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途中経過

年が明け、お店を閉めてからもうあっという間に1年が経ってしまいました。
コロナ禍というタイミングと普通の会社員とその生活スタイルに戻り(といってもリモートワークなので、今まで通りでもない)、今の時点で自分がこれに打ち込みたいなと思うことが特に無く、何となく日々を過ごしています。

今の状況が落ち着いて数年前の状態が戻るのは、ワクチン接種が効果を発揮したとしても、早くて年末くらいなんでしょうね。ワクチンが変異種に効かなかった、効力が低い場合には、まだこの状況は続くのでしょうね。

こういう情勢の中では今後何をするのが自分にとっては良いのだろうか、何と無くわかっているのは待っていても何も変わらないので、何か自分で見つけて行くしかないのは間違いないということです。ただ、焦ったから良いことではないし、感覚(直感)を研ぎ澄ませていきたいなと思います。これは持論、ですが、大概悩んで考えて選択したものよりも、直感的にこれが良いと最初に思ったものが、結果良かったことの方が多いんです。そして、それは唐突に目の前に現れる。だからその時にいいフットワークが出せるように、日々アンテナ張って、1日1日を楽しんで行きたいと思います。

ではどうやって感覚はどう研ぎ澄ませるか?

それはピンと来たものを試して、これは自分に合う/合わない、なぜこれは自分に合うのか/合わないのか?を延々と積み重ねてやっていくしかないというのが実感です。なぜ自分はそれに合うのか?合わないのか?合わせられないのか?を考えていく中で、自分が形成されていく感じがします。

合うものは合うし、合わないものは合わない。

全てのモノ/コト/ヒトが自分に合うわけないです。ただ、合わないものを否定する/憎むことは意味がないと思います。合わないのは自分のせいとも言えるし、自分が合わないものを好む人がいたっておかしなことではない。そういうものがあるからこそ、そうじゃないところを探しに行けるのかも知れないし、自分の好みの良さが感じられるのかも知れない。そして、「合う」というのは本当に有り難く、奇跡みたいなものだから、自分に合うモノ/コト/人(店?)を見つけることが出来たら大切に向き合う、その時間を楽しんでみるのが良いと思うのです。

ちょっと話は変わりますが、お店を作る、開くという経験をしたことで、「お金」に対する見方が変わりました。「お金」ってただ消費して使うものではなくて、その受けるサービス(モノだけでは無く、その空間、与えてくれる心地よさ)に対する「お礼」「応援」なんだなと思うようになりました。何度もお店に来てくれた方から受け取ったお金をそう感じていた、ということなんだと思います。

そう思ってから、安いアッチで買うとかいう発想が殆どなくなって、こういうお店があることが自分にとっては有難い(またここに来て同じ清々しい気持ちになりたい、続いて欲しい、近所にあると助かる)ところにお金を使いたいと思うようになりました。

金銭的な損得(漠然と安い方がいい、ポイントが貯まる)ではなくて、このお店やサービスに感じさせてもらった「美しさ」に対する敬意とか御礼がまず第一に来て、その次に利便性というところでお金を使う感じですかね。

お店をやったことで、小さな規模でお店をやる側の立場としてこういうことが大変/困るというのは十分に感じたが故に、お店に入って席に座った時に「ああ、これはすごい」という今まで見えなかった面が感じられるようになったんでしょうね(お店やっている人あるあるかも知れません)。感覚的にお店の外観見ると、(自分にとって)この店は合う/合わないがかなり高い確率でわかるようになったかも知れません。只今の情勢だと、こういう体験がしづらいのがちょっと悩ましいところですが。

と今日はこんなところで。

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