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イラクの少数派ヤジーディ、女性たちの戦い…「バハールの涙」

イラクの宗教的少数派ヤジーディが、ISの奇襲攻撃を受け、多くが殺害されたり、拉致され監禁される惨事が起きてから、この8月で10年がたった。10年という時間は短いようで長く、その後、中東では、パレスチナ・ガザでの惨劇などが発生し、ISが犯した数々の蛮行は、特に、現地から遠く離れた日本では、すでに歴史の彼方にかすんでしまっている感も否めない。

そうした歴史を少しでも思い返してもらいたい、という気持ちから、2019年に日本で公開されたヤジーディの女性が主役の映画「バハールの涙」を紹介したい。当時、東京・銀座のシネスイッチで鑑賞した直後に書いたものだ。
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東京・銀座の「シネスイッチ」で、映画「バハールの涙」をみる。ISに異端視され、我が子を拉致されたりしたイラクの少数派ヤジーディの女性たちが、女性だけの対IS部隊に加わり、我が手で故郷や我が子の奪還をめざす、というストーリーだ。エバ・ウッソン監督作品で、フランス・ベルギー・ジョージア・スイス合作。配給はコムストック・グループ+ツイン。

部隊の名前は「太陽の女たち」。これは映画のフランス語原題でもあり、ヤジーディの居住地域がISに攻撃された後、2014年秋に実際に結成されたヤジーディ女性部隊名と同じもの。ヤジーディは古代メソポタミア文明に源流を持つとされる「ヤジード教」を信仰する人々であり、太陽を崇拝し、日に3回、太陽に向かって礼拝するならわしがある。それにちなんだネーミングだろう。

フランス版のポスター

主人公は、ヤジーディで元弁護士のバハールと、隻眼のフランス人「女性戦場カメラマン」のマチルダの2人。彼女たちをふくめ、登場人物はすべて架空の人物のようだ。マチルダは2012年、内戦下のシリア中部ホムスで砲撃を受け死亡した米国人ジャーナリストのメリー・コルヴィン氏や、ヘミングウェイの3番目の妻(ジャーナリスト)を下敷きに創作された人物とみられる。

作中には、シリア中部の町ホムスでの取材に行き、九死に一生を得て生還したとバハールに打ち明けるシーンがある。奴隷にされたバハールの脱出を支援するイラクの女性国会議員は、イラク国民議会でただ1人のヤジーディ議員のヴィヤーン・ダヒール氏がモデルとみられる。

ストーリーは、バハール率いるヤジーディ女性部隊が、イラク北部シンジャールを指しているいるとみられる故郷の町をISから奪還しようと戦うシーンと、バハールが部隊に入るきっかけになった、ISに拉致されて性奴隷にされた体験とが織り交ぜられながら進んでいく。

話の設定・筋書きは、同年にイラク北部で現実に起きたことが下敷きになっているが、ところどころで少し事実と異なるところもある。もちろん、この作品は、事実を下敷きにした「フィクション」であるのだろうから、事実と違うことにいちいち目くじらを立てるべきではないだろう。

とはいえ、この違いは、現実のヤジーディ理解するためには重要なポイントであることもあり、ヤジーディへの理解を正確なものにすべき、という思いを込めて、あえて、以下に指摘したい。

私が違和感を感じたのは、「太陽の女たち」が苦戦の末、ISが占拠する施設を奪還した時のシーンだ。建物の上に掲げられていたISの黒旗を降ろし、バハールが「自由クルディスタン万歳」と叫んだところだ。

こうした状況で、ヤジーディ女性からなる「太陽の女たち」部隊が、「クルディスタン(クルド人の土地」の解放」を真っ先に口にしただろうか。それは考えにくいと思う。ちょっと込みいった説明が必要だ。ヤジーディはクルド語の一方言である「クルマンジー語」を話し、クルド人の文化を共有してもいるので、民族的には「クルド人」に分類されるのが一般的だ。それはその通りなのだが、2014年8月にヤジーディがISの攻撃を受けて以降は、少し事情が違ってきた。

ヤジーディ、中でもISに居住地を蹂躙されたシンジャール地区のヤジーディたちは、イラクのクルディスタンの統治者であるクルド地域政府に少なからず反感を抱き、自分たちが、クルド地域政府の人々と同じ「クルド人」という一体感は相当低下していたと考えられるからだ。

そうした意識の変化の理由は明白だ。クルド地域政府が、ヤジーディを見捨てたからだ。2014年8月、ISはヤジーディが居住するイラク北部シンジャール地区に攻め込んだが、その直前、IS襲来を察知した地域政府の治安部隊「ペシュメルガ」は、シンジャール地区から連絡もなく勝手に撤退してしまった。

このペシュメルガの撤退がなければ、シンジャール地区がISに蹂躙され、6000人とも言われるヤジーディ女性が拉致されて性奴隷にされ、改宗を拒否した数千人の男性らが殺害されるという未曽有の被害は出なかった可能性だってある。

もちろん、バハールたちにとっては、ペシュメルガは、ISと戦うための軍事訓練をほどこしてもらい、共闘するパートナーであった。だが、ヤジーディ女性兵士たちの胸には、ペシュメルガへのわだかまりは決して消えていなかったはずだ。

もっとも、ヤジーディとペシュメルガの間の微妙な関係は、必ずしも明快とはいえないものの、映画の中で描かれてはいる。バハールにとって上官にあたるペシュメルガの司令官は、対IS作戦でしばしば消極的な態度をとり、バハールたちを困惑させる。そんな場面が重ねて登場する。

歴史をさかのぼれば、ヤジーディには、イスラム教徒のクルド人に迫害された歴史もある。自分たちの周辺に、信頼できる他民族・他宗派の勢力は皆無。それが、ヤジーディがこの地域で生きてきた環境だ。その苦難の歴史については、また改めて紹介してみたい。

東京・銀座のシネスイッチに貼られていた日本版のポスター

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