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『体育教師を志す若者たちへ』第2章         体育授業研究の面白さ ~短距離走~           


 鉢花を買ってきて教室に置き、枯れたら捨てる。そんなことが繰り返されている各教室の状況に淋しさを感じてきました。ある年、2鉢もらったカランコエをその後挿し木でたくさん増やし、校内に飾りました。きれいな赤や黄色だったのが、挿し木を繰り返していくうちに、オレッジっぽい色ばかりに変わってきてしまうんですね。写真の木の台は生徒たちが作ったものです。花の見栄えはたいしたことないけれど、学校ってこういうことが大事なんだろうなと思います。             
 

 かけっこが速くなるにはどうしたらいいのか? だれもが一度は考えたり、悩んだりしたことがあると思います。たくさんの情報がネットに出ています。でも体育の授業はトレーニングの時間ではありません。走りのしくみをみんなの協力で調べ、集団で考え、分かって誰もが速くなる。そんな授業を創造してきました。
 今回は、短距離走の授業です。

 

第2章 授業研究の面白さ ~体育実技編~ 
  2 短距離走の授業で学ぶこととは? 

 陸上競技の授業で競走させて記録をとり、その結果で速く走れた人の評価が高くなるのだとしたら、それは学習したことの評価ではなく、発育発達の評価とか、部活動で鍛えた結果を評価をしていることになる。短距離走の授業では何を学ばせたらよいのだろうか。
 私は小さい頃から走ることが好きで、定年を過ぎた今でも陸上競技を楽しんでいる。しかし幸か不幸か、小さい頃から走るのは遅かった。中学の頃は陸上クラスマッチがあり、陸上部の私はバスケット部やバレー部のクラスメイトに負けていた。なぜ自分はこんなに遅いのかと涙を流して悔しがったことを今でもはっきりと覚えている。それが「不幸」な側面。「幸」の側面は、そのおかげでどうしたら速く走れるのかということをずっと考え続けてきた。そしてこうして体育の授業作りができるようになった。
 こんな私だから練習もせずに速く走れる人にそれだけででよい成績をつける気にはなれない。では何を評価するのか? 授業態度?頑張り? それも大事だが、それだけでは「態度主義」、「精神主義」などと批判を受ける教育になってしまう。走ることについての学習対象となる技能とは何なのだろうか。結論から言ってしまうと、それは、「全力で走っている時の走りのコントロール技能」になる。この技能は、もともと速い・遅いにはあまり関係ない。この技能を高めるために何を学び、自己の体を使ってどう追究できたかということが学習内容となり、評価されるべきだ。 
 私は生徒たちに各自の走りの特徴を調べさせ、ある程度課題が分かってきたところで次のように話す。「サッカーやバスケットをやっている人たちは全力で動いてディフェンスをかわしつつ正確にパスしたりシュートする。陸上競技も同じです。全力で走りながら自分の走り、特にストライドをどうコントロールするかが問題なんです。そのことができると確実に速くなります」と。

