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自然とともに生きている、クルド人の「芯」描く…クルド映画『別れ』

クルド人が多く暮らす街としても知られる埼玉県川口市で、今年もSKIPシティ国際Dシネマ映画祭が開かれている。首都圏で上映される、中東に関係した映画をフォローしている私にとっては、今年の注目作は、トルコのクルド人であるハサン・デミルタシュ監督の「別れ」。外せない作品だ。ということで、雨雲ただよう天気の中、川口のトルコ料理レストランで朝食の腹ごしらえをした後、映画祭会場を訪れた。

会場入り口に掲げられたボード

上映後のティーチインで監督自身が明らかにしたことだが、この作品は、監督の自伝的な作品だ。クルド人も多く暮らすトルコ南東部マルディンを舞台に、トルコ政府によるクルド労働者党(PKK)掃討作戦が激化していた1990年のトルコのクルド地域を描いたフィクション作品。

ティーチインで監督が強調していたが、当時は、政府によるクルド人抑圧が現在よりも格段に厳しかった時代。政府側につくことを迫られる中で、自分たちが生まれ育った村を捨てる選択を取らざるを得なかったクルド人も多かった(監督によれば、その数、百万人)という。

そんな過酷な状況下でも、自然を愛し、動物を愛して生きていく市井の人々の姿が描写されていく。おそらく監督の父親がモデルであろう男性は、鳥を四羽飼い、唯一の携帯品である収納バックに入れて、移住先のイスタンブールまで連れていく。祖父がモデルであろう男性は、老齢を迎えて厩舎に横たわる愛馬に添い寝をしていとおしむ。

人間と、自然・動物との深い交流が、作品の随所に織り込まれているのが、作品の大きな特徴といえる。

「服従しろ、さもなくば退去せよ」。兵士から最後通牒を突き付けられた村人たちが対応を協議する寄り合いの席で、ある村人が「草木が言うことに従おう」といった意味のセリフを言った。それがとても意味ありげで、気になったので、ティーチインでデミルタシュ監督に、その意味するところは何か、直接聞いてみた。

デミルタシュ監督(左)

「自然の中で、動物たちと暮らすのが我々の仕事であり、戦争には何の興味もない」。そんな思いの発露なのだ、という答えが返ってきた。

クルド人の間には、「山よりほかに友はなし」ということわざがある。独立国家樹立を目指しながら、他民族の裏切りなどでそれを果たせていない、クルド民族の悲しい歴史が象徴する「孤独」「孤立」であるとともにに、山岳地帯に暮らす者も多いクルド人の、自然との距離の近さも表しているといえるだろう。

ティーチインでデミルタシュ氏は、映画監督を志した理由として「これまで多くのひどいことを見てきた」ことがある、と語っていた。それは明らかに、安寧を求めるクルド人に対し、武装勢力の掃討を理由にトルコ政府が行った理不尽な弾圧のことを指している。

この作品は、幼少時代に監督自身が経験し、目撃もしたクルド人が被った悲惨な出来事と、クルド人の民族性の根幹にある自然や動物への「愛」を重ね合わせて描いていた。そうした重層性を表現することで、人間の憎しみや暴力というものの無意味さを浮き上がらせようとしたようにも思える。

作品中では、暗い陰鬱なトーンで描写されてはいるが、舞台のトルコ南東部マルディンは、雄大な自然と壮大な歴史遺産が残る魅力的な街。広大なトルコの辺境とみなされがちではあるが、ぜひ探訪をおすすめしたい土地。私もまたいつか行ってみたい。


作品は、18日に再上映されるほか、ネット配信での鑑賞も可能。クルド人を知るためにも、ぜひ見てもらいたい力作である。



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