より良くするための変化

手術入院をすることになった
大切なものが今までと形が変わることになった

ぜんぶ本当はちゃんと
悲しくて寂しくて怖くて苦しいけど


すべてが前より
良くなるための変化だということを
確かに強く前を向いて手を取り合ってゆきたいね


それは他人と、自分のこころと。

大丈夫だ、大丈夫にはするものだからと
よく言ってきたものだけれど

大丈夫っていうか、平気な顔をして
大丈夫を超えて笑い合えるところに向かってゆきたいのよね 
大丈夫を言わなくても、大丈夫って。

憧れのひとたちが、夢を追う形をかえると先日発表した。
形が変わる彼らはきっと私の想像を遥かに超えて驚かせるような未来を見せてくれるのだと思う。

私も大丈夫にする程度ではいられないなと思う。

よく、儚さが素敵だと言葉をもらってきたように思う。
ありがとう、って思う。そうやってわたしは続けてくることができたから。

でも、もう次のステージに行きたいなと思う。
儚さは継続するべきもんじゃないと思う。
それが他人に伝わるほどのときって、表現であれ、相当苦しいものだから。

ただ、儚さを纏うほどの記憶があることで、より人間は強くなれるともわたしは感じている。
それは相当大切な記憶だった証拠だから。

だから過去を否定しないし、
これからの儚さも否定しない。
これからは、ただ。

また少し薄い一段上を確かに踏みしめて、
その中できっとまた不意に青い記憶を重ねていく。それはもう避けては通れない道だから。
避けては通らなくていい道だから。
でも、同じところにいるわけではなくて、
螺旋のように少しずつ進んでいく。

ここではないもっと遠くに、でも確かにこの重なりの先にある場所に行くために。

儚さを誉れとされることに
甘んじるのはもう終わりだ

気合いのカレーを食べました
俺らは明日も生きますので

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?