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ペットロス

自身の心の整理と治療のため、矛盾してコロコロと移り変わる感情などを、気にせず書き殴ろうと思います。

そのため、ネガティブで同じことを延々と繰り返している時もあるとおもいます。
不快指数が高いものだと思いますので、読んでいてしんどい時は、気にせずスルーして下さいます様、よろしくお願いいたします。

書こうとしたきっかけは…呟きでポツリポツリ呟いたことはありますが、1番書きたくなかった猫のこと。
まだ未消化で、全く心の整理がつかず、けれど、今、私の状態を悪くさせているのは、なかなか立ち直れない自分の心なのです。
このままではいけないと、詩でもエッセイでも何でも思いつくまま、辛い気持ちならそのままアウトプットして、早く消化しなければ、私自身どころか誰も幸せにならない。
何よりあれだけ頑張って生き切ってくれたあの子に胸を張って「幸せだったよ!ありがとう!」と言えない。
今のどうしようもないボロボの状態を、以前くらいには戻して笑って過ごしたい。
日常生活を普通に送れる様に取り戻す。

今もいろんな気持ちを言葉にして、散々泣き通してこの時間に至る。
このままではいけないと、ずっと思っているので、そう言うことになるたび文字にすることに決めた。

双極性障害・不安障害・HSP…とにかく情緒に関わる病気や特徴がある私が、今年の4月に10年一緒に過ごした猫を亡くした。
家族はもちろん泣いていたし、終末期には息子も苦しんで病んでしまっていた。
旦那も職場で猫の訃報を私から聞いて、ずっと泣きながら仕事をしていた。

それでも今、自分たちの中で彼女のことを思いながら、各々のやるべき事をしている。

きっとみんな同じ痛みのはずなのに、私だけ極力家族のわからない時に、声をあげて何時間も泣いている。

私が発病する前から一緒に過ごして、彼女になんでもない日常を話したり、愚痴をこぼしたり、遊んだり。
撫でてもらうのが大好きだった彼女の、柔らかな毛に覆われた身体を沢山撫でた。
本当に撫でた。
その暖かさと感触、幸せそうな可愛い表情に癒され、そしてあまりに長時間撫でさせるので、腕が痺れることもよくあった。
最長で、1時間半は撫でていた記憶がある。
時間の記憶のないものは、短いものもあれば、もっと長いものもあっただろう。
とても良い思い出だ。

私が発病してからは、ますます私の心の支柱になっいたのだと思う。

また猫のことで、寂しくて、理不尽で、苦しくて、辛くて、もっと一緒の時間を大切にすればよかったと言う後悔や、ああすれば、こうすればと。たらればな既にどうしようもないことまで浮かんで、何より可愛くて、愛おしくて泣いてしまう。

今は整理をする時期だと思う。
猫の死をきっかけに、私の精神状態は今までで1番悪い。

コントロールできないほど、ここまでの激しい躁鬱は経験がなく、睡眠障害まで悪化している。
そして、無気力も重症。
でも、書くことをやめれば、私はきっともっとダメになる。

私のため、家族や猫のためにも小康状態に戻らなれれば。

治療の一環として、その時の悲しみや感情が押し寄せてくるたびに書き記していこうと思う。

感情だけで書くので、理屈や過ぎたことは全て無視がルール。
文脈や誤字も多いと思う。

猫のことを思い泣くたび、同じ言葉の繰り返しでも、そのたびにその時の気持ちを書き殴ろうと思う。
そうして、消化し、整理し、いつか、私の心の大切なテーブルに、彼女の思い出と彼女を飾る。
テーブルを見て思い出しては、穏やで幸せな気持ちになるのだ。

とにかく、私は彼女との沢山の幸せな思い出で笑い、泣かずに幸せをありがとう。と言えるようになりたい。
そして、精神の安定と安眠を目指す。

そして最後は、幸せだったと心の底から彼女の生き方に恥じない様、生きていける様になりたい。