厄除け

これから話すことは、私が11歳の頃の体験談です。
ある日、実家にハガキが届きました。それは父親へ厄除けを勧めるお知らせでした。その年にちょうど父親が本厄、42歳になっていました。そこで、祖母が檀家になっていたお寺が、厄除けを勧めてくれたのです。両親は特に信心深いわけでもなく、「お知らせも来たし、追加料金もかからないなら、せっかくだから厄除けしておこうか」くらいの認識でした。
当時から私は、お寺や霊園の澄んだ空気や雰囲気が好きだったので、父親についてくことにしました。もう30年くらい前の話なので詳しくは覚えてないのですが、大きな畳の部屋でお経を読んでもらった記憶があります。私も横に座って静かに聞いていました。厄除け自体は何事もなく、帰宅後、両親は「何もないといいね」という感じで終わりました。
結論から言いますと、厄除けの効果はあったのか、父親にはなにも不幸な出来事はなかったと思います。ケガも病気もなかったです。ただ、厄年の厄は確実にありました。誰に厄災があったのか。それは私に降りかかってきたのです。

その年の2学期、9月から12月のたった4か月の間に、私は大怪我と大病に見舞われました。まずは9月中旬、自転車に乗っていた際の事故で、両腕を同時に骨折しました。手首から肘の間の骨を左は2本、右は1本骨折しました。全治2か月でした。骨を固定する金属の棒を外し、ギプスが取れて自由に動かせるようになったのは11月後半でした。骨折が完治し落ち着いた12月、今度は猛烈な腹痛に襲われました。結果として、盲腸が破裂していました。再び入院し、クリスマスを過ぎたころにようやく退院できました。結局、小学5年生の2学期はほとんど、怪我と病気に悩まされました。
さて、怪我と病気が起きただけなら、ただの偶然と言えます。怪談のタグでお話しすることではないかもしれません。しかし、原因や状況を思い返すと、どうにも殺意が高いものに襲われたのかなと今は考えています。

まずは骨折について。事故と書きましたが、実は車や壁、人にもぶつかっていない単独で起きたのです。あの時、私は友人と一緒に舗装されたサイクリングロードを走っていました。途中で道路と公差する箇所があり、そこには横断歩道がないため、いったん止まりました。止まった際、少しよろけて左に倒れこみました。その時に両腕を骨折したのです。
ただの偶然かもしれません。ですが、まったく進んでいない止まった状態で左にころんと倒れただけで、両腕を骨折する確率ってどれくらいなのでしょうか。百歩譲って、左腕は理解できます。左に倒れたのですから。しかし、右腕まで骨折するのは少し破壊力が高すぎるのではないかと思いました。

次に盲腸です。盲腸と言いますと、著名人のエッセイや創作では、軽い症状と描写されています。手術後、おならが出たら退院といった認識されている方も多いと思います。私の場合、痛みは盲腸がある右下腹部だけではなく、様々な場所で発生しました。故に特定が遅れました。最初はかかりつけの小児科から始まって、そこで特定ができず徐々に大きな病院で診察しましたが、それでも分かりませんでした。
最終的に発覚したのは、登校時、家の玄関を出た瞬間に、猛烈な痛みで立っていられず、まるで刑事ドラマの殉職シーンのように両膝を地面について、倒れこみました。ただ幸運だったのは、同級生がその場に居たことです。骨折の時に、ギプスをつけたまま登校していたのですが、一人では危ないとのことで、町内の同級生が家まで迎えにきて同伴してくれていたのです。倒れた際も同級生がすぐに家に駆けこんでくれたおかげで、すぐに病院に行くことができました。そしてそのまま入院、翌日に手術となりました。
母親から後で聞いたのですが、医者から「お腹の中に5~10センチのできものがあった」「あと3日遅かったら死んでいました」と説明されたそうです。知らないところで寿命が残り3カウントになっていました。

以上が私に起きた異変です。すべてが終わった後、母は「お父さんの厄をもらったんじゃないか」と言いました。私も子どもながらそう思ったのを覚えています。怪談と偶然の境目にあるような体験談です。7:3くらいでオカルト寄りなのかなと思い、今回、言葉でまとめてみました。
今は、「厄除け」や「お祓い」には安易に同席しないことをお勧めします。でなければ運悪く「もらってしまう」こともあるでしょう。しかし幸運だった側面もあります。一家の家計を担う父親になにもなかったこと、骨折は綺麗に折れていたため経過は良好だったこと、盲腸の時は同級生が発見者になっていてくれていたことです。これだけは不幸中の幸いだったと思います。

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