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たまごかけごはんの話をしたい。

「この卵ってここに割るの?」

深夜食堂、というところに来た。店内は狭く、テーブルは4つ。私たちの右隣には中年の男性2人、左隣はホスト帰りの女の子2人が酒を片手に会話している。映画みたいだねと、オール後のテンションそのままに友人と言葉を交わす。赤いのれんが申し訳程度に掛かっている店だった。

「卵かけご飯だからそのままご飯の上に割るんじゃない?」

「え、どうしよう。このお皿に一回割ってから混ぜてみる」

この友人とは大学一回生の初日から友人である。英語のクラス分けの学力試験の席を私が間違え「席間違ってますよ」と話しかけられた時から、ずっと仲が良い。瞳がとても綺麗だ。瞳が綺麗で、声が本当に小さい。心が優しく芯が強い。

「この卵かけごはんさ、人生みたいじゃない?」

「深いね」

友人Aとする。Aは本当によく笑い、そして笑かしてくる。見た目に反してお笑い好きだ。私がよく分からん感性で意味わからんことを言っても、合わせてコメントをくれる。そして2人で笑い合う。

卵かけごはんセット、というものを頼んだ。

卵は小皿に入れられており、友人はそこに一度卵を割った。そしてよく分からないままその皿の上で卵をかき混ぜている。私はというと、分からないなりにご飯の上にぽんと生卵が載っているイメージがあったので、それ通りにごはんに直接割り入れてみている。

前にも似たことがあった。演劇部の夏合宿、帰りに同期4人と蕎麦屋に入り、最後に蕎麦湯を飲んだ。しかし4人とも正しい蕎麦湯を知らない。どのくらいこのお湯を注ぐのか、濃さはどのくらいが丁度いいのか、つけ汁に直接このお湯を注ぐのか、誰も何一つとして正解を知らなかった。4人とも分からないなりに、めいめいで適当なこのくらいだろうという量のお湯を注ぐ。こんなものなのかなと思いつつもそれを飲んでみる。合っていたのかなあといったふうな顔で見合わせる。全員がきっとバラバラの加減の蕎麦湯を飲んだが、その蕎麦湯の濃さの正解は飲み終わった後も分からない。周りの人は知ったふうな、なんでもない顔で蕎麦湯を飲んでいる。何度も飲んでますよ〜、みたいな。量くらいわかりますよ、みたいな。本当は皆違う濃さである。

これは、人生だ!と思った。

こんなものなのかなあ、と疑問を抱きつつも、とりあえず進めるしかないのである。他人と比べてみて、自分の卵かけごはんの方法が間違っているかもしれないと思う。逆に、相手の方法が間違っているのだと思う人もいる。だれもが1回目なので正解が分からない。みな不思議そうな不安そうな顔で卵かけごはんを混ぜだす。他人の卵かけごはんがうまそうに見えたりもする。自分のは失敗なのではないか、などと思う。しかし食べ終わった後にはこう思うのだ。

まあ、よかったのか。何が合っているのかは分からないけれど、悪くもなかったのか。と。


でもね、衛生的には、卵が殻のまま入っていた皿に卵を割るのは、私は違うと思うよ。

なんて、人生みたいですね。

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