◇各自の短距離走への思い(第1時)
 これまで中学3年生に15時間ほどをかけて「短距離走(50m走)を追究する」という授業を続けてきた。15時間、約2ヶ月もの期間をかけて短距離走をやるなんて言うと生徒は驚くし、その前に体育教師としてそんな授業ができるのだろうかと思われるかもしれない。しかし、その単元を終えて提出される生徒たちのレポートを見ると、「走ることの奥の深さが分かった、すごい。自分もこうすれば速く走れるようになるということが分かった」といった感想が多く書かれてくる。
 まず生徒たちには、なぜこんな授業をするのかということを説明しなければならない。義務教育修了の最後の年であり、これまで学んできた体育の総まとめになる年だ。これからの自分人生の中でスポーツとどう関わっていくか、そのための「生涯スポーツ」について考える1年間にしよう。その最初の単元となるのが短距離走なのだと説明する。それがなぜ短距離走なのか? それは、もっとも単純な運動だと思われてていて、だれもがやってきいる。その「走る」ということが如何に奥が深く追究に値するものなのかということを体験させたい。その上で、その後の単元からは自分たちで計画を立て、自分たちの力で追究的な学習を進めていく。短距離走学習は、その後の学習のためのオリエンテーション的な単元と考えている。
 人は生まれて1歳くらいで立ち上がり、歩き始める。走るという運動は3歳くらいからできるようになる。そしてこの頃から保育園や幼稚園では運動会の「かけっこ」が始まる。小学校の運動会では定番種目で、走ることについては誰もが様々な思いを持って育ってきた。それをまず作文に書かせる。速い人が必ずしもよい思いをしてきているとは限らない。いつもリレーの選手にさせられ、人前で走るのがいやだったという人もいる。そんなそれぞれの思いを第1時間目に交流する。その中では私の苦い思い出も生徒たちに話す。そして生徒たちに問いかける。「義務教育最後の年になる。人それぞれ短距離走には様々な思いがあるが、もうこれ以上速くならないのだろうか。もう一度走ることを徹底的に追究してみないか?」と。
 いよいよ次の時間から実技を開始する。まずは最初の2時間ほどを使って自分の力で50m走に挑戦させる。ここでは正確なスタートの仕方と計測法の確認も必要だ。フライング気味だったり、時計操作がいい加減だったりして実力以上のタイムが出てしまうと、その後の学習がつまらなくなる。2時間かけて挑戦すると10本くらいは走れる。そろそろ脚も痛くなり始める。もうこれ以上速くならないというところまで行かせてから、いよいよ本格的な学習に入って行く。

◇走りの教材研究
 私は短距離走の授業実践について、学校体育研究同志会の次の3つの実践に注目してきた。一つ目は1980年代に出原泰明氏が始めたいわゆる「田植えライン」。スタートからゴールまでの足跡が田植えをしたように並び、その様子から走りの特徴を捉えることができる。二つ目は、50m走の通過タイムを10mおきに測定し。スピードの変化を見る実践(スピード曲線)。そして三つ目は、速く走るための練習方法になるが、ほぼトップスピードになる中間疾走からゴールまでの区間に4歩毎のマークを置き、4歩のリズムで走る「リズム走」(あるいは「マーク走」)。
 これらは興味深い実践だが、他の人が行った実践や研究をそのまままねをしてもうまくいくものではない。自分自身でやってみて検討し直す作業が必要になってくる。
 一つ目の「田植えライン」は興味深いものの、そこから何を学んで、どうすれば速く走れるようになるのかということがよく分からなかった。次に私は「スピード曲線」に注目した。スタートしてから10m,20m,30m,40m,50m地点にストップウォッチを持った生徒を立たせ、スタートしてからの通過タイムを測定する。そして差し引きをして10m毎の通過タイムを算出していく。するとスタートしてから次第にスピードが上がってくるが、トップスピードは維持されず、低下する区間が出てくることが分かる。それを何とかしようという課題につなげていく。
 しかしこれを学校でやってみたところ、タイムの測定が生徒たちは正確にできない。各区間の通過タイムを差し引きして区間スピードを算出するので、一カ所でもストップウォッチの押し方に誤差が出ると、その地点の前後両方の区間のスピードが違ってきてしまう。つまりある地点の生徒が一瞬遅く押してしまうと、その地点の前の区間は遅くなり、次の区間は速くなる。また、スタート時は5人が一斉に時計をスタートさせるのだから、それも5人が正確にできるとは限らない。「ごめーん、押し間違えた!」という生徒が授業ではよく出てくる。すると測り直しになるし、走り直す生徒も大変だ。これでは「科学的な分析」にならない。最近ではパソコンを使って通過タイムを測定していく器機も開発されてきているが、生徒たちが協力し合って自分たちの手で測定し、調べていくことも大事な学習だ。いったい何を調べ、何をみつけさせて、何をさせれば授業の中でそのことが頭で「分かり」、体を使って「速くなる」のか?

