憶されていく。

そう思うと、音楽そのものに対して求められるものは、その技量の高さや表現力の卓越さだけではないように思えます。
一つの演奏、その中ではさまざまな人々の感情やその人々を取り囲む背景が交差、共鳴し、それ自体で一つのアンサンブルになりえます。そのアンサンブルはきっと会場に行かないと感じることのできないものだと思います。そして、その独特なアンサンブルを作り出すことも、音楽そのものの魅力だろう。

そんなことを感じていると演奏会は開演しました。やはりアマチュアの演奏だけど、その独特な雰囲気に温かい充実感のようなものを受けました。
それでは、今日はこの辺で。

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