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グラレコへの道《特別篇》| 共同グラレコ宣言 Harmonic Graphic recording Manifesto

今回は、「グラフィックレコーディング的なモノ」の「未来」を考えてみようと思います。

第一宣言:一人でグラレコして、発表する事が終わる予感

無限キャンパスに、複数人で共同で描き込める、
オンライン手描きコラボ機能が、当たり前になると、どうなるのだろうか?

【新時代グラレコ の 作業参考イメージ ① ↑ 】

結果的に、
「一人でグラフィックをレコーディングして発表する事」が少なくなり、「なんらかの情報」を、共有のホワイトボードに、チームで同時に書き込んでいく、「新しいエンタメ(見世物)」が生まれる事になるだろう。

これは、
ライブでグラフィックをレコードするクリエイターの「分業」を促進させ、なおかつ「チームプレイ」をも可能にする。

これは、
「グラフィックをレコーディングする事」が、オリンピックの個人競技というよりも「アーティスティック・スイミング」のような『美しい団体競技』のようなものになっていく事を意味する。

Synchronised swimming or artistic swimming is
a hybrid form of swimming, dance, and gymnastics, consisting of swimmers performing a synchronised routine (either solo, duet, trio, mixed duet, free team, free combination, and highlight) of elaborate moves in the water, accompanied by music.
アーティスティック・スイミング(artistic swimming):
プール内で音楽に合わせて肉体を動かし、技の完成度、同調性、構成、芸術的な表現力などの得点で競う水泳競技の一種。2017年まではシンクロナイズドスイミング(英: synchronized swimming)と呼ばれていた。

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第二宣言:未来の「共同グラレコ作業」(Harmonic Graphic recording)の利点

「分業が可能になる」という事は、「一人ぼっちの個人作業では限界のあった部分」に、「集合知」と「スピード」が加わる事を意味する。

チームメンバーは、サッカーのような人数(スターティングメンバー:11人)の場合もあれば、テニスのダブルス(1チーム:2名)のような場合もあるだろう。

個人の技に加えて、チーム全体としての連携プレー、フォーメーションの技術なども加わり、「より見どころのあるエンタメ」になっていくはずだ。

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「共同グラレコ」は、音楽的に考えれば、美しいハーモニーを奏でる「交響楽団」(symphonic / philharmonic orchestra)の中で、チームメンバーとして全体に貢献し、時には、曲のソロパートを任され「見せ場を担う」ような「演奏者たちの集まりによる、共同作業」と表現できるし、

それは、観客全員も「リアクションお絵描き」で画面に参加しながら「場の雰囲気」を彩っていく、ライブハウスやコンサートのような物になるのかもしれない。


大切な事は、
一人で演奏するよりも、みんなで演奏すると、
「より楽しいし、奥行きが出せる」という事だ。


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第三宣言:未来の「共同グラレコ作品」のイメージ

「共同グラレコ作品」を、ビジュアル的なコンテンツとして考えた場合、

全体の絵柄や雰囲気を揃えやすくするために、記号的なシンプル画にチームメンバーの足並みをそろえて、ブランド的に洗練された物を量産しやすくする方向性がまず考えられる。これは安定した品質のものをチームで作り続ける事を可能にするだろう。

一方で、色々な画風が混ざりあう、ケイオティック(chaotic)で、何でもありのパラダイスのような共同作品も悪くないのかもしれない。ごちゃまぜになってしまい、品質に当たりはずれは生まれてしまうが、時として、ハッとするような化学反応を生み出せるかもしれない。

統一感のない、カラフルな、共同絵画を楽しむ方向でもいいし、伝わりやすく、洗練された完成度を追求してもいい。


大切な事は、
一人でお絵描きするよりも、みんなでお絵描きすると、
「より楽しいし、新しい発見がある」という事だ。


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第四宣言:「共同グラレコ映像」を、見やすくするという役割

チームメンバーの「全体としてのエネルギー」を「人数の足し算」以上に高めるために、スポーツで言えば「監督」、音楽で言えば「指揮者」のような「存在、ポジション」が、シナジーエフェクト(synergy effect)を生むために必要になってくるだろう。