 1980年代の学習指導要領には、「必修クラブ」という授業が週1時間設定されていた。私はこの頃「スポーツ研究クラブ」というクラブを立ち上げ、生徒と一緒にいろいろなスポーツについて調べ、考えていった。私は50m走で、一回の走りを調べただけでその人の走りの特徴が分かるのだろうかということにまず疑問を持った。再現性のある事象に目をつけていく必要がある。そこで私は、一人の生徒に休息を入れて7回50mを全力で走ってもらい、その時のスタートからゴールまでの足跡写真とストライド(歩幅)変化、スピード曲線、そしてビデオ撮影を行った。ビデオからはピッチ(足の回転数)を算出することと、10m毎のスピード曲線を作成した。この時は正確なタイムをとる必要があるため、後日ビデオを再生して私がタイムを計った。
 7回走った時のスピード曲線が図のグラフである。スピードが落ち込む区間は毎回違うし、落ちない時もある。そしてスピードの落ち込んでいる区間に何らかのストライド変化があるのか調べてみたが、特徴的なことはみつけ

同じ人が7回走った時のスピード曲線

られなかった(みられる場合もあったのかもしれないが、それがスピードの落ち込みに原因があるとして一般化することはできなかった)。そして7回の各50m走のタイムの善し悪しに影響を与えているのは、スピードの落ち込みやストライド変化ではなく、中間疾走付近のピッチだということをつきとめた。ピッチの速いとき、たぶん調子がいいときなのだろうが、タイムが上がっていた。中間疾走付近のピッチとゴールタイムとの相関係数は0.947だった。こうした「研究」の進め方は体育系の学生時代に学んだことだ。
 
◇技術としてのストライド(歩幅)の調節 
 ではピッチを速くする練習をすれば速く走れるようになるのだろうか。しかしピッチはそう簡単には速くならないと言われているし、ピッチはストライドによっても違ってくる。しかも、ピッチを速くするトレーニングを授業課題にしてもつまらないだろう。私はストライドを問題にしたくなった。そこでスタートしてからゴールまでの一歩一歩のストライドをグラフにしてみた。
 様々な走りの情報から本質的なことを見つけ出していく。対象としているのは発育途上の生徒たちだ。大学の先生方やコーチが最先端の機器を駆使してトップレベルの選手を分析した研究は山ほどある。しかし研究している相手が違う。私は何日かストライドグラフを見て考え続けた。そしてある時にハッとするひらめきがあり、ほぼ全てのことが結びついて見えてきた。これが現場研究の面白さなのだと一人で喜んでしまった。それは水中呼吸で初めてバケツの空気を吸った時のあの感動に似た光だった。
 読者はまず、自分が全力で走っている時をイメージしてみてほしい。前へ前へと速く進みたいので足を速く動かし(ピッチを上げる)、足を前へどんどん出していく(ストライドを伸ばしていく)。しかし前へ前へと足を出してもストライドには限界があるからそれ以上は広がらない。しかも、足を能力以上に前方へ出して着くとブレーキがかかり、接地時間が長くなることからピッチが低下する。この状態でもがいているのだ。そのあたりをストライドグラフで見ると(下図)、中間疾走の辺りでストライドか数歩広がってはガクンと縮む、その繰り返しが起きている。これを私は「もがき型」と名付けた。
 

