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アラン・トゥーサン

地元ニューオーリンズを中心に、ソウル・ミュージックの作曲家・ピアニスト・プロデューサーとしてマルチに活躍した、アラン・トゥーサン(Allen Toussaint)
彼もまた、プロフェッサー・ロングヘアから大きな影響を受けた一人です。

若くして才能を発揮したアラン・トゥーサンは、17歳で早くも大物ブルーズ・ミュージシャンのバックバンドにピアニストとして参加し、そして、ニューオーリンズのレコード会社にプロデューサーとして雇われたのは、なんとまだ22歳(1960年)の時でした!

1960年代前半には、様々な歌手と組んで、ヒット曲を連発します。
個人的に大好きなのが、ベニー・スペルマン(Benny Spellman)という歌手が歌う、この「Lipstick Traces」!

また、以前にこちらの記事で、

カバー・バージョンをご紹介した、「Mother in Law」もこの時期のアラン・トゥーサンの作品です。

そして、なんといっても特に有名なのは、やはりアーマ・トーマス(Irma Thomas)とのコンビでしょう!

1963年から2年間は、軍役に召集されアメリカ陸軍に属しましたが、なんと、この間にも軍楽隊とともに新曲を録音しています。

除隊後も、アラン・トゥーサンの勢いは止まりません!
リー・ドーシー(Lee Dorsey)という歌手と組んで、どんどんヒットをとばしていきます。

その後も、ニューオーリンズの腕利きミュージシャンからなるファンク・バンド、ミーターズ(The Meters)をプロデュースしたり、自身のソロアルバムも作ったり、ニューオーリンズ以外のミュージシャンのプロデュースも手掛けたりと活躍していきます。

ただ、1980年代以降は、音楽活動は続けてはいたものの、影はうすくなっていた印象です。

そんなアラン・トゥーサンに転機が訪れたのは、皮肉にも地元ニューオーリンズに大きな被害をもたらしたハリケーン・カトリーナ(2005年)でした。
街の多くが洪水によって水浸しとなり、多くの人が被害を受け、アラン・トゥーサンも自宅、そしてスタジオを失います。
ただ、このハリケーンによる被害を機に、ニューオーリンズの音楽にも大きな注目が集まるようになったのです。

この年(2005年)、ニューオーリンズのミュージシャン達によるベネフィット・アルバムが作られ、アラン・トゥーサンも参加しています。
そして、アラン・トゥーサンも思い入れの強い、ニューオーリンズを代表するミュージシャン、プロフェッサー・ロングヘアの名曲をカバーしているんです!!

プロフェッサー・ロングヘアの原曲はリズミカルですが、アラン・トゥーサンはこの曲の持つ美しいメロディを際立たせるように、アラン・トゥーサンらしくエレガントに演奏していますね!

しばらくニューヨークへ拠点を移した彼は、ニューヨークのクラブで定期的なライブ活動を始め、コンサート・ミュージシャンとしての実力をつけていきます。

こちらの映像が、彼が定期的に出演していたクラブでの演奏です。

数々のソウル・ミュージックのヒット曲を作った、本人による極上の演奏です!!
このクラブでの演奏は、「Songbook」というアルバムにまとめられているのですが、残念ながらストリーミングにはありませんでした。

そして、プレイヤーとしてのアラン・トゥーサンの魅力が存分に味わえる、おススメのアルバムが、「American Tunes(2016年)」です!

このアルバムでは、自作曲以外にも、デューク・エリントンやファッツ・ウォーラーなど色んな作曲家の曲を演奏しているのですが、やはりプロフェッサー・ロングヘアの曲も演奏しています!

また、デューク・エリントン楽団の作曲家で、「Take the A train」の作者として知られるビリー・ストレイホーンのこんな綺麗な曲も演奏しています。

なんと、ビル・エヴァンスの「Waltz For Debby」も!

音のくずし方など、すごくニューオーリンズな演奏ですね~

そして、自身の代表曲「Southern Nights」も再演しています。

この曲は、アラン・トゥーサンのライブでもアンコールの後、最後に演奏する定番曲でした。
この時期、数年おきくらいで日本へもコンサートに来られていて、僕も来日公演に行くことができたのですが、この「Southern Nights」の演奏は本当に最高でした…

このアルバム「American Tunes」は、2015年10月に録音が完了していたのですが、2015年11月(77歳)、スペインのマドリードでの公演後、本当に急ですが、滞在先のホテルで心臓発作のため亡くなってしまわれました。
まだまだ活躍されるだろうと思っていたので、あまりに急で驚いたのを覚えています…

アルバム「American Tunes」の最後の曲は、(この曲だけアラン・トゥーサンのヴォーカル入りですが)ポール・サイモンの「American Tune」という曲です。

And I dreamed I was dying
(自分が死にゆく夢を見た)
And I dreamed that my soul rose unexpectedly
(予想していなかったが、私の魂は高く舞い上がり)
And looking back down at me
(私自身を見下ろし)
Smiled reassuringly
(安心させるように微笑んだ)
And I dreamed I was flying
(空を飛ぶ夢を見た)
And high above my eyes could clearly see
(空高く、私ははっきりと見た)
The Statue of Liberty
(自由の女神が)
Sailing away to sea
(海へ向かっているのを)
And I dreamed I was flying
(空を飛ぶ夢を見た)

年齢を考えると、遠くない内にという気持ちがあったのでしょうか…

アラン・トゥーサンの死で、哀しみに包まれる地元、ニューオーリンズ。
ニューオーリンズの人々は、ニューオーリンズの流儀でアラン・トゥーサンを見送ります。
その流儀とは、セカンド・ライン。

ニューオーリンズの典型的なジャズ・フューネラルでは、重々しい葬送歌や賛美歌を演奏するブラス・バンドと共に、故人の遺族や友人、関係者が葬儀場から墓地まで棺を運んでパレードする。埋葬を終えた後の帰路のパレードでは、ブラス・バンドは賑やかで活気のある曲を演奏する。多くの場合、スウィング感のある賛美歌やスピリチュアルな曲から始まり、パレードが進むにつれ、ポピュラーでホットな曲へと移り、盛り上がって行く。墓場までの重々しい演奏が故人を悼むためのものであるのに対し、帰路の演奏の明るさには、魂が解放されて天国へ行くことを祝う意味が込められているとされる。
このブラス・バンドの帰路の演奏を楽しむ目的で、ファースト・ラインに続いて街を練り歩く人々がセカンド・ラインである。
Wikipedia「セカンド・ライン」より)

哀しいからこそ、明るくふるまう…
ブラック・ミュージックの力強さの原点を感じます。


余談ですが…
アラン・トゥーサンの来日公演で、コンサート後に希望者は並んで、アラン・トゥーサン自身にサインをしてもらえるというサプライズがあったのですが、僕はその日たまたま買っていたプロフェッサー・ロングヘアのレコードにサインをしてもらう、という謎(笑)の行動に出てしまいました。
アラン・トゥーサンは、出てきたレコードが自分のではないことに少し驚きながらも、

「おぉ、プロフェッサー・ロングヘアじゃないか!」

的なことをおっしゃって、うやうやしくプロフェッサー・ロングヘアのレコードにお辞儀をしてみせるといった、お茶目な方でした。

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(今回の記事は、以下の本を参考にしています。)


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