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第三帝国の誕生 第8夜~民主主義の余命~

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『第三帝国の誕生 第8夜~民主主義の余命~』

■パーペン内閣----00:00:07

[TIME]----00:00:07 パーペン内閣発足
【N】で、まあ、となると次の首相ですよ。
【D】はい。
【N】次の首相はシュライヒャーが選び、ヒンデンブルクに推薦した。その名もフランツ・フォン・パーペンという人物。初登場ですね。
【D】初登場ですね。フランツ・フォン・パーペン…….。
【N】このひと、最重要人物のひとりですね。
【D】あ、そうなんですか。意外や意外に。
【N】この人は貴族で元帝国軍人。でもって馬術の名人であった──、というのはあまり関係のない情報ですけれど……。一応、中央党の保守派で、プロイセン州議会議員だったこともあるんだけれども、このときはフリー。なので、国会で支持基盤もないという人物だった。
【D】無所属ですね。
【N】そうそう。もう、こういう人物を首相に据えようという時点で操り人形にする気満々だった。
【D】そうですね(笑)
【N】そして6月1日、パーペン内閣が発足するわけだけれども、立役者のシュライヒャーは国防大臣になります。
【D】うん。

[TIME]----00:01:07 男爵内閣
【N】首相になったパーペン自身は男爵で、閣僚も貴族ばかりだったので、この内閣は男爵内閣と呼ばれたりする。
【D】男爵内閣。
【N】うん、爵位の男爵だね。バロン。
【D】うん。
【N】そのうえ、政党に支持基盤を持たない内閣。大統領の権威と緊急令に頼った、これもいわゆる「大統領内閣」です。
【D】はい。

[TIME]----00:01:33 ヒトラー、パーペン会談
【N】そしてパーペンは首相就任後、シュライヒャーの仲立ちでヒトラーとも会見する。
【D】うん。
【N】このとき、パーペンの回想によれば、ヒトラーにはあまりいい印象を受けなかったらしい。世間で言われるようなカリスマを感じなかったと書いているね。
【D】ふーん。

[TIME]----00:01:56 解散総選挙の決定
【N】まあ、ともかく、この新内閣とヒトラーはやはり取引をし、以前のシュライヒャーとの密約を履行するということで、6月4日、国会の解散と総選挙が決定した。
【D】うん
【N】ここのところ州議会選挙でも躍進しているナチ党だから、ここで一発国会選挙となれば、またドカンと議席を増やせるという期待が、ナチ党にはあった。だからシュライヒャーと取引したときに、国会を解散して選挙をやってくれよ、と求めた。
【D】うん。

[TIME]----00:02:20 SA、SS禁止令解除
【N】そして、もう1つの約束であった突撃隊と親衛隊の禁止令が、6月16日に解除される。
【D】うん。
【N】取引が履行されたということね。
【D】なるほどね。

[TIME]----00:02:35 ローザンヌ会議と賠償金支払いの停止
【N】──さてさて、ほぼ同じ頃、またひとつ外交と経済に関してドイツは大きな局面を迎える。
【D】うん。
【N】ドイツと連合国の賠償金支払いに関する新たな話し合いが6月16日、スイス、ローザンヌで行われる。………まだやっているんですね(笑)
【D】まだやっているんだね。
【N】結構、年数経っているんだけれどね。
【D】うん。
【N】これはいわゆるローザンヌ会議と呼ばれる交渉で、この会議はひと月かかった。結果、これまでのヤング案を停止。
【D】ヤング案ってどんなやつだっけか。
【N】金額をまけて、すごく長い時間をかけて払えという──。
【D】ああ。はいはい。
【N】59年か──。この支払いプランをとりあえず停止すると。そして賠償金はあと30億ライヒスマルクを払えば完了、ということで妥結する。
 本来はもっとたくさんあったよ。けれどもう、それでいいや──と。だって59年間かけて払う予定だったんだから(笑)
【D】うーん。
【N】まあ、1320億金マルクからここまでまけてもらった。
【D】うん。
【N】しかし、このときはアメリカが反対する。というのも、アメリカはドイツによる賠償金支払いを通して、英仏に戦費として貸した金を回収していた。ところがこの話し合いでは、ドイツに対する賠償と併せて、そうしたアメリカに対する債務──借金も削ろうぜという話を含んでいた。なので、アメリカとしては「いやいや、それはちょっといやだよ」というふうになったわけ。
【D】はいはい、そうかそうか。
【N】これまではドイツが賠償金を払えるようにと、色々と援助したり支払いプランを考えてあげていたんだけれど、それは債権──貸した金を回収するためでしたから。
【D】うん。
【N】なので、この話し合いでの結論というのは批准されなかったんだけれども、ただもう実質、ここで賠償金に関しては有耶無耶になってしまった。ドイツもこのあと、事実上支払いを停止しています。
【D】あ、そうっすか。
【N】ええ。これまでドーズ案、ヤング案、そしてこのローザンヌ会議と、賠償金支払いのプランというのは変遷してきた。その変遷を見てきたけれども、ずいぶんまけてもらった挙句、なんか最後、有耶無耶になってしまった。
【D】(笑)──結果、総額いくら払ったんですかね。
【N】これね、ハッキリしないんだけれど、連合国側が220億くらいと計算していたような──。確かそんな数字は見たことあります。やっぱり例によって色んな数字があるんじゃないかな。
【D】うん。
【N】ごめんなさい、ちょっと正確な数字は出せないんですけれど、ともかく最初に決められた額よりも低い。ちゃんと払ってはいないです。

