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ゴシック&ロリータとフェミニズム/本編後書き、のような


私がいつかにまとめた文章をどこかのタイミングで出したいなと思って出せたなかったので、2022も終わるこのタイミングで。
もともとが劇団のプレス用に書いたのだけど、私なりによく分析したなと思うので。ゴシック&ロリータを愛する人、またフェミニストの皆さん、そして今回の本編、メサイア・カーミラ/FEMIKINGをご覧くださった方も後書きのような気持ちでぜひお読み下さい。
まだまだ配信にて、燃え上がっている私たちをご覧いただけます、電子世界でお会いしましょう!そして2023はリアルでね!おやすみ

メサイア・カーミラ↓


FEMIKING↓

http://v2.kan-geki.com/live-streaming/ticket/851


ゴシックとロリータ正反対の2人がチャリを爆走し、時を超え、今泣いている女を救いにいく!
(メサイア・カーミラ撮影オフショットより)



ゴシック&ロリータファッションを正装とし、演出に女形、男装を用いる。
そうすることで、人種、外見、年齢、性別などによる従来の固定的な役割分担にとらわれず、誰がなんと言おうと自分が好きな着たい服を着る、型にはめ消費しようとする、汚い世間に反抗し、誰もがありのままの自分で生きられるジェンダーフリー社会の実現にも貢献する。

◎・ゴシックの精神性

ゴシック(Gothic)とは、「ゴート族風の」という意味で、「野蛮・残酷」を意味する語である。
色ならば黒で、怪物・異端・悪・苦痛・死の表現。アンチヒューマン的ファッション。

∟服と体型、機能の関わり

服にはそれぞれ、機能とファッションとしての側面がある。ゴシックに代表されるのは、SM調であったりと苦痛を表現する衣類が多いように思える。そんな時にスレンダー体型ではなく多少肉感があり、その肉と骨が締め付けられていることの中にゴシックという精神のつながりを感じる。ということはゴシックの精神性を体現するのにふさわしい肉体、というのは肉感のある、しかも女性の方が身体的な特性として丸みを帯び、脂肪が多いことで「肉感のある女性」がゴシックという精神の表現としての肉体として、まず相応しいのだと考える。

◎・ロリータの精神性

∟ロリータ(Lolita)とは

ロリータは各自が自分流のロリータの定義を持っていて、自分の定義を拠り所とし、その定義にしか従わないという精神性。ゴシックと違うは何か特定の物体や思想に帰結しないということ。ロリータな精神を持っていたらロリータであるという、1人1人が尊重されるファッションである。 よって、より無限の可能性を秘めているファッショニズムであり、だからゴシックアンドロリータという融合したファッション、文化が日本から生まれた。

∟ロリータに代表される永遠の少女性

ファッションとしてはベビードールを基調とした胸や足を強調しないもの。胸元の切り替えのないAラインのドレスや、スモックを発展させたようなファッション。首元は空いている事よりも詰襟や丸くびのものが多く、フリルやレース、布地をたくさん使った「着込む文化」である。

∟服と体型、機能の関わり

以上のことから、ゴシックとは対照的な少女性・天使・純潔などといった永遠の少女性がテーマのファッション。この精神性を表すのに相応しい肉体として求められるのは、Aラインやスモックの似合っていた子どもの頃の体型になるべく近い肉体が望ましい。Aラインのドレスやスモックなどは肉感のある体で着用すると、ラインが崩れるので、なるべく胸のない人が似合いやすいような特徴があるように思える。

◎・ゴシックアンドロリータとフェミニズムにおける関係性について(個人的見解)


∟ゴシックとロリータ、相反する文化の融合

ゴシックアンドロリータとは、ロココ調のフリルやレースたっぷりの装いにゴシックの要素を足すことで、少女の中に潜む心の闇を体現した文化であるとも言われています。一方で、ジャンルとして特異であることが先行し衣服とジェンダーの観点から語られてこなかったポイントでもあります。