この役割に現時点で最も近い職業としては、

生放送や、舞台芸術などの現場で、自身の演出意図に沿って、
ライブ映像画面の切り替え作業を行うスイッチャーに、指示を出す
「演出家」

が考えられる。

あるいは、クラブDJや、VJ的なセンスが問われてくるかもしれない。

クラブDJ:
ナイトクラブ、ディスコなどの会場で、最低2台またはそれ以上の再生機器と、ミキシング・コンソールを使い、片方の再生機器で曲を再生している間に、もう片方で次の曲の再生準備し、BPMや音量の調整を行い、タイミングを見計らいながら音を「違和感なくクロスさせるミックス操作で曲の流れをとめることなく次の曲へと繋いでいったり、サウンドエフェクトを駆使した音楽を創り出す技術者」のこと。
ビデオ/ビジュアル ジョッキー(video/visual jockey)
映像を素材としてディスクジョッキー(DJ)と同様の行為を行う者。

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この人物は、
分業で、同時進行的にライブで描かれていく「グラフィックレコード的なモノ」を、俯瞰して眺めながら、「全体として、整ったものに、微調整していく」指揮者のような存在だ。

この人物は、
「いかに、全体としてのストーリーを組み立てれるか」と「同時描画が進行しているライブ画面」の注目ポイントを、「美しいメロディを奏でるように、スムーズにスイッチングして繋いでいく能力」が問われることになる。

この人物は、
個々に美しい演奏を行うチームメンバーから信頼されていなければならない。この人物の指揮が「全体としてのパフォーマンスの成果」、「整った、聞き心地の良い調和のとれた演奏」には必須だからだ。


ただ、
この指揮者だけに、価値が置かれるわけではない。チームみんなが
全体の一部を担い、貢献し、責任感のある共同作業を行う事になる。

ただ、
「共同グラレコ」のライブお絵描きで、失敗しても構わない。終了後チームメンバーで、改善点をお互いにNegotiationすればいいだけの事だ。


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第五宣言:「共同グラレコ」は「映像スイッチャー」がいなくても成り立つ

さらにいうと、実は、指揮者がいなくてもいいのかもしれない。ライブ情報の「共同グラレコ」を担うグラフィッカー全員が「自立しながらも、乱立する」という見世物(エンタメ)も考えられる。

分業で、同時進行的に、ライブで描かれていく「グラフィックレコード的なモノ」を視聴する際には、

①劇団のライブ公演で、お気に入りの俳優の芝居だけに注目するような・・
②サーカスにおいて、メインのピエロではなく、すみっこで「ささやかに、場に貢献している」一輪車乗りを眺めているような・・

そのような楽しみ方も可能かもしれない。

【新時代グラレコ の 作業参考イメージ ② ↑ 】

各オーディエンスが個別に操作できる「閲覧カメラ視点の切り替え、選択機能」が実装されれば、それぞれの視聴者は、指揮者の生み出す「品質の安定した映像の流れ」を眺めていてもいいし、自分でカメラ視点を操作して好みのマニアックな部分にだけ注目し、自分の操作でその場と一体になる視聴参加体験を味わってもいい。

現在のコメント機能の「お絵描きバージョン」として、パーキングロット的な空間に「文字に加えて落書きで参加する状況」が増えてくれば、その部分だけを楽しむ視聴者も出てくるかもしれない。もちろん「マナーを乱す変な奴」による「荒らし(Trolling、Vandalism)」対策も考えていかなければならない。ご存じの通り、視覚的「象徴言語」表現は、文字データよりも、
インパクトが強いからだ。

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共同グラレコ宣言 Harmonic Graphic recording Manifesto 終章:焦げる深海魚

この「共同グラレコ宣言 Harmonic Graphic recording Manifesto」は、
深海魚の戯言として消ゆるかもしれない。しかし、その象徴とする深海魚の光のごとく、神秘の海に散りたる後も、なお、その輝きと香気をもって
「すべてのグラフィックレコーダー」を祝福するであろう。

テクノロジーとネットワークを使った、「場所」と「人数」に縛られない、
『 共同 LIVE ペインティング 』

Harmonic Graphic recording

さぁ! とにかく「お絵描き」を始めよう !!

今までの人類の歴史になかった
「新しい芸術体験」の「開幕」だ !!!


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