スタートしてからゴールまでのストライド変化

 一方、スタートしてからトップスピードに至るまでは順調にストライドが伸びていく。しかも左右差がある。左右の脚力に違いがあるのだから、ストライドに左右差はあるのは当たり前と考えるべきだ。トップスピードに至るまでは規則正しく左右差を出しながらストライドを広げていく(上図のように加速時に左右差のない人もいる)。しかし、トップスピードになると、その規則正しさが失われ始める。普通に考えれば、右脚の方がキック力の強い人はその時のストライドは広くなり、次の左で縮むはずだ。しかしそれが前へ前へ出ようともがいている時はそうならず、狭くなるはずのストライドを広げてしまう。コントロールできていないのだ。その結果としてのブレーキ、そしてピッチの低下だ。リズムが乱れている。その繰り返しが全力疾走中に起きているのだと理解した。
 後述するが、これは素人の走りだけでなく、トップレベルの競技者においても、特に勝負をかけたゴール直前に起こる。あせって前へ出ようとした時にストライドを伸ばしすぎてピッチが低下し、結果としてスピードが落ちて負けてしまうということが起こりがちなのだ。
 

スタートからゴールまでの足跡に缶を置く。
本人は全力でまっすぐに走ろうとしている。 

 また、キック力に左右差があればまっすぐ直線上を進めないのも当たり前と考えるべきだろう。右脚のキック力の強い人は左へ曲がりがちになる。それを補正しているのが腕振りなどの上半身の動きになる。ストライドグラフと足跡写真(写真)を照合させてみると、スタートしてからキック力の弱い(ストライドが狭い)方へ曲がりかけては戻そうとしている様子を確認することができる。その修正力も技能の一つになってくる。
 後で分かったことだが、野球部やサッカー部などには足の速い生徒がいるが、彼らの50m走の足跡はまっすぐになっていない。なぜなら、それらのスポーツではまっすぐ走る必要がないからだ。まっすぐ走ることよりもディフェンスをうまく避けて速く走ることが求められる。一方、陸上部でまじめに3年間走ってきた部員の走りはまっすぐになる。面白いのは陸上部の中で足の速い部員であっても、真面目に3年間やってこなかった部員の足跡はまっすぐにならない。こんな話を測定前にみんなにしておくと陸上部員はビビってしまうから面白い。こうしていろいろなことが分かってきて授業への見通しが持てるようになり、楽しみになってきた。

◇自分の走りを調べる(第4,5時)
 さて、2時間かけて自分の力で50m走に挑戦した後、生徒たちにこれからどうしたらいいのかと問いかける。速く走るためには何をすればいいのか? 生徒たちからは①「足を速く動かす(ピッチを上げる)」、②「足を前に出す、歩幅を広げる(ストライド)」といったことが出てくる。そしてもう一つ大事なことに気づかせる。それは③「まっすぐ、スタートからゴールまでの最短距離を走る」ことだ。この3つができていれば確実に速く走れる。生徒たちからは、「腕を振る」「筋トレをする」などいったこともいろいろ出てくるが、それらは最終的に上記3つを達成するための補助的なことであって本質ではない。
 そこでこの3つがどうなっているのか、調べる作業を始めさせる。教師はこの作業が効率よく進む手順を考える。30人規模の学級なら3班に分け、うまくやっても3時間はかかる。まず、足跡が残るようにグラウンドが整備されていなくてはならない。これは日々の体育教師の心がけだ。よく部活顧問はグラウンド整備を部員たちにしっかりやらせ、グラウンドに礼までさせるが、私は授業のためにこそグラウンド整備を入念に自分の手でしてきた。    
 足跡を調べるためにはグラウンドブラシが必要だ。次に足跡に目印となる何を置くか? 小学校の実践ではよく玉入れの玉が使われるが、中学にはない。私はコーヒーやジュースのショート缶を足跡に立てていくことを考えた。これが一番よく見えて写真にとっても走りの曲がりの様子がよく分かる(写真)。一回の測定に40本程の缶が必要なので、3班だと120本必要になる。私はコンビニを何軒か回り、店にお願いしてゴミ箱の空き缶をいただいてきた。タバコの吸い殻が入っている汚れた物もあったが、それをすべてきれいに洗って準備した。

