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【トルコ南東部を行く】㉑スマホを持たずに旅する旅人

「4年ぶりの海外旅行なんだ」。トルコ南東部の街シャンルウルファで、その韓国人は言った。全羅北道の村に住んでいて、清掃員をして金を貯め、トルコにやってきたという。シャンルウルファの考古学博物館前で出会って立ち話をし、その翌日、ウルファ中心部でさらにばったり再会した。この2度のおしゃべりで、彼から聞いた話はとても印象的だった。

多くの人たちがスマホに依存した暮らしを送るこの現代にあって、「旅とは何か」を考えさせられるものだったからだ。

シャンルウルファのカフェで

彼は、スマホどころか、携帯電話も持たず旅しているという。この街に着いてまだ2時間だというが、人々に聞いた情報の手書きメモを持っていた。「ネットでホテルやらレストランの情報を得られるのは知っているが、必要ない。人に聞けばいい」と言い切った。

旅行期間は1か月で、東南部ガジアンテプからウルファに来て、さらに東のマルディンに行くという。ウルファやマルディンのちょっとした情報を教えると、「ありがとう、それは有益な情報」と喜んでくらた。

私は今回の旅行で、日本でアマゾンを使ってトルコのSIMカードを買い、スマホに入れて、ネット情報を利用して旅していた。そうした身としては、この韓国人の話には考えさせられるものがあった。入るレストランの選択や何を食べたらいいかも、基本ネット情報である。口コミや、宿に置かれていた情報ノートで旅していた頃が懐かしくもある。

シャンルウルファの中庭のあるホテル

この韓国人、ムンさん(仮名)としておこう。ムンさんは「事前にホテルの予約をして来なかった。その方が絶対にいい。実際に来て、見てみないと分からないことが多い」と話す。同宿のアメリカ人には「事前にネットで情報集めないとダメだ、と諭された」と笑っていたものの、その信念は揺らいでいないようだった。

「次の旅行はモンゴルにする。草原で馬に乗ってみたい」と、ムンさんは話した。スマホも持たず、SNSもやっていない、というので、連絡先も聞くことができず、「それじゃあ、よい旅を」と言い合って別れた。ほんの20年ほど前の旅は、まさにそんな感じで、一期一会の連続だったな、と思い返したのだった。

今回のトルコの旅で印象的だったのは、泊まったホテル、食事した店で、立ち去る際、「ネットに口コミを書いてくれ」と言われることが多かったことだ。Googleなどのクチコミが、どれほど客の入り込みに影響しているか、想像に難くない。マメに客に呼びかける店やホテルが、ネット上のスコアを上げ、集客を成功させていく、というのが現実なのだろう。

翌日の午後、ウルファのダウンタウンのバザールをぶらついていたら、ムンさんとばったり会った。それほど小さな街ではないので、偶然に驚く。きのうの話の続きをしたいと思い、すぐ前のクナーファ(キュネフェ=中東菓子)喫茶に誘った。きょうは何をしていたのかと尋ねたが、彼は、怒りの表情で話し始めた。

ウルファのキュネフェ屋

彼はバスで、ハッラーンというウルファから40キロほどのイスラム以前の歴史を持つ遺跡に行こうとしたが、そのバス運転手が最悪だったという。客が彼1人しかいないため、街中心部をぐるぐる回り、目的地に向かおうとしない。何度も催促したが、乗客も増えずに時間が過ぎ、結局遺跡行きを断念したという。

徒労感を漂わせながら、彼は話した。「私もスマホを持ちたいと思うことはある。ホテルなどがうまく見つからず、疲れ果てた時だ」と。「じゃあ、旅行な時だけでもスマホを持ったら?」と聞くと、「いやいや、それはしたくないんだ」と答えた。

彼が言うには、「まずスマホの操作法を覚える時間がもったいない。覚えたとして、旅先でスマホ操作に費やす時間がもったいない」のだと言う。確かに、特に後者はその通りで、少し耳が痛かった。「でも」と、彼は続け、昨日も少し話してくれた同宿の年上のアメリカ人が話した言葉を少し詳しく教えてくれた。

彼いわく、その米人は、「スマホがないと、どこにも行けないでしょう」と侮蔑を含んだ口調で話したという。怒りではらわたが煮えくり返ったというが、彼は表情を変えず、何も言い返さなかったという。彼は、1泊1500円の宿泊ホテルのマネージャーの対応にも不満をぶちまけた。話しかけてもろくに反応しなかったという。

旅行を始めて約20日、旅の残りあと8日。ムンさんは少し疲れているようではあった。ピスタチオがたっぷり入ったトルコ菓子のクナーフェを「甘すぎる、甘すぎる」と言いながらも、紅茶と一緒においしそうに食べていた。これからの行き先ははっきりとは決めていないようで、「明日はディヤルバクルかマルディンか」と話した。

シャンルウルファの街角で

そうは言っても、旅でスマホにどこまで頼るかは難しい問題だ。私自身、トルコ南東部にいる時にイスタンブールの宿を予約しようしたものの、そのホテルがウェブ予約に対応していないため、電話で予約した。それが今回のトルコ旅行の最後の1泊だった。ところが、実際、イスタンブールに着いて、そのホテルに行ってみると、「そんな予約受けていない」と言われ、ちょっと焦った。

空港からバスで、イスタンブールのアジア側の街カドゥキョイに着いた時は夜で、雨が降っていた。何とかこのホテルに泊まりたい、と、スマホの発信履歴を見せ、主人らしき男性にアピールしたら、恐らく予備としてあけておいた部屋を用意してくれた。もしウェブで予約できていたら、こんな行き違いが起きることもなかっだろうに、ネットのありがたさを実感した。

とは言え、そのホテルを見つけ出したのは、トルコ東南部にいた時、スマホでグーグルマップで探してだ。電話で予約した(はず)とはいえ、情報のおおもとはネットだ。今回、実に7年ぶりの海外旅行だったが、スマホへの依存度はさらに上がった。特にGPSの位置情報を中心に、スマホという利器をフル活用することになった。海外旅行では、日本国内の移動以上に威力を発揮することは確かだろう。

このように、スマホを活用することで、旅先で道に迷う「リスク」は極端に減った。そのかわりに、予想外の旅の展開もなくなった。ハラハラすることはあまりなくなり、ワクワクしたり、逆に腹を立てたり途方に暮れることもあまりなくなったかも知れない。我々は、何かを得た代わりに、何を失った。そのプラス・マイナスの評価は人によってさまざまだ。だから、良し悪しは簡単には言えないが、旅に根本的な変質をもたらしていることは確かなのだろう。

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