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四丁目の神様【短編小説:約5,000字】

「だるぅっ。だっるるるるぅぅぅっ」
東京は豊島区西巣鴨四丁目にある安アパートの一室で、六畳一間の畳に横たわりながら、さも面倒くさそうに中年男が叫んでいる。

「田中さん、ご指令ですよ」
そう言ったのは同居のお目付け猫、名前をイナリという。純白の毛色にぽっちゃりボディ、目は細く垂れ気味である。
「手術を手伝って来いだそうです。2丁目のハルって女の子が今日手術らしくて、その執刀医がヤブで、バレていニャいだけで何回も手術失敗していて、その内何人かは死んでるって」
「とんでもねーな。そんな奴のフォローだなんて気が向かないね。おかげで日雇いのバイト当日キャンセルになっちまったよ」
「ふーん、まぁ良いじゃニャいですか。こんな時しか役に立たニャいんですから」
「お前ってばひどいことをさらっと言ってくれるねぇ。こっちは普段もアルバイトでお前の餌代も稼いでるっつーの。お前みたいに毎日寝てばかりじゃねぇってばよ」
「ワタシはアナタを監視することと寝るのが仕事ニャんですー。悪しからず」
首輪の鈴をチリンチリンと鳴らしながら、後ろ足で首をかいている。
「はいはい、そうですか」
不服そうに言いながら、天井を見上げている内に、男はそのまま眠りに落ちた。

「起きろ田中ぁ、このボケナスがぁ」
「えっ、あっ、す、すんません」
男はその声で飛び起きた。
「あ、やっと起きましたね。しかし長に怒られて起きるニャんて、これでも神様ニャのに情けニャいったらありゃしニャいねぇ」
イナリが呆れて言う。
「うっせー」
「うっせーじゃねぇだろ