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進行中の戦争の現場で撮影されたフィクション…レバノン映画「戦禍の下で」


イスラーム映画祭の2日目はレバノン映画「戦禍の下で」。フィリップ・アラクティンジ監督(Philippe Aractingi)の長編第2作で、2006年7月に起きた「第二次レバノン戦争」を題材にした作品。

「第二次レバノン戦争」は、レバノンでは通常「7月戦争」と呼ばれ、日本メディアは「レバノン紛争」と表記する場合が多い。「第一次レバノン戦争」とは、1982年にイスラエル軍がレバノンの首都ベイルートまで侵攻した戦いのことを指す。

攻撃で破壊された建物(2010年撮影)

この作品、2008年の「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」(埼玉・川口)で上映されていて、その時にみていたことを思い出した。実に16年ぶりの鑑賞ということになった。

正直、細かいストーリーはほとんど忘れていた。改めて鑑賞して、レバノン南部の複雑な歴史・状況がキメこまかく描かれている点が強く印象的に残った。

南部レバノンに設置されたヒズボラの旗とミサイルの模型(2010年撮影)

レバノン南部出身で、ドバイに暮らしている女性(おそらくイスラム教徒)が、戦争勃発で現地で行方不明になった息子を探しに故郷に戻ってくる。首都ベイルートでチャーターしたタクシーの運転手も、南部出身でキリスト教徒。単にお金のために客を拾ったと思いきや、自身も南部の複雑な歴史にほんろうされてきた過去を持っていることが明かされていく。彼も、もう1人の主人公だ。

このあたりのレバノンの歴史を、上映後のティーチインに登壇したアラブ映画研究者の佐野光子さんが解説してくれた。

この映画をみる時に、南部の重要プレーヤーであるイスラム教シーア派組織「ヒズボラ」、親イスラエル民兵組織「SLA」の立ち位置を知っていると、理解により深みが増すだろう。

南部レバノンに設置されたイランの革命指導者ホメイニ師の肖像画とヒズボラの旗(2010年撮影)

交戦は、レバノン国軍ではなく、南部の事実上の支配者である「ヒズボラ」と、イスラエル軍の間で行われた。主人公の女性は世俗的で、シーア派イスラムの「盟主」イランの影響下にあるヒズボラとは、距離感がある。作品に登場する運転手の弟は、SLAの元メンバーで、2000年の南部からのイスラエル軍撤退ではしごを外されて居場所を失い、イスラエルに逃れている。自身もレバノンに居場所がないと感じ、ドイツに渡りアラブ料理店を開業したいと口にする。

登場人物それぞれが抱える複雑な事情が、ストーリーに織り込まれていて、ロードムービーのようなストーリー展開を追っていくうちに、この地の歴史がみえてくる仕立てになっている。

撮影は、まさに現在進行の紛争の渦中で行われた。プロの役者起用は3人だけで、ほかは、実際に紛争の被害を受けた住民が登場している。戦争が始まった直後、パリに住んでいた監督が急きょレバノンに入り撮影を開始。フィクションではありながら、国連増派部隊(仏軍)の到着など、まさに今起きている紛争のリアルなシーンをロケ現場にしているという点が驚きだ。

2008年の上映時に来日し、トークショーに出演した助監督のビシャーラ・アッタラ氏によると、紛争勃発後すぐ、フィリップ監督が「ラフなアイディア」を考え、居住先のパリからレバノン入り。その後、フランス国籍を持つフィリップ監督が、国外避難を余儀なくされるなど中断があったが、紛争中・後の計3か月間で撮影したという。

こうした監督の、危険もあり極めてハードな撮影への強い意欲の背景には何があったのか。佐野光子さんが解説していた。それは、レバノン内戦(1975-1990)下によって、戦火の中で青春時代を送ったアラクティンジ監督の、強い思いがあったという。第二次レバノン戦争が始まった時、監督は、長編第一作の「ボスタ」を完成させ「意気揚々と国際映画祭で発表した」ばかりだったという。この「ボスタ」もレバノン内戦を主題にした作品であり、そうした中で勃発した戦争によって、監督の映画製作への「推進力があがりまくった」のではないか、と佐野さんは語っていた。

佐野さん自身、この戦争時、ベイルートに暮らしていて、その時の体験をティーチインで語っていた。7月は、「中東のパリ」と呼ばれるベイルートや周辺で、音楽フェスなどのイベントがめじろ押しで、周辺アラブ諸国から観光客がどっと押し寄せる時期。

「まさか開戦になるとは思わなかった。飛び起きるほどの爆音だった」と佐野さんは振り返る。佐野さんの場合、当初、当時は平和だったシリア・ダマスカスへの脱出を考えたものの、道路が爆撃されてしまって不可能になったため、ベイルートから地中海沿いにシリア・ラタキアを通ってダマスカスまでようやく逃れたという。

そうした経験をした佐野さんは、昨年10月から続いている、イスラエルによるガザ攻撃について、「比べられないほど多くの死者が出ている。当時、イスラエルはヒズボラを壊滅させられなかったことを後悔して、今回、ガザを徹底的に攻撃しているのではないか」と話していた。

この上映の前には、パレスチナ人がイスラエルに故郷を追われた1948年のナクバ(破局)を描いた映画「ファルハ」が上映された。今年のイスラーム映画祭で、この2作が続いて上映されるプログラムが組まれたことの意味を考えさせられた。

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