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「お客のいぬ間に」 #2

#2  読めない

開店する前の時間は慌ただしい。
店の中を掃除し、外を掃除し、コーヒー豆を焼き、プリンを焼き、パンを切り、クリームをたて、器を片付け、忘れがちな日めくりカレンダーをめくると、あ、もうこんな時間だ、今日は休日だし天気もいいから、お客さんがけっこう来るかも…。
かつてアントニオ猪木が、試合前の楽屋で記者のインタビューに「出る前に負けること考える馬鹿いるかよ!」と答えたことがあったが、ちっさなカフェも同じである。
「店を開ける前にお客さんが来ないこと考える馬鹿いるかよ!」である。
たくさんのお客さんが来てくれることを期待して一日を始める。
11時に「カフェOPEN」の看板をかけて、さぁオープンだ。

…が、来ない。お客さんが来ない。
昼を過ぎ、昼過ぎを過ぎても、人は店の前を通り過ぎるばかり。
開店前の期待がしぼみだし、まぁいいや、あわてないあわてない。一休み一休み。…なんて一休さん(アニメ)の心境になってると、ようやく近所の小学生の女の子が遊びに来てくれる。
一休さんでいえば、さよちゃんだ。
「おじちゃん、ヒマそうだね~」
はい、その通りです。あなたが今日初めてお店に来てくれたお客さんです。おじちゃんは今、泣きたいくらい嬉しいです…って言いたい気持ちをこらえ、
「こんな天気のいい日は、みんなどっかへ遊びに行くんだよ」
なんて大人ぶったことを言ってはぐらかす。

店を始める前、わたしは
「客がいなくて、店主がぼんやり本とか読んでて、この店よくつぶれないでやってるな~なんてお店があるでしょ?おれ、あんな風な店をやりたいんだよね」
などとうそぶいていた。
実際にはそんな店をしかと見たことはないのだが、なんとなくのイメージでそんな店を思い描き、そんな生き方ができたらイイな~と思っていたのだが、実際に自分で店を始めてみて思う。
撤回します。
あれは、店をやることのたいへんさをこれっぽちも知らない者の戯れ言でした。
撤回します。改めます。

お店というのは、お客さんがいなければ、ただの部屋である。
お客さんがいて、コーヒーやジュースやスイーツが食べられて、あぁ美味しかった~となって、本を読んだり、音楽を聴いたり、物思いにふけったり、おしゃべりをしたりして、はじめて店として生きる。
店という字は「广(まだれ)」の中に人が「占めて(しめて)」、はじめて店となるのです。(金八先生風)

それにしても読めないのは、女心と秋の空とお客さんの入りだ。
こんないい日はカフェでのんびり過ごすのが最高だよな…なんて思っていてもさっぱりなのに、こんな大雨の日に外には出かけたくないよな…なんて日に次々といらっしゃる。
おかげで仕入れの量がなかなか定まらない。
昨今はAIが進化しているのだ、ここはぜひ、お客さんの入り予報アプリ=客予報に登場いただきたい。

「明日の午前中は、口コミの風におされて新規のお客さまで満席になるでしょう。
しかし、昼過ぎにはお客さまの波もひき、二三時間は凪になるでしょう。
三十分の昼寝も出来るでしょう。
夕方頃には再び前線が近づき、行楽帰りの常連さんがいらっしゃるでしょう。
最近ごぶさただったSさんもいらっしゃるでしょう。
明日のお客さま数は15人から20人。
ブレンド、カフェオレなどのほか、季節限定のいちごみるくがよく出るでしょう。
クレーム率は0%。
穏やかな一日となるでしょう」

昼寝が出来るかどうか教えてくれるのがありがたい。
が、まだまだ精度は低い。
夕方来店したのは最近ごぶさただったSさんではなくNさんだった。
しかし数年後、精度は各段に高まり、お客さんの名前はもちろん、注文される品まで予測できるだろう。

「明日11時11分に、口コミを見たモモコさん(22)とタマエさん(22)がいらっしゃるでしょう。
タマエさんはいちごみるくに決めていますが、モモコさんはいちごみるくかバナナジュースで迷うでしょう。さんざん迷った挙句、クリームソーダにするでしょう。しかし注文した後で、やっぱりいちごみるくにすると言い出すでしょう。戸惑う店主の顔を見て、あ、すいません、ちなみにバナナジュースって甘いですか?と聞くでしょう。タマエさんは呆れて、まるちゃんお店の人が困ってるよと言うでしょう。当惑顔の店主は、バナナジュースもいちごみるくもクリームソーダも甘いです…とつまらない答えをするでしょう。モモコさんは、じゃあやっぱりクリームソーダにしますと言うでしょう。結局注文はいちごみるくとクリームソーダに…」

どーでもいい!
そんな細かい予測はどーでもいい。
一日の予測を読むだけで一日以上かかってしまう。

やっぱ、女心と秋の空とお客さんの入りは、読めないままでいいや。


あ、お客さんが来た。

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