妄想大東京#9 『くらどのいる教室』
学校とは、檻だ。
社会も、檻だ。
学校は脱走しやすい檻だ。
社会は脱走しにくい檻だ。
「学校が好き」と認識できるようになったのはここ最近である。
私の現在通っている東京学芸大学教育学部表現教育コースは名前を聞いてパッとイメージが浮かばないように、おそらく学校側もイメージプランのないコースである。「表現」活動をしていれば、誰でも匿うことができる。
コース自体がふわっとしているので、もちろん授業もふわっとしている。表現教育には「とりあえずなんでもいいから発表しなよ」みたいな授業が数多く存在する。もちろんそこには何かしら縛りが存在する。
音楽を使った舞台表現をしろ!
モーショングラフィックをつくれ!
なんか調べてパワポで発表しろ!
表現手法だけは提示され、あとはもう本当になんでもいいのだ。
なんか…文字におこすとかっこいいコースだな。
いや、しかしめちゃくちゃダサいコースである。
ここにいる奴らは何もできないのだ。入試方式は小論文なので、他の美大などに行ってる人のように技はなにひとつ持ってない。かといって、尖った人が多いというわけでもない。
昨日も呆れてしまった。
パワーポイントでなんでもいいから調べたモノを発表するという授業で、ただ発表していた。
情報をつらつらと述べていた。くそだ。
なんのユーモアもない。くそだ。
トラブルが起こっても、黙ってトラブル解決へ向かう。くそだ。
まず、発表ではない。人に向けてない。くそだ。
そんなのただの座禅だ。くそだ。
という感じである。
しかし、だからこそ
学校が好きだ。
こんなに不平不満が言えるのだから。不満を吐露している時が1番幸せな気がする。言葉にパワーが宿る。平凡な人間が多いからこそ、それを破ることが容易い。それこそ表現である。
こうなってほしい。こうなりたい。と叫ぶ。これが私が社会、この世の中でやりたいことなのだ。
こんなに異彩を放てる場所は他にない。
#9
以上
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