人生における競争について
こんにちは、たちばなです。TOEICについての記事を書こうと思っていたのですがゼミの所属を考えていたら時間が取れなかったので今回は人生における競争の意味を書いていきたいと思います。編入の勉強に直接関わることでは無いのですが、受験生活を通じて私がひしひしと感じたことなので目を通してもらえると嬉しいです。
【競争とは】
そもそも競争とは何なのでしょうか。
端的に述べると、競争とは限られた狭き門のために誰かを蹴落とすことを厭わず、油断すれば自分が蹴落とされる立場になる恐怖に怯えなければならない勝負であると考えます。改めて文字に起こすと、冷酷かつ残酷でストレスがかかるものです。必ず勝者が存在する一方、その勝者たちの輝かしい経歴はほんの氷山の一角に過ぎず、ふと下に目をやるとたくさんの敗者が存在します。
では相手もしくは自分のどちらかが不幸になるこの争いはいつまで続くのでしょうか。今回はこれを主題に話したいと思います。
【いつまで競争はあるのか】
結論から述べると、人生に競争の終わりは無いです。学生の内は勉強、スポーツ、音楽、芸術、恋愛など多岐に渡る分野で同世代と競争を繰り広げ、社会人になれば社内の出世競争の荒波に揉まれます。年収競争を続ける内に年を重ねて今度は独身か既婚かでマウントを取り合うことになります。子供が出来れば親社会の中で子供の優劣を争い、老後には自身が生涯で成し遂げた功績によって人生の価値が決まります。
まだ10代の自分が考えているだけなので実際には異なる点もあるとは思いますが、それでも競争が存在しない環境は存在しないと思います。つまるところ、競争は際限なく続くものであり自身が身を置く環境が変われば常にビギナーからスタートすることになるのです。
【上を認める精神について】
では限りない競争に揉まれる中で人生のゴール、いわゆる「勝ち」はどのように定義されるのでしょうか。これは明確です。
自身が苦手とする分野では他者より優れることは出来ないと自己の限界を受け入れ、反対に得意な分野では才能と努力の全てを注ぎ込んで特化することで成功を収めれば良いのです。
具体的には、受験に失敗したのならば「自分に座学は向いていないのだ」と割り切り、運動が苦手ならスポーツでの活躍を諦めるようにどこかで落とし所を見つけなければなりません。
反対に容姿が端麗ならばそれを活かした職に就き、音感が優れているなら音楽の道へ進めば良いのです。産まれながらに圧倒的な才能を持ち、全てを完璧にこなせる天上人はほんの一握りしか存在しないのです。この「上を見上げるとキリがない」という感覚はとても大切です。
しかし、この「勝てる分野で特化する」という考えに反対したくなる人もいると思います。
「数学の成績だけじゃ学校を卒業出来ないぞ」
という声や
「社交性やコミュニケーション能力も必要だぞ」
という意見ももちろん正しいと思います。諺でいうところの「井の中の蛙大海を知らず」の状態でしょうか。これは見聞が浅く視野が狭い人のことを指します。
しかしこの諺に続きがあると言われています。
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る」
海へ出なかった蛙は狭い井戸の中で空を見上げ、空の雄大さを知ったという話です。つまり海に出てしまえば深海まで続く水中の世界に捉われることで、蛙は空の存在に気付けなかったでしょう。井戸という狭い世界にいたからこそ知り得たのです。この話を一般化すると、何かに特化することで他の人が得ることのできないものを手に入れたと捉えることが出来ます。
また私は、先程も書いたように’’他の分野で勝てないと自己の限界を知った上で’’ 何かに特化することを結論としてあげています。これらのことを総括すると
「井の中の蛙大海を知り、かつ空の蒼さを知る」
が競争から逃れた人間像であると私は考えます。
【まとめ】
以上の話をまとめると①競争のレールはどこかで降りるべきものであり、②落とし所を見つけるためには様々な分野に挑戦し、③失敗と挫折を繰り返す中で得手不得手を知り、④勝てる分野に特化することが競争のストレスから抜け出す方法であると考えます。
大海の荒波に飲まれた後に自己の才能の限界を受け入れ、空の蒼さを知る蛙になる人生はどうでしょうか。
今回はこれで終わります。
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