 きれいに整備されたコースを全力で走らせ、手分けして足跡に空き缶を立てていく。同時にゴールタイムだけ計り、10m毎の通過タイムは計らない。そしてゴール手前から見た空き缶の並びの横に本人を立たせて記念撮影をする。それから空き缶ひとつひとつの間隔を巻き尺で測定していく。
 いい加減な走りをした結果を分析しても意味がない。よそ見をしながら走れば曲がっても当然だ。「スタートからゴールまで全力で必死に走れ、曲がらずまっすぐ走れ!」と気合いを入れて走らせる。その結果として何が出てくるか、それを見なければならない。

一歩一歩のストライドを計測する

◇走りの分析(第6,7時)
 全員分の測定が完了したら、次からの2時間は教室で分析をする。1時間弱でデータの集計とグラフ作り、次の時間にその検討をする。スタートからゴールまで、横軸に歩数(何歩目か)、縦軸にストライドをとり、折れ線グラフにしていく(図)。しかしこのグラフでは〇歩目のストライドは分かるが、それがスタートから何メートル付近なのかは分からない。そこで、電卓を使ってスタートからのストライドを順次加算していく。そのことで、〇歩目はおよそ何メートル付近なのかが分かる。スタートからゴールまでのストライドを全て合計すると51~52m程になり、蛇行して走っている生徒は余分に長く走っていることも分かる。50mのタイムと歩数が分かっているので、歩数÷タイムで、平均的な足の回転の速さ(ピッチ)も算出できる。
 ストライドを積算したりグラフにしたりする作業の進度は個人差がある。足跡の写真も配付しておき、作業が終了した生徒から自分の力で考察を進めさせる。全員の作業が終了したところで自分の結果だけでなく、友だちの結果もお互い見合い、全力で走っている時に何が起きており、どうすれば速く走れるようになるのか考えさせていく。最近ではICT器機の活用が盛んだが、巻き尺、ストップウォッチ、電卓の使用、そしてグラフ用紙への手書き、各自のグラフの見合いという手作業こそが大事だと考えている
 個々の生徒のストライドグラフを見て回ると、ほとんどのグラフに前述の「もがき型」が出ている。そして足跡写真と照合してみると、キック力の左右差が走りの蛇行を生み、それが修正されつつゴールへと向かっていることも分かる。
 そこから導き出される、速く走るための結論は、①「ストライドを調節して走る」ことと、その調節をしやすくするために、②「全力に近い走りの中でも、リラックスしてリズミカルに走る」ということになる。

◇1991年の世界陸上東京大会
 私がこんな授業研究を始めた頃、陸上の世界選手権大会が東京の旧国立競技場で開催された。100m決勝。この時に当時の世界記録を持っていたバレル選手がゴール直前でカール・ルイス選手に抜かれ、ルイス選手が世界新記録を出した。この大会で日本陸連の研究チームは、スタートからゴールまで10m間隔に10台のビデオカメラを設置し、ストライド変化、ピッチ、スピード変化、走りのフォームなどについて詳細に調べていた。「日本人はマラソンでは世界で通用するのに、なぜ短距離はダメなのか?」、当時のこんな状況を何とか打破したかったのだ。その研究成果が現在の日本人の9秒台突入へと繫がっていった。
 この研究結果は当時の『月刊陸上競技』に掲載された。ルイス選手はこの時30歳、後輩のバレル選手には勢いがあった。スタートしてから後半にかけてバレル選手がリードしていた。しかし、バレル選手は勝ちを急いでしまった。ゴールに近づいたときに前へ前へ出ようとしてストライドを広げすぎ、ピッチが落ちたのだ。その結果スピードがわずかに低下し、ルイス選手に百分の一差で抜かれてしまった。世界のトップレベルでも100mの最終盤はスピードがわずかに低下する。しかしルイス選手は焦らず、自分の走りをコントロールしていた。ゴール直前に前へ出ようとするのではなく、逆にストライドをやや狭くしてピッチを上げることで低下しかけたスピードを上げていた。その動きの様子は当時放映されたテレビ映像からも確認できる。生徒たちにもこのビデオを見せてきた。
 世界のトップレベルの選手たちのレースの課題は中学生の短距離走にも通ずるものがある。その後授業を進めていく中で、また同じレース展開を今度は2015年に北京で行われた世界選手権決勝、ボルト選手とガトリン選手の対決で見ることができた。この時、世界記録保持者のボルト選手は調子を落とし始めていた。準決勝では10秒を切るのが精一杯だった。それに対してガトリン選手は絶好調で、準決勝では最後流して今季5回目の9秒7台。決勝でも焦らず最後はストライドを調節してピッチを落とさなければ楽に勝てたはずだ。しかし、最後の10mで、バレル選手のようにあせって前へ前へ出ようと頑張ってしまった。そしてやはり百分の一秒差でボルト選手に抜かれたのである。ボルト選手は9秒79、ガトリン選手は9秒80だった。この走りの様子も当時のビデオから見て取ることができる。

