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ぬいぐるみの思い出

子供の頃、姉とわたしは色違いの枕型のぬいぐるみを愛用していました。
スポンジが入ったタオル生地で出来ていて、おそらくネコかトラをイメージしたもの。

こんな感じ。

姉のは緑色(グリーン)だったので「グリンちゃん」、わたしのは赤だから「レッドちゃん」と名付けて可愛がり、親に叱られると泣きながら彼らを抱きしめ、自分の唯一の味方のように感じて涙を染み込ませたりしたものです。どんな時も明るい瞳を輝かせ、いつもニッコリ笑顔で幼いわたしを慰めてくれたレッドちゃん。
毎晩抱いて寝ていると薄汚れてくるのですが、自らの汗と涙にまみれた彼らはかえって自分に馴染んで抱き心地が良く、ますます愛着が沸きました。

ところがある日、綺麗好きな祖母が、彼らを洗濯機に放り込んで丸洗いしました。
目玉のシールは剥がれ、接着剤で貼っただけのフェルトの鼻と口は剥げかけてボロボロ……という変わり果てた姿に。
何とも言えない抱き心地の良さだったのに、洗いざらしのゴワゴワの肌触りになって、中身のスポンジは移動して偏り、体のラインが妙にいびつ。

こんな感じ。

たしかに清潔になったけれども、「こんなの、レッドちゃんじゃない!」と泣きながら激怒したわたし。それに対して祖母は、「あー綺麗になった!」と、申し訳なさそうな素振りは皆無。むしろしつこく怒り続けるわたしに、「あーはいはい、うるさいなーもう」とでも思っていそうな気配。祖母のそんな態度が許せなくて、腹が立って仕方なかった記憶があります。
今となっては微笑ましい思い出なのだけれど。

姉はどういう反応だったかというと、わたしとは違いました。
祖母に怒りをぶちまけたりせず、黙ってグリンちゃんを抱いてションボリしていました。
「私の大事なものになんてことを!」と怒るどこまでも自分視点なわたしに対して、姉は、「グリンちゃんの被った苦しみ」に思いを馳せている様子。

フツーにぬいぐるみと会話をたしなむほどにグリンちゃんと親密だった姉は、洗濯機の渦の中でグルグルされて、体の一部を洗濯ばさみでつまんでぶら下げられたぬいぐるみの痛みを想像し、ただただ悲しんでいるように見えました。もしかしたら、実際にグリンちゃんから報告を受けていたのかも。
憤怒の妹と痛みに寄り添う姉。
性格が出ますね。

そして姉妹はその後、怒りも悲しみも乗り越えて、サッパリとしたぬいぐるみたちにマジックで目玉を描き入れ、鼻と口と体型を整えて、ある程度の復元に成功。再び薄汚れるまで、眠りのお供として変わらぬ愛情を注ぎ続けました。

それなのに、今現在彼らの行方がまったくわかりません。
あんなに愛したぬいぐるみだったのに、いつの頃からか所在が不明です。大人になるってそういうことか。
だいぶ大人だった祖母がぬいぐるみに無慈悲だったのもうなずけます。
あの子供特有の、あらゆるものに魂を感じる力を懐かしく思い出す、これまたもうだいぶ大人になってしまったわたしです。

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