∟贅沢淫乱豪遊しまくったロココの魂

デザインの観点からフリル、レース、コルセット、ガーターベルトなどゴスロリ(主にロリィタ)はロココ時代より大きく影響を受けています。
一方で史実としてのロココ時代は享楽と放蕩の時代、贅沢三昧、少女趣味とは大きく離れたものが時代の中心にありました。フランス王立アカデミーに女性の入会が初めて認められたり、女性の画家が活躍したりと「女性の時代」とも言えたりと様々な切り出し方ができます。男性が女性と同じように当たり前のように化粧をし、自由にファッションと性を楽しむ。これこそがロココの魂でありながら、また、女性解放思想と結びついてくるのだと感じます。

∟現代のメールゲーズとロリータのルーツ

ロリータの特徴に必ず「少女らしさ」が纏わりつくのは何故か。一つとして語源であるナボコフの小説「ロリータ」が大きく影響している。私は嫌いなのでここでは大きく取り扱わない。
ロリータとは作中でてくる、12歳の少女の愛称なのだが、これこそメールゲーズの塊ではないだろうか。
メールゲーズとは「男性のまなざし」のことである。男性のために性的に描かれる女性。これをメールゲーズという。私は常々「永遠の少女性ならば、三つ編みおさげの制服の中学生くらいの見た目が理想的ではないだろうか。無邪気に楽しかった時代で、閉じ込めておきたい時間が詰まっている年代だと思う。」などと、ロリータに思ってきた。あかちゃんに擬態したい訳じゃないしなあ、などとも。
しかし、メールゲーズという言葉に出会って、私のロリータ論は一変した。ロリータの「永遠の少女性」という精神性は、自分にとっての、自分が少女の時代ではなく「男性に性的にみられる前の、子どもであった時、安心してきたいものを着て思いきり遊べた頃の服」「本来社会が守らねばならなかった純潔」という意味なのだと知った。
また、友人のフェミニストがロリータを読んで「当時は少女が性的に消費されるのは当然のことだった。30前には嫁に行くのと同じくらい当たり前のこと」と言っていた。今ですら女性の人権の在り方に甚だ怒りを禁じ得ないが、当時は今より当たり前に、少女達に人権はなかった。
そんな中で12〜15歳の彼らが身を守るためにファッションとして性的消費を拒否する意味で着用していたのが、メールゲーズに気がつく前の子供服のようなロリータファッションなのだと思う。
今でこそ、ロリータは心の武装、などというが当時は本当の意味で少女たちのと尊厳を守るための戦闘服だったのだと気付かされる。

∟ありのままの服を着ることの哲学

以上のことから、ゴシック、ロリータ、様々なジャンル分けがあり歴史背景があるにも関わらず、日本で融合された「ゴシックアンドロリータ」という文化には、「ありのままの自分で着たい服を着て、堂々と街を歩く」ことの哲学が詰まっているのだと思います。確かにレースもフリルも、機能性として劣ります、そこを町で後ろ指刺されることも少なくありません。ですが「眩しいものはみざるを得ない」と思います。後ろ指を刺されてもたかだかファッションであるゴスロリという衣装を嬉しそうな顔で着て街を歩く人を、
窮屈な現代人は羨ましく、また少しだけ妬ましく思うからこそ後ろ指を指すのではないでしょうか。
その精神性は衣類だけにとどまらず、心と生き方に波及してくるのだと思います。「眩しく感じてしまうほど、自分に素直にありのまま着たい服を着る」、ありのままの飾らない人間がそこにいること。また、ゴスロリを纏うことで、ありのままの自分になれる、という武装的な思想として捉えてもいいと思います。ゴシックアンドロリータとは、「眩しく感じてしまうほどに、自分に素直にありのまま着たい服を着る」思想、生き方そのものなのです。主要客層としてゴスロリ好きのお客様が多く、ありのままが好意的に受け入れられる環境整備として、また、全ての生きずらさを抱える人がゴスロリを通じた自己解放ができるよう、我々は選択して、精神性を纏って作品を上演します。

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