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豆腐屋の娘が豆腐を食べれなくなった日ŧ‹"ŧ‹"ŧ‹"ŧ‹"(๑´ㅂ`๑)ŧ‹"ŧ‹"ŧ‹"ŧ‹"

私は生まれた日から、

豆腐屋の娘(半分は郵便配達員の娘)

私の🎵豆腐屋あるある~🎵🎵

朝ごはん
味噌汁の具は豆腐と〇〇が多い
目玉焼きより生アゲが多い
(生アゲは2度揚げするんだけど、1度しか揚げない状態のもの。)

手が大きい
女性陣が活躍してた などなど

私は、3食豆腐料理でも飽きない豆腐っ子でした😆
うちの豆腐は絶品でした😍
作っていたのはおばあちゃん👵毎日、夜に大豆を仕込み、翌朝3時起き。(大豆は気候によって、水につける時間が変わる。それは長年の勘)
腰が曲がってるのに、思いであろう豆腐20丁分の固まりをひょいっと持ち上げる。切り分けた豆腐を手作業でパック詰めしていき、機械で、フィルムで真空パックする。

この作業を、ほぼ毎日やっていた。

おばあちゃんが作る豆腐が*´ㅅ`)ダイスキ♥だった

豆腐の種類は、木綿と絹のみ。王道である‼‼
だから、ごま豆腐もたまご豆腐も食べれなかった💦💦大豆の味がする豆腐が好きだった🥰

値段は木綿150円、絹180円
当時だと、高めではあってたと思うけど、地元では有名の豆腐屋だった。
施設や学校給食、スーパー、朝一と、たくさんの方に食べていただいていた。

そんな私が豆腐を食べれない日が来るなんて……

‪ウエー(๑o̴̶̷̥᷅﹏o̴̶̷̥᷅๑)ーン

きっかけは、両親の離婚……。
両親が離婚すると同時に、2代続いた豆腐屋を閉めることになった。

19年間、他所の豆腐を食べてこなかった私には、全ての豆腐が美味しくなく、辛いものになっていた。

両親の離婚は、年齢で解決できるものではないんだとはっきり分かった。子供が小さい時にとか、もう子供が巣立ったからとか、まったく関係ない。心の傷でしかないんだと、気づいた日だった💦💦

どれくらいだろう……数年経ち、気持ちの整理がつき始めた頃、やっと豆腐を食べてみようと思えるようになった🙄

『私が大好きな豆腐は二度と食べられない』

と、諦めた時、私の幸せだった頃の記憶がなかったかのように思えた。

まわりが前に進んでるのに、私ばっかり立ち止まっててはいけない。

そう思えたことは、私が前に進もうとしてる証拠だ‼‼

σ(・д・мё))私と豆腐[ 'ω' ]

たかが豆腐、されど豆腐

私の幸せな時期に、豆腐は欠かせないものなのだ

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