源氏名はヒカル

というのは、ウソだ。
私が働いているのは、普通の飲食店であり、源氏名で働くことは認められない。

が、
もし、選べるとしたら源氏名で働きたい。

そう思うようになったのは、
初対面、そして、おそらく今後二度と会うこともない(と予想される)客から、自分の名前を呼ばれることに、何とも言えない不快感を覚えたからだ。

※私の職場では、仕事中の従業員はネーム(名字のみ記載)を付けることがルール。


名指しはヤメテ

通常は、
私─《店》─客   
である関係性が、

個人名を呼ばれることにより
私  ─  客
という擬似的な関係性に変化する。

私と客の間にあったはずの
《店》の存在が一時的に消失する

その結果、
客から《店》への要望であるはずが、
《店》の存在が端折(はしょ)られて、
私個人への要望に感じられるのだ。

これが、私の感じた不快感の正体である。

就業中の私の言動のすべては、就業先の《店》に帰属するため、厳密に言えば、就業中の私は私個人ではない

私は接客を通じて、《店》の代表の一人として義務を負っている。それに呼応して、客側も私を《店》の代表の一人として扱うべきであり、私を個人として扱う(個人名を呼ぶ)べきではない、と思うのだ。
呼ぶなら、【店員の○○さん】と表するマナーくらい在って欲しい。

従業員の責任とは

労働における、責任という社会的制約や、責任感という義務は、与えられる権限と、その結果に基づく報酬に規定されるべきだ。

一部の労働者が「見返りを求めず、最大限の労働力を差し出す」という美学を貫く時、それは後々、経営者側にとって都合のよい前例になると同時に、全ての労働者にとって不利益に繋がる可能性が高い。

とどのつまり

個人事業主でない私には、客と信頼関係構築によるインセンティブは発生しないので、与えられた権限や報酬内で適切に働きたい、と願うのだ。


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