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時空を動いて未来を創るお片付け

昨夏、父が他界した。

父は手術をしない選択をし緩和ケア。
母は抗がん剤治療を経て開腹手術。

時差で両親ともにがんを患うという、
控えめに言ってヘビーな状況だったから
必然的にわたしが父を看ていた。

幼少時より夫婦仲がこじれていたので
父としても
娘と毎日わちゃわちゃやっていたのは
相当気持ちが楽だっただろうなと思う。

ちょっとした話が深い話になるのは常で
どこまでも話が尽きることがなかった。

学歴はないけど聡明で
娘を相手に、でさえ"相手を尊重する"。
威圧、支配、そういった関わりは皆無の人だった。

「こんなに大人になって
こんなに濃く関わる毎日が来るなんて思いもしなかったな。
小学生の頃以来だなぁ」と思った。

大病と聞いて受け取る一般的なニュアンスとは真逆の
あたたかくてくつろげる感覚が
いつも自身の内側にあった。


その父が旅立った。

気を張っていた葬儀までの期間から一変
ぐっしゃり崩れるように寝たきり状態になった。

言葉にならない喪失感が
今も未来も覆いつくした。


「希望ってなんだったっけ。。」


軽く半年が経った。

何もする気にならないところから
ゲーム→漫画→本→ネット
と少しずつ手を伸ばせるようになった。

やがてネット上で仲間ができた。

仲間という語感のみから感じ取れる細いつながりから
実際の関わりを通じて
温度を感じられるつながりに変わっていった。

クラブハウスで毎日ルームを開催し
"毎日仲間と話すこと"が
ふと気づくと習慣化していた。

話すのは下手っぴで
とっちらかってばかりだけど
聴いてくれる仲間がいた。
想い、考え、感じたこと、たくさんのことを話した。

仲間の話もさりげなく沁み込んでくる。
「人にやさしく生きたくなる」
自然とそんな想いが浮かんだ。

応援したりされたり
行動を見守ったり見守られたり
そんな毎日を過ごしているうちに
さらに半年が過ぎた。


喪失感で覆われた
と思った未来には仲間がいた。
声を出すことのなかった日々から
今は毎日仲間と泣いたり笑ったりしている。

もっと自分を立て直してみたくなった。
自分のエネルギーを調える必要があった。

手を付けることのできなかった父の遺品。
そして自分自身の過去の数々の遺物。

「ようやくこれらと向き合えるタイミングがきた」


人生でやり散らかしたことがあまりにも多かった。
それらを中途半端なままにしていたから
「天に還っていただく」いい機会だと想えた。

ご遺体ならちゃんと荼毘に付すところまで完遂するのに
物だと「ドライアイス保存して先延ばしにする」
みたいなことが簡単にできてしまう。
実際そういうことばかりしていた。

ここのところ1ヶ月半ほど
断続的にお片付けを進めている。
不用品販売などに一切エネルギーを注ぐことなく
どんどん手放している。

これまでお付き合いした人
やっていたお店をたたんだとき
を想起させる"何か"は特にエネルギーが重い。

"重い"荷を降ろすよりも
"想い"という荷を降ろすほうが
分離させるのは至難の業だ。

愛着や執着は手放した途端に
欠乏感がやってくるから。

積極的に欠乏感を味わいたい
などと言う人はかなり稀だと思う。


想いが過去に行ったり現在に戻ったり大忙しだ。
自分の持ち物に加えて父の遺品整理。
父のエネルギーを感じながら遠い遠い過去に遡る。
父の幼少期、自覚のなかった頃の自分の情報にも出逢ったりする。

控えめに言わずともヘビーだ。

泣きたい、泣けない。
少しも堪える気なんてないけど
無意識に抑えてたりする。

えもいわれぬ感動に遭遇したりもする。
ふぁあっと胸がふくらむような。
ぎゅっと掴まれて息が詰まってしまうような。

懐かしい、愛おしい、狂おしい
なんて言えばいいんだろう
どうしたって持てあましてしまうこの「感じ」は。

「天に還っていただく」前に
味わう感情のギフト。

これらの感情を味わいたくなくて
自分自身ときちんと向き合うのが怖くて
避けていたからこそ、
物にその感情を留めておくことしかできなかった。

少しずつ手放していくごとに
少しずつ空間に拡がりがもたらされていくたびに
自身の本来の軽やかさを取り戻しつつある。

望む未来を確信しながら
過去と対峙するたび感情が揺さぶられ
今の自分がエネルギー調整をして統合させる。
これを地味に繰り返し続けている。


未来を創るにあたって
残す物は正直ほとんどない。
周波数がまるで違うからだ。

「でも」、とたやすく立ち止まってしまえるほどには
手放せないでいるものがまだまだある。

ただ物を捨てる行為だけなら簡単だし
そこに快を見出せば"捨てる執着"が生まれる。
それは本末転倒。


わたしが望むのはこうだ。

「出逢わせ統合する。
統合は、分離させておく必要がなくなるということ。
"ひとつになる"から自然と手放せるようになる。」


時空を動くから「今」わかることがある。

失ってしまったと解釈した「角度」以外では
いったいどんな風に見えるのだろう。
どんな気づきや価値観を見いだすのだろう。

できごとに紐づく感情を味わい切ると
できごとの無限再生がやむ。

愛着や執着は"感謝"に変わり得る、と思っている。
感謝は循環を生み出すから。

時空を動いて
遭遇するものに「さよなら」と言いながら
そのすべてと統合していく。
そんなパラドックスにおもしろみを感じながら
深夜に没頭する「時空を動くお片付け」を
もうしばらく楽しんでみようと思っている。


#創作大賞

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