◇各自の走りの特徴をみつける
 さて、第7時では各自の走りのストライドグラフ、足跡写真からその特徴をみつけさせる。生徒たちの机をまわってそれぞれのストライドグラフを見ると、ほとんどのグラフに「もがき型」が出ている。友だちのグラフとも比べさせながら、共通事項をみつけさせようとするが、なかなか生徒たちは気づいてくれない。教師の私が何日もグラフとにらめっこしてようやくみつけたことだ。そう簡単には見つからないのかもしれない。
 そこでしかたなく「もがき型」の説明をして再度自分のグラフ、友だちのグラフを見させる。ここでようやく、「分かった」となる。足跡写真からは、ここが右足、左足と確認させていき、キック力の強いほうはどちらなのか辿っていくと、曲がっていきやすい方向が見えてくる。そしてそれを途中で何とか修正しようとしている。その結果が蛇行になる。
 こうした結果から見えてくる結論は、①全力に近いスピードの中でもストライドを調節すること。そして、そのために②リズミカルに走ること(キック力に左右差があるので、強弱のリズムを大切にする)が導かれる。

◇リズム走
 私が学校体育研究同志会の全国研究大会で初めて「リズム走」(マーク走)を習ったとき、全力で走っていないのにこんなことで速く走れるのだろうかと疑問に思った。しかし、やってみると速くなる。しかし、その原因が当時の私にはまだ分からなかった。ストライドを調節しようとして意識をそこに向けたらたらピッチは落ちるはずなのに。
 リズム走では、スピードに乗ってきた20m付近からストライド4歩分(ストライドが150cmならその4倍の6m)毎にマークを置き、そこをまたぐように1,2,3,4のリズムで走り抜けていく。1歩ずつストライドにマークを置いてしまうと下を見ながら1歩1歩合わせていかなければならないのでこれではうまく走れない。4歩毎にすると間の3歩はマークがないから自分の感覚でストライドを調節しなければならない。4歩目でマークを確認して合わせる。それでもうまく合わせられないから最初の段階ではスピードが落ちる。そのスピードの低下は、ストライドはほぼ一定なのだからピッチの低下ということになる。しかし、それがリズミカルにできるようになるとピッチは上がる。前へ前へ出ようとして足を前に出してブレーキをかけてしまうことがなくなるからだ。走っている人の意識は、前へ出ようと前へ足を出す意識から、前に出した足を速く振り下ろす意識へと変わっていく。しかも、その結果としてピッチは上がり、うまく走れるようになってくるとストライドも伸びていく。足を速く、強く振り下ろすことがキック力の向上に繫がるからだ。

 

