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トラストフルな世界でトラストレスを叫ぶ

トラストレスが大切だとブロックチェーンの教科書に書いてある。だが現実はどうだろうか。案外トラストフルな世界で出来ている。

人間が何かをやろうと思ったとき、そのどちらかがトラストを引き受けなければならない宿命にある。例えば私がこのnoteを書く、皆さんが読むという一種の契約を考えた時に、これが事前に契約されたものだとすれば、私が書かないという可能性を否定できないし、あなたが読まないという可能性も否定できない。つまり、何等かの将来の約束をするかぎりトラストは発生するということだ。

人が何かを行うということを「確定」させることはできるだろうか。何かを確定した後に何かを行うという手順を踏んだとしても、最終的にその行為をしない可能性を排除できない。

つまり、人間はどこまでいっても誰かを信用しなければならないということなのかもしれない。

トラストレスな取引というのは何を指しているのか。それは、お金を払う方がちゃんと払い、モノを受け取れるという確信を持てる状態ということだ。

何らかの取引においてそれは必ず起こる。相手がちゃんとブツを渡してくれるのか、逆側はブツを渡せばお金がちゃんと払われるのか。

ここが港の倉庫だったら、ドラマのワンシーンだろう。渡した後に消されるあれだ。

これはどんな取引においても起こる。だからこそ信用を看板にして商売をしてきた暖簾が重要だしそれを守り抜く意思によって世の中が回っているともいえる。

世の中の物語は信用と裏切りによって起こっている。だから、もし本当にトラストレスな世界が来たとすれば、それは何の物語も起きない世界なのかもしれない。果たして私たちはそんな世界を望んでいるのだろうか。

もちろん、だまされたくないし、正しい取引が常に行われることは正義だ。しかし、現実の世の中は信用と不信の狭間で揺れ動いている状態であり、それが私たちの世界そのものだともいえるのではないだろうか。

このトラストフルな世界で、トラストレスがどこまで必要とされているのか、そしてトラストレスな世界がどのようにこの世界を変えるのか。私たちは大きく変わる未来の手前の岐路に立っている。

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