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寸法について

作業に集中するためホテルに一泊していた。なんというか地方のホテルは寂しくなる。誰かに電話でもかけたくなる。しかし迷惑になってはいけないと思い自制する。夜は長い。四方八方に思案が浮かんでは消える、溶ける。何か見つけた!と思えば、もう終わりだ、となったり忙しい。ただ大抵はいい方向に考えが向く。一種のマインドフルネスなんだろう、集中を阻害するものがない環境。これはこれでリフレッシュできる。

環境を変えることを考えた。それは仕事や住む場所や時間の使い方や使っているものや相対している人についてだ。かねてから人は環境要因に左右されると思っている。全てを一辺に一掃という訳にもいかないが(世の中にはリセット癖のある人も多分に存在するという)一つずつお気に入りに更新していくというのはできると思う、そして健康的だ。健康的な消費をすること(fou fouのマールコウサカさんが提唱してた)は大事だ。それは健康的な時間を過ごす(これもある意味消費か)ことだって一緒だと思う。

子供の頃とは違って環境は選べる。自分の身の回りを考えて見る。お気に入りがそろっているだろうか。ちょっとドキっとした。選べるのに案外選べていないのだ、いやほとんど選べていないのだ。これは画一化、一般化社会の弊害だ。一般的にこれがベターというものにやはり引っ張られるのだ。それ自体は確かにベターであることも多いのだけれど。そして何でも一律だと意思決定がとても楽だ。その分進みも早くなる。でもどうだろうか。その幸福の寸法は自分の身体に合っているかと思う。合わない良いものって身につけてどうだろう。服とかも自分に似合うものを着ている人がお洒落に感じる。それと一緒だ。ただその都度寸法をはかって微調整してのは面倒だ。だから一律の楽さに頼る。ベターかもしれないけど、自分は幸福の寸法を図っていきたいと思う。面倒で時間も労力もかかる。でも実はその行為自体が幸福な事だと感じる。

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