見出し画像

何かを成し遂げようとするときに完璧を目指しすぎるのをやめる


私は完璧主義者か?

私は完璧主義者か?と聞かれたら、「ハイ。」と答える。

物事不十分な部分があることを許さず、不足や欠乏のない状態であることを求め考え方性格などを指す表現妥協許さないさま、ほどほどの加減を知らないさま。

完璧主義(かんぺきしゅぎ)とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

私の現在の職業はシステムエンジニアなのだけど、システム受入試験時に不具合が発生した時にはもう自分の気持ちが大変だった。

自分のプロセスが完璧でなかったという現実が、目の前にゆるぎない証拠(不具合)と共にガツンと突きつけられ、しかもそれを急いで完璧に修正しなければならないのである。(ぴえん)

幸いなことに直接的にひどく怒られたり、ののしられたり、責められたりしているわけではなかったのだが、欠陥のないプログラムを納品できなかったという事実で一人でかなり落ち込み、凹んだものである。
なんて自分はダメなんだろうと責め、本当に胃が締め付けられる思いでかなり辛かった。

そんなこんなで、暫く仕事が辛い、向いていないと思って過ごしてきた私だったのだけど、ここでは割愛するがとある出来事で、かなりものの見方が変わった。

「完璧でなくても仕方ない」

そう。完璧でなくても仕方ない、と思えるようになった。
注意したいのは、完璧を最初から目指さない、というわけではない。
むしろ、完璧にするために努力は引き続き惜しまない。

それに、開き直っているわけでもない。
完璧は無理だから、できるわけないじゃん‼という考えではない。

ただ、起きたことに対して完璧でなかったからと必要以上に落ち込むのをやめた。その代わりに「面白くなってきた。じゃあ次はどうやったら失敗しないかな?」とこれからの取り組みに向けて考えるようになった。
こう考えるようになったとき、エジソンのエピソードを目にした。うまくいかないやり方を発見したのだ、という気持ちに救われた。

起きている事実は変わらないのに、受け取り方で気持ちがこうも変わるものかと驚いている。

「まずは試してみる」という行動ができるようになった

直近の作業で、私はDBサーバーの構築を担当した。
実はDBサーバの構築などこれまで一回もしたことなく、すべてが手探りで何も分からない状況だった。

当然分からないコマンド、分からない設定にぶち当たる。
にっちもさっちもいかないエラーメッセージが出てくる。
これまでだと「せっかくここまでDBサーバ構築したし、壊したくないし、う~ん、何とかエラーを回避して…」と「1回」で成功に向けた回り道を探していたものだが、今回は違った。

「とりあえず、試してみてダメだったら新しく環境を作り直そう!」

で。結局再度環境を作り直すことにはなったが、何とか環境構築ができた。
しかも、もう作り直したことで手順を再確認することができ、また復習にもなった。う~ん…と悩んでいる時間より大変有意義だった。
こういった機会にはどんどん試してトライ&エラーをするものだなぁと、当たり前なことではあるがしみじみ実感した。

今回は成功したからなんとなく良いように語れるけれど、そうでない場合もあるとは思う。そこはもちろん、TPOを大切にしていきたい。

完璧にみえるものがそこら中に転がっている世界

SNSを見ていると、文章、イラスト、歌、そのほか創作物で自分からするとあまりに完成度の高いものが目に見えて、何に挑戦してもこの人たちを超えるまでには至らないのだろうなという気持ちでやる気がなくなる。
(そもそも超えようとする点で動機が不純なのはわかっている…のです)

今回、自分が書きたいという気持ちを優先して文章を書いてみることにした。文体も定まりきらない。本当はもう少し親しみやすい文体のほうが読みやすいのではないだろうか、とかいろいろ考えることはあるけれど、それは今回投稿してみて考えることにする。
完璧主義者は投稿するまでがとにかく長かったりするのだ。少なくとも私は。さ、これで正真正銘、完璧主義の私とはおさらばだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?