リズム走、スタートから20m通過後の辺り

 最初の段階のストライドでのリズム走に慣れてピッチが上がり、脚の振り下ろしの速さ・強さが増してキック力が高まってくると、こんどはそのストライドでは合わなくなってくる。その段階に来たらマークの間隔を1歩にき10cm(マークは4歩で40cm)広げていく。新しいマークではまた足を合わせようとして最初はピッチが再び低下する。ストライドが広がっているので着地にブレーキがかかり気味になっていることでピッチがやや低下しているのだ。しかしその走りに慣れてピッチが戻ってくるとまた速くなる。なぜなら、広いストライドになっているのでその分同じ歩数でより前へ進めることになるからだ。最初のストライドでのマークと同じピッチで、次のやや広げたストライドのマークで走れていけば、確実に前へ速く進むのでタイムが向上する。このリズム走では基本的に毎回走る毎にタイムを計っていく。そしてタイムの違いはピッチとストライドとの関係から説明できることになる。
 まっすぐ走ることも課題となる。私が考えた方法は、この4歩毎のマークを50cmの長さに切った水道ホースで作る。ホースの中には園芸・農業用のfrpポールを45cmに切って入れる。frpポールは1本2m(太さ5.5mm)のものが100円程度で売っている。ホースの両端は大きめのホチキスで留めておくと中の棒が出ない。これなら踏んでも安全。50cmの幅のマークを超えていくので左右に大きくブレずに走っていくことができる(写真)。後述するがこうした用具(教具)を開発することも体育教師の大事な研究のひとつだ。

授業の初めにみんなでマークの棒を設置する。
      写真には150cmと160cmのコース表示が見える。   

 さて、では最初の段階のストライド(マーク)をどこに設定するかだが、測定されたストライドグラフの20m以降を見て、無理なく走れそうなストライドを10cm単位で設定する。平均ストライドが165cm位なら160cm×4=6m40cmの間隔。スタートから20mの位置に最初のマークを置き、それ以降6m40cm間隔でマークを置いて4歩のリズムで走っていく。やや狭いので最初はつんのめったようになってうまく走れないだけでなく、狭くて3歩でマークを超えていく区間もでてきてしまう。しかし、ここを何とかして4歩で走れるようにしなければならない。これが課題となる「ストライドの調節能力」なのだ。やや広すぎるストライドのコースなら無理かもしれないが、やや狭いコースならできるはずだ。できない場合、その理由は大方接地の瞬間の姿勢・四肢のバランスの問題になる。
 走能力に関するこれまでの発育・発達研究で、接地時における接地脚の大腿部と後ろ脚の大腿部の角度を研究した論文がある。小学生や走りに慣れていない素人の走りでは、この角度(大腿角度)が大きく、接地時に後ろ脚が大きく残されて大腿角度を大きく開いて接地している傾向がある。接地足は大きく前に出されているので踵から接地している。それが速く走れるようになると、この大腿角度が狭くなっていき、ブレーキが少なくなってくる。 この考え方をリズム走に当てはめて考えて見よう。やや狭いストライドのコースで走った時、つんのめりそうになってしまうのは、接地時に後ろ足が大きく後ろに残されていて大腿角度が大きいまま接地しているからだ。接地時の身体バランスがとれていない。陸上関係者たちはよく「切り替えを素速く」というのがそれで、空中にいる時に前脚を速く下ろし、後ろ脚を前にもってくるようにして接地時の大腿角度を小さくする。上体は前傾せず、垂直に起こす。接地時は頭から上半身、接地脚が一直線の垂線になるようにする。しかしこれがなかなか難しい。何年も走ってきた動きを変えるのは簡単にはできない。しかし、そこをなんとかして、まずは「やや狭い」ストライドの4歩分のコースで足が合わせられるようにする。