※エーベルハルト・コルプ『Der Frieden von Versailles』には「ドイツ側の算定では677億金マルク、連合国の計算では218億金マルク」との説明があるようです(こちらは未読です)。現物での支払いもあったからか、科目ごとの評価でドイツ側と連合国側とで大きく算定額が違います。
 また『第一次世界大戦』(木村靖二)によれば「実際にドイツが支払った総額は、一九一億金マルク程度ではないかと言われている。」

【D】ああ、そう。
【N】まあ、前に1320億金マルク、あるいは「天文学的金額」という言葉が独り歩きしているけれど、内訳を見るとそこまででもないかもね──、みたいな話をしたじゃないですか。
【D】うん。
【N】ことほどさように連合国もかなり譲歩し、ものすごい減額されていた。また、ドイツもなんだかんだ支払いをたびたび停止していたりする──。
【D】うん。
【N】なので、前に話したけれど、賠償金ドーン・ドイツ人ボコボコ・怒ってヒトラー誕生、という単純な図式ではないということがわかるじゃないですか。
【D】なるほどね。

[TIME]----00:05:49 完済?
【N】ちなみに、ヒトラーが政権を獲ってから引き続き支払いは停止されるんだけれども、戦後に再開されて、2010年に完済、というニュースがありました。
【D】あ、そうですか(笑)
【N】うん。92年もかかったという。ただ、このニュースで1320億金マルクを92年かけて完済した、という誤解をする人がいたりするんだけれども、今見てきたように最初の金額ではない。
【D】うん。なるほどね。
【N】あと、正確に言うと、2010年に払ったのは賠償金支払いのために発行された公債の利子なんですよ。なので、ちょっとニュアンスが違うんだけれども…….。ただ、お金は最近まで払っていました。
 ──ということで、一応ここで賠償金の問題は終わる。
【D】あ、ついに。
【N】実質的には。
【D】うん。

■プロイセン・クーデター----00:06:38

[TIME]----00:06:38 突撃隊と共産党の抗争
【N】──で、話題はまたまた国内ですが、さっきローザンヌ会議と同じ日、6月16日「突撃隊・親衛隊禁止令」が解除されたと言いましたな。ここから奴らは暴れまくる。禁止が解除されたんで。
【D】うん。
【N】特に共産党員との抗争が激化した。そうして1932年の夏のドイツには、ヤクザの抗争以上内戦未満みたいな状況が現出する。
【D】(笑)
【N】共産党も負けていないですからね。
【D】うーん。
【N】まあ、ナチ党のご当人たちは「俺たち合法路線になった」と主張しておきながら、路上で普通に銃撃戦が行われ、大量の死者が出ているんですな。

[TIME]----00:07:24 アルトナ・血の日曜日
【N】そして7月17日、プロイセン州のアルトナという町でそれはピークに達する。
【D】うん。
【N】この時は突撃隊のパレードにキレた共産党員が発砲しまして、そこで警察も介入して銃撃戦になった。結果、17名が死亡。
【D】おぉ……。
【N】一応、両方とも政党ですよ………?
 ただ、死者の多くは鎮圧する側である警察の銃弾によって死んでいるらしいんですよね。なので、それもどうなんだというところですけれど。
【D】すごいっすね……。

