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お姉ちゃんの選択

5歳の頃から、2歳年上の姉とピアノを習っていました。
ピアノ教室は家から5キロほど離れた街の中心部にあり、毎週土曜の午後、姉と2人でバスに乗って通っていました。

のどかな田舎の路線バスとはいえ、片道約30分。
幼い姉妹2人だけで通うのはそこそこの冒険だったと思うのですが、妹のわたしはバスの時間も把握せず、バス代も持たず、乗り降りするバス停も覚えず、姉に頼りっきりで乗っていました。
ただひたすら光る魅惑的な降車ボタンを押すことだけを楽しみに、だけど降りるバス停はわからないので、停留所アナウンスが流れる毎にボタンの前に指を構え、「押していい? 今押していい?」と姉に聞き、ボタンを押すタイミングまでも姉に任せておりました。

ある日のピアノ教室からの帰り道、バスに乗ってしばらくしてから、姉が小さな声でつぶやきました。

「あ……! どうしよう。お財布忘れた……」

とっさにわたしは、しばしば冗談を言って妹をからかう姉が、またウソを言ったのだと思いました。

「ウソでしょ?」

期待を込めてわたしが聞くと、「ううん、ホント。ホントにお財布無い……」と青ざめて答える姉。

ピアノ教室からの帰りは、いつもバス停近くの親戚の家でバス待ちをしていたのですが、その親戚の家にお財布を置き忘れたらしいのです。
冗談抜きの深刻な姉の表情を見て、どうやら本当にお財布が無いということを察知して、「どうするの? どうするの? お金ないと、どうすればいいの??」と、たとえお金があってもどうするかも知らないくせにパニック状態に陥るわたし。
すると、真剣な顔つきで姉が言いました。

「方法は、3つある。
1つ目は、今すぐ運転手さんにお金が無いって正直に言う。
2つ目は、このまま降りるバス停まで行って、そこで運転手さんに言う。
3つ目は、他に降りる大人の後ろにくっついて、黙って降りちゃう。
どうする?」

突然の3択問題を提示されても、わたしにはどの行動も恐ろしくて「わかんないわかんないわかんない!」と決められません。
そしてしばらく黙って考えていた姉が、意を決したように言いました。

「よし。今すぐ運転手さんに言って、降ろしてもらおう」

そう言ってすぐに立ち上がって運転手さんのところへ行き、「ごめんなさい。お財布を忘れました」と伝える姉の後ろで、わたしはただ心臓をバクバクさせるだけでした。

運転手さんに「それで? どうするの?」と言われて、「ここで降りて、お財布を取りに戻ります。今度乗る時にバス代を返します」と答える姉。
小学校低学年でそんなことが言えるなんて、わが姉ながら感心しちゃう。

そして、本来下車するはずのバス停よりもだいぶ手前で、というか、乗ったバス停の方が断然近い位置で降りることになった我々姉妹。
ピンチを脱した安堵感と共に、「お姉ちゃんってすごいなあ」と思いながら、親戚の家までのバス停何個分かの道のりを、姉と2人で歩いて戻った記憶があります。

戻った親戚の家でバスでの顛末を話すと、その親戚のおばちゃんが驚いて言いました。

「バスの運転手さんも、降りるバス停まで乗せてくれればよかったのに。可哀想に、途中で降ろされて大変だったね。よく戻って来たね。それにしても、Yちゃん(姉の名前)、偉いねえ。ホント偉いねえ」

うん、確かに姉は偉い。
何がすごいって、あの時一瞬といえども姉の頭の中には、「大人の後ろに隠れて逃げる」という選択肢も浮かんだのです。
正直に言うにしても、「降りるべきバス停に着いてから」という考えもありました。
そういう邪念がありながらも、結局、一番誠実で潔い選択ができた、というのが素晴らしい。
そばにいる妹は全然頼りにならないし、早く決めないと歩いて戻る距離はどんどん増えていくし、短い時間でものすごく葛藤したらしいです。

「あのバスの運転手さんも、ちょっとイジワルだよね」という言葉にも、
「いや、あの時、運転手さんが厳しかったから良かったんだよ。すごくいい経験になったんだよ」
と答えるどこまでも殊勝な姉。
すごいね、お姉ちゃん。

イヤなことがあると、恨みつらみで何度も思い返しては呪う傾向にあるわたしと大きく異なるところです。
反省。


幼い頃の写真がこんなに古ぼけてるなんて衝撃!

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