 中学3年生だと、この最初の「やや狭い」コースで、クラスの3分の1くらいが速くなるかベストに近いタイムを出す。全力でがむしゃらに走っていないのに速くなることに生徒たちはまず驚く。そしてほぼベストに近いタイムが出てきたら、10cmストライドを広げたコースに移る。4歩分=160cm×4=6m40cm毎にマークの置かれたコースで走っていた人は今度は4歩分=170cm×4=6m80cmのコースで走る。ここを前回と同じピッチで走れれば、4歩について40cm前に出ていることになるので、ゴール付近では1m20cmくらい前に出られることになる。こうして1~2段階くらいストライドを伸ばしていき、最終的に新しい力での自分のベストのストライドを決めていく。この指導の中で、腕の振り方や上半身の角度、接地の仕方などを、状況を見て細かく教えていく。
 リズム走に6時間程度かけ、学習のまとめの段階では、スタートから20mのマークまでの走り方、マークを過ぎてからの4歩のリズムでの走り方、そしてゴール付近のフィニッシュの走り方を決めていく。中間疾走では当初よりやや広いストライドになっている。ゴール付近では疲れも出てくるので、その新しいストライドでは届かなくなってくることもよくある。そこでやるべきことはカール・ルイス選手の世界選手権大会でのゴールと同じ。ストライドをやや狭くしていいのでそのぶんピッチを上げてゴールする。

スタートの工夫。 穴を掘る? スターティングブロックを使う? 
姿勢はスタンディング? クラウチング?

 スタートの仕方の学習も加え、最終的にまとめの記録会を行う。各自にスタートからゴールまでの走りのイメージを作らせておく。事前に、勝負したい相手、あるいは一緒にレースしたい相手の名前を挙げさせておき、こちらで記録会のプログラムを作る。15時間かけて自分の走りを追究してきた結果としての発表の場だ。公式競技会と同じように「オン・ユア・マークス」、「セット」。号砲は雷管を使う。生徒たちは大いに緊張し、スタート直前は心臓ドキドキになるという。単なる1時間の体育の時間なのに、世界陸上の決勝にでも進んだような気分なのだろう。

 学習のまとめとして、自分が速くなった仕組みを説明するレポートを提出させる。「走るってこんなに奥が深いんだ」、「自分も速く走れるようになることが分かった」。という感想がたくさん出てくる。

~単元終了後のレポートより~
〇「最初に何も知らずに走っている自分とは違う人かのようにスピードを上げることができた。また、たくさんの新しいことを知ることができた。50mという短い間にこんなにもたくさんのことがあったなんてとてもビックリした。記録会で思うようなタイムがでなかったのは少し残念だったけど、学習していく上でどんどん記録が伸ばせたので良かったと思う。もちろんまだ細かいストライドの調節ができたら記録が伸びたなぁと思った。最後には自分の課題であった横ぶれやストライドの一定化がうまくできていたのではないかと感じた。スタートについて調べる時は真面目にやりながらも楽しいなと思った。また、自分の考えが生み出せたので、その点ではできたんではないのかなぁと思った。今回の学習で一番ビックリしたのは6秒台に乗ることができたということだった。自分にはできないと思っていた6秒台。結果を見たときは喜びが心からあふれ出てきた。やり方次第でこんなにも変わるものなのかと改めてスポーツ、陸上のすごさを感じさせられた。とても楽しい単元だった。」

〇「自分が短距離走が苦手な理由は、スタートの瞬発力がないことと、全力で走りきる体力がないことだとばかり思っていた。この2つも重要なことではあると思うが、今までそれだけを改善しようとしていて、練習してもタイムが上がらず、『自分はどう頑張っても速くならない』と諦めかけていた。そのため、一定のストライドで走ると本当に速くなるのか疑問に思っていた。ところが最終的に0.5秒タイムを上げることができた。小学校の頃はタイムを2秒上げるのに5年もかかっていたが、わずか15時間程の練習でここまであがるとは思っていなかった。今まで大人がこのようなアドバイスをくれたことはなかったので、自分たちの世代がこの練習方法を次の世代へ受け継がせていきたいとも思った。」

     ・・・・・・・次回はバレーボールについて考えます。 

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