EPIC好きはエピッカー(2022年読後所感 その1 EPICソニーとその時代・スージー鈴木 著)

1983年明けの高校生2年の冬、地元のラジオ局STVラジオ(札幌)の人気番組「サンデー・ジャンボ・スペシャル」(当時毎週日曜午後生放送  同局ホールを一般公開していた)をいつものように聴いていたら、来春関西の大学を卒業後にデビューが決まっているSDオーディショングランプリの大江千里さんがこれから定期的に来道してホールで弾き語りをしますと紹介された。
男性がピアノ弾き語りとは珍しいなと思いながら耳を傾けていたら、少しクセのある声なのに嫌味がなく逆に歌詞もメロディも素敵ー!と一瞬で惹き込まれた。これが私とEPICソニーとの出会いになった。

この年は春から高3受験生。本来であれば自分にとっての誘惑は一切断つ位の覚悟で人生の岐路を歩むために勉強時間を確保しなければならない時期だったのが、これを機に「寝ても覚めても大江千里大好き」モードに突入してしまったため、超がつく程厳格な我が家の両親を恐らく相当悩ませた。
志望校を「関西学院大学にしたい!」と懇願したら「あまりにも突拍子もなく言い過ぎ。縁もゆかりもない関西の私立四年制大学に女の子を通わせることはできない」とあっさり却下。
千里さんがホールに登場する日には休日始発のバスに乗り朝7:30頃現地到着。ホール入場開始時間まで約5時間並びながら、千里さん目当てでやってきたと思しき前後に並んでいた方と友達になったりした。ある時は千里さんに興味がないけれど別のゲストアーティストがみたいという友人を誘って出かけたり。

余談になるが、ある回のメインゲストはワインレッドの心がジワジワヒットし始めて注目されていた地元北海道出身の安全地帯だった。
以降安全地帯・玉置浩二のライブチケットはご存知の通り発売日即ソールドアウト続きでなかなかにハードルが高くなってしまったため、このエピソードは自分語りと言われようが間違いなく貴重な思い出のひとつになった。

大江千里をきっかけにEPICレコードにすっかり思い入れが強くなっていった。目が美しくクリクリとしていて声に力強さがある同い年の渡辺美里を知り、ウツがワイルドヘア・小室さんが金髪ドレッドヘア(木根さんはこの頃はまだジャケ写にも出てこない裏の存在)のTMネットワークが1974(16光年の訪問者)を引っさげ札幌のテレビ・ラジオ局にプロモーションに来て以降札幌地区から同曲がスマッシュヒットとなって自分事のように嬉しかったり。
(ちなみに自分の受験は志望校も他校も不合格。浪人中も予備校に通うよりもEPICのビデオコンサート会場をハシゴしている方が多かった影響もあるかもしれないが翌春も志望校他全て不合格となり、地元某短大の最終入試日程しかほぼ残っておらずそこに合格。自分の力量・努力不足に打ちのめされつつ若干不本意な思いを引き摺り学生生活を送ることになった)

短大にはBARBEE BOYSのことを熱く語る友人もいた。また同じくBARBEE ファンの人がいた。その人は前述の友人の友人でさほど親しくはなかったが通学列車が同じ方向だったのでその話だけは楽しく聞いていた。
当時は大江千里、渡辺美里・TMネットワークと同時にLOOKの4人にも魅了されつつあった。EPICソニーのビデオコンサートの情報をチェックし、上映場所の市内のレコードショップをハシゴもした。

ちょうど浪人期〜短大時代に、Air-g(札幌)で「夕方(You gotta)ダウンビート」(月〜金曜 17:00〜)という、市内中心部の電器店ビル上階に設けた同局サテライトから生公開音楽番組が放送されていて、授業が終わったらほぼ毎日のように通いつめた。目玉は、毎回ではないにしてもプロモーションで来札したアーティストが生ゲストに登場、より近い距離でお目当てのアーティストに会えるところだった。
ここで「TMネットワークの二人と渡辺美里さんが同時にゲストイン」の回があったのは今でも忘れられない。いつものようにスタジオに行ったら周囲はいつもと明らかに客層が違って圧倒的に女子高生が多かった。

スタジオ前に置かれたパイプ椅子も隙間がほぼなく埋めつくられていた。私は座ることが出来なかった。いつもならスタジオの正面2列目位の真ん中あたりで余裕で座わって放送の模様を見ている私も、この日ばかりはスタジオを取り囲んだ後の左側で立って見ていた。例えアーティストでもそのスタジオ入りできるエレベーターはビル内に1箇所しかないため彼らが到着した時点でもキャーと一際大きく黄色い声が飛び交って。自分もその日初めて生でTMネットワークのお二人をみた。とにかくウツがカッコイイ!小室さんがオシャレでとっても知的な印象だった。(美里さんはこの日のプロモ以前に札幌でのデビューライブで、かなり至近距離で会場出入りを見たことがあった)

