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王の帰還と葛藤 2022/02/08

ポテトL 復活。

ニュースを見れば疫病だの戦争だの悲惨な情報が飛び交うこの令和の世に、こんな手放しで喜べることが他にあるだろうか。言うなれば「王の帰還」だ。ポテト王国を統治していた王は病床に伏せていたのだが、なんとこの度死の淵から帰ってきたのだ。私の住んでいる村にもその知らせが届いたため、今週末は村をあげての祝祭だ。私もラッパを吹いて祝福の音色を響かせる予定である。

祝祭のメニューはもちろんポテナゲ。ポテトとナゲットという消費者が一番求めている鉄板メニューをセットにしているこの商品、これはもはや"魅力的"という言葉を超えて"便利"と言うべきだろう。ポテナゲといいビックマックといい、私の好きなものが用意するのがマクドナルドは本当に上手だ。ポテナゲ大500円で1057kcalという破壊力には確かにビビるが、たまにはしゃぐくらいなら神もお許しになるだろう。


話は少し変わるが、「世界で一番美味しい食べ物は何?」という質問に対し「一番世界で売れているのはマクドナルドなんだから、ハンバーガーとコーラが最高の食べ物さ」と返すとある漫画のワンシーンがある。この理論にはマクドナルドは低価格であるという点が考慮されていない分、もちろん完璧ではないが、私は一理あるよなぁとも思っている。

これから私が話すのは、かなり細かい話であり、人に言わせれば"みみっちい"と罵られる話でもある。しかし現代というコンクリートジャングルの路地裏で、小さな小さなチーズの欠片を奪い合って生きている私のような存在には圧倒的な現実感(リアリティ)を持った話なのだ。ここはひとつ、ネズミの生態でも伺う気持ちで続きを聞いてくれないだろうか。

値段当たりの美味しさ、という概念だ。

まず、仮にビックマックの美味しさを100とする。そして値段は単品390円、100÷390で値段当たりの美味しさ指数は約0.256である。美味しさのコストパフォーマンスといってもいい。

次に…………そうだな…………高級な寿司があったとしよう。各自ごちそうを思い浮かべて貰えればそれでいい。値段を仮に5000円としよう。

そしてこのケースで、ごちそうの美味しさ値をビックマックの何倍と評価できるだろうか? そしてこの寿司が"値段当たりの美味しさ指数"でビックマックを超えるためには、5000 × 0.256 で、美味しさ値1280が必要になってくる。約13倍だ! 確かに寿司は美味しいが、本当に13倍の美味しさ値があるだろうか? 本当に13倍?

私は効率の良いものが好きで、「効率」を生き方の指針のひとつにしている。そんな私からすれば、ビックマックは非常に優れた食べ物だ(もちろん、ポテトもね)。実際に好きだし、これを食べている時間は確かに幸せだ。そのビックマックに、いくら高級とはいえ寿司に13倍の数値がつくとは、私には思えないのだ。

いや、わかっている。食事というのはそんなシンプルなものではない。それを食べるという体験やそのシーンの特別感も評価にいれて私達は「食事」という行為を楽しんでいる。だからただ単に値段と美味しさの数値を取り出して考えるのは偏った見方だということは理解している。

ただ、全体の傾向で見たときにマクドナルドは本当にスコアの値が高いのではないだろうかという話だ。マクドナルドというか、ファストフード全てがそうだ。日本の食事は全体的にレベルが高く、コンビニに行っても美味しい物を食べられる。私はファストフードが好きで美味しいと思っており、それはとても幸せなことだが、何かここに危機感を感じている自分もいる。

話題が次に移る。個人の話になる。上述した"危機感"の話だ。

その危機感とは、「私は一生ビックマックをありがたがって生きていくのだろうか」という危機感だ。これはある種ビックマックを下に見ているというか、「より良い物を知っている自分」、つまり「生活レベルが高い暮らし」への憧れがあるということなのだろう。認めるのはやや気恥ずかしいが、少しはそういった考えがあるというのは否めない。

収入が多くハイクラスの生活をしている人への嫉妬やひがみが裏返しとなり、こんな"値段当たりの美味しさ指数"などというわけのわからん理論を持ち出して貧民の自分を正当化しているのではという疑問だ。

しかし、現状のそれは少しだ。割合といっては8:2くらい。8割の自分は心から「ビックマック最高! 一生マクドナルドでハッピー!!」と叫んでいる。効率の良さを指針とする私の人生にとってはマクドナルドは最高の相棒だ。

一方で、2割の自分は「マクドナルドでハッピーなんて言い続けるのは恥ずかしいことなのでは? 人間はより良い暮らしを求め、成長を続けるべきなのでは……?」という思いを抱え、こそこそと日陰を歩いているのだ。そういう葛藤を抱え、私は生きている。しかし人間の感情はグラデーションなので、それは特別なことでもない…………気がする。

特に結論の出ない議論を展開して申し訳なかったが、この葛藤、私だけなのだろうか? 「全員が持っている考えだが、わざわざ文章にしているのはお前だけ」という奴だろうか?

そして「そんなことを考えているくらいなら、より良い暮らしを求めて成長しろよ」という純度100%の正論もある。しかし時に正論は人を殺す…………。

そろそろ私は行かねばならない。もちろん復活したポテナゲを食べにだ。あなたも私と同じような暮らしをしているのなら、いつかポテトを挟んでテーブルを共にすることがあるだろう。そのときは割合の話をしよう。私は8:2だが、あなたの葛藤は何対何か、ぜひ議論しようではないか…………。

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