ガチ恋オタクは哀れなのだろうか

私はガチ恋夢女だ。

伊弉冉一二三を好きになってからもう2年近く経つ。
2年近くとか普通のカップルならもう結婚なんだよね。実質次はもう結婚しかないじゃんね。もう結婚だよこんなの。結婚。


先日大晦日に友人の夢女と相手の彼氏からプレゼントを預かってきた体でプレゼント交換バトルを開催した。(某Tさんリスペクト企画である)
お互いの彼氏から指輪を贈られさらに彼氏からの手紙とさらにお互いのカップルイメソンバトルで殺し合い爆発四散したが相手の薬指にはまるサイズだったということで私が総合優勝した。
本当に充実した大晦日だったと思う。


という旨をオタクの多い職場で話した。

次の瞬間先輩(オタク)から放たれた言葉は「辛い……」であった。

えっなにが

顔を覆って本当に辛そうな顔で言うので「まだ20代だからできる遊びなんで…」と誤魔化したが真面目になぜそんなに辛いのかがわからなかった。

架空の二次元の彼氏からのプレゼントでキャッキャしていることが辛いということであれば名義はそうであってもそれだけではないのである。
もちろん、(存在しないとしても)好きな人からの贈り物は嬉しい。実際指輪を贈られた時は「ひぃぇ……!?」と変な声が出た。

しかしそれだけではなく、友人が存在しない彼の思考を真剣にシミュレートしてくれたことと単純に私のことを考えてプレゼントを贈ってくれたことが嬉しい。
言わば彼と友人の共同名義のはちゃめちゃハッピーサイコープレゼントなのである。
その点で私たちは辛くもないし哀れでもないしむしろめちゃめちゃめちゃめちゃめちゃめちゃ楽しい。


もし「辛い」という単語がガチ恋夢女の方に向けられていたなら「人格を有している時点で生身の人間を好きになることと何が変わらないのか?」という私の認識だ。
私たち人間も三次元で恋する時は相手の一面を見て好意を持つがそれはキャラクターでも同じことであって、好きになることに相違はないと思っている。

現実逃避をしているわけではなく、単純に相手が好きなのだ。
歳を取れば結婚したくなるだのもっと現実を見ないとと言われても好きなものは好きなのだからしょうがない。
というか現実を見た結果生涯独身でも生きていけるように蓄え中だ。


好きな人を好きでいることは相手が存在しないというだけで悪いこと、哀れなのだろうか。

現実の価値観と自分の感情の折り合いがつかないことがどうにも辛い。

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