私の思い出語りはこの辺で切り上げるとして。

著者のスージー鈴木さんが佐野元春・岡村靖幸・大沢誉志幸に惹かれ彼らとEPICがチームで作り上げた音楽と一緒にたくさんの思い出が蓄積されていったように、青春期にEPICソニー所属のアーティストに次々と魅了されていった音楽ファンは多いだろう。スージーさんはご自身の担当するbayfm「9の音粋」(毎週月曜 21:00~  DJとしては放送作家ミラッキ大村さんとのコンビ)でも「EPIC好きの人はエピッカーですからねえ」と明言。
そう、ご多分にもれず私もしっかりとエピッカーだったのだ。約30年の時を経て青春時代の音楽遍歴の答え合わせができたのがこの本である。

当時の音楽業界にあって「レコード大賞は目指さない」音楽を発信していく宣言をし、丸山茂雄氏がCBSソニーから袂を分かち、立ち上がったEPICソニー。
次々とかつて誰もがやったことの無い企画を立案し戦略を練りアーティストを売り出していく。これはかなり斬新なことでもあった。
EPICソニーが誕生する以前の1970年後半頃から、既存の歌謡曲とは一線を画し、作詞・作曲家と歌い手がそれぞれ分業となっていたのを、基本的には個人あるいはバンドで作詞作曲をし自分達で歌い演奏するシンガーソングライターが登場し始めフォークソング・ニューミュージックと称したジャンルの音楽が誕生・地位を確立していったのはご承知の通りである。
音楽が「大衆一般に向けて広く多くの人の心をとらえ聞かれる」流行歌(演歌・歌謡曲)だけではなく、「個人が個人の気持ちを詞で語り自身が歌で表現する」歌もあっていいというばかりに、これらの曲は若者を中心に指示を受け、多くのアーティスト・バンドが誕生してはチャートを席巻していった。
賞レースを争うことだけが音楽ではない。
大勢に安易に迎合しないポリシーがEPICの真骨頂だったのをこの本から改めて感じた。

この本では当時のEPICソニーの看板・屋台骨となったアーティストの楽曲を中心に、ヒットの仕掛けにどのような工夫がなされていったか細かな部分まで分析されていて、読んでいて何度も肯首し、どんどんと引き込まれて行った。
30年経ち今では日本語をリズムに乗せることに何の苦労もせずに表現できるアーティストも増えた。自分の世代が青春時代に聞いてきたアーティストのビートやリズムコード進行は、それらの曲を浴びるように聞いている子や孫の世代になってまた化学変化を起こし新たな変化を遂げて新たなアーティスト達が出て来たのだなと思う。

代表的なのは、この本でも取り上げられていたように「大江千里と星野源の共通性」。
二人共に類稀なる音楽表現の旗手、セルフプロデュースのセンス・独自の世界観を言語化する能力の高さ(歌詞だけではなくエッセイやコラム等も)、俳優としての演技力、そしてなんと言っても他に似ている人がいない湿度ある声質(テレビバラエティのモノマネ芸などで大江千里は結構誇張されモノマネされているのに対し星野源はまだあまり見た事はないが)

そんな飛ぶ鳥を落とす勢いで一時代を築いたEPICソニーも、レコードがCDに置き換わり、他のレコード会社・レーベルの台頭、更にはネットの時代となり拙速にCCCD(悪名高い!に大いに納得)を出したあたりから崩壊していって結局はCBSソニーに吸収され終わりを告げた。始まりがあるものはいつかは終わる。それも歴史の定め。

この本では、佐野元春インタビューと伝説のプロデューサー小坂洋二氏のインタビューは読み応えがあった。
新しいことをやり続けるにはいつだってロックの精神を忘れちゃいけないと元春(あえて名前で)がインタビューで答えていたように、自分自身も何歳だって好きな音楽にはまっすぐでいたいし「新しい音楽(文化)にはついていけないわー」と思考停止せずにいたいと、改めて勇気をもらった一冊となった。

P.S
LOOK(シャイニオン・君が哀しい)の項は鈴木トオルのハイトーンボイスと千沢仁(ちざわ・まさし)のビリー・ジョエルに影響を受けた美しく力強いピアノメロディに触れていましたが、LOOKのファンとしては、山本はるきちが奏でる巧みなキーボードのメロディとチープ広石の泣きのサックスもあってこそのこの曲ということで蛇足ながら。
ちなみにLOOKのバンド名の由来は有名な4種類の味が一度に味わえるチョコレートからです。4人の個性強いメンバーがひとつの曲を美しく奏で歌いヒット曲に。


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