●プロイセン州とアルトナ

[TIME]----00:08:03 パーペン、プロイセン・クーデーター
【N】これを「アルトナ・血の日曜日事件」と言ったりするんだけれども、このアルトナ事件を利用して、パーペン内閣は大胆な行動に出ます。
【D】うん。
【N】パーペン内閣は、国内最大の州であるプロイセン州政府を、中央政府のコントロール下に置くことを画策するんですな。
【D】うん。
【N】というのも、当時のプロイセン州政府というのは、社会民主党のオットー・ブラウンが首相を務めていて、カール・ゼーフェリングが内務大臣、つまり警察のトップを張っていた。だから当時のプロイセン州というのは社会民主党の牙城だった。
【D】うん。
【N】パーペン内閣はこのアルトナ事件を受け、「プロイセン州にはもはや治安維持能力はない」と断じまして、州首相と州内相を解任してしまう。
【D】うん。
【N】そしてこれ以降「ライヒスコミッサール(Reichskommissar)」が統治するということに決定しまして、パーペン自身がこのライヒスコミッサールを兼務するという緊急令を発する。
 このライヒスコミッサールというのは「国家弁務官」とか、「総監」「州総督」と様々な日本語訳があるんだけれども、これは中央政府から派遣される行政官。
【D】うん。お目付け役みたいな感じかい?
【N】中央政府が直接その州を管理するために派遣する役職。
【D】うん。
【N】ライヒスコミッサールを置くというのは、つまりプロイセン州を解体し、実質的に中央政府の直轄にするということ。一応は連邦国家だったのに。
【D】独立権というか、なんて言うんだろう──。
【N】そうね、自治権をかなり奪う。
【D】あ、そうそう、それが言いたかった(笑)
【N】一応、各州に首相とか大臣がいる州政府というものがあって、ある程度の自治をしていたんだけれど、それを外して直接治めますよ、と。
【D】おぉ……。
【N】そのための役職がライヒスコミッサールと呼ばれる。このライヒスコミッサールにパーペン自身がなるということ。
【D】うん。
【N】一方、外されたオットー・ブラウンはこの解任を不当だとして、裁判所に訴え出るのね。そして裁判所もこれを認め、名目上オットー・ブラウンの首相という立場、そしてライヒ参議院の代表という立場は保持される。
【D】うん。
【N】しかしこれは名目上だけで、実権は奪われてしまうわけ。
 で、この一連のパーペンによるプロイセンの乗っ取りのことを歴史的に「プロイセンシュラグ(Preußenschlag)」──「プロイセン・クーデター」と言うんですな。
【D】うん。
【N】これに対してやられた側の社会民主党は、もはやカップ一揆のときのようなゼネストで対抗することはできなかった。
 なにせこのとき600万人もの失業者がいたので、ゼネストどころじゃないわけですよ。ストライキどころじゃない。そもそも仕事ができていないから。
【D】うん。
【N】なのでさしたる抵抗もなく、社会民主党(SPD)はプロイセン州を失うことになる。
【D】ほうほう。
【N】社会民主党はまだこの時点で第1党の地位を堅持していたんだけれども、この出来事は支持者に計り知れない失望を与えることになる。
【D】うん。

[TIME]----00:11:06 州解体の前例
【N】そして、この中央政府が州政府から権力を奪うというやり口を、その後、ヒトラーとナチ党が模倣していくことになる。つまりこれ、共和国の命脈を立つような悪しき前例が作られたわけで、これもヴァイマール共和国史の画期の1つと見なされている。……ここからヤベエことになっていく、というその前例を、このパーペンが作ってしまった。
【D】パーペン、ちょっとナメていたけど、なかなかやるな。
【N】そう、操り人形どころか、彼は彼でガンガン行くわけですよ。
【D】なるほど、なるほど。
【N】まあ、ヒトラーが政権を獲る前に、すでにここまで末期的だったとも言えるわけで──。だからこの国の民主主義を破壊したのはヒトラーだけではない。
【D】うーん、なるほどね。
【N】むしろ彼に道を与え、とどめを刺させたのはこうした前任者たちであったと言えるわけ。

■権力を求めて----00:12:02

[TIME]----00:12:02 32年7月、運命の選挙
【N】──さて、選挙です。
【D】はい。
【N】今回もナチ党、本意気のプロパガンダ攻勢に出ますよ。前回から本格化した飛行機によるドサ回りも行われまして──。
【D】うん。
【N】映画、演説レコード盤の制作……。
【D】演説レコード(笑)
【N】あらゆる斬新な戦術が投入されるわけですよ。
【D】うん。
【N】ヒトラー自身も、文字通りドイツ中を飛び回って演説に次ぐ演説。
【D】うん。
【N】そうして1932年7月31日、国会選挙が行われるわけです。
【D】うん。
【N】結果、ナチ党(NSDAP)が得票率37・4%で230議席を獲得し、第1党に躍り出る。
【D】ついに──。
【N】そして、社会民主党(SPD)が133議席で第2党。10議席減らしました。
【D】すごいなぁ。うん。
【N】そしてドイツ共産党(KPD)も議席を増やし、89議席で第3党。
【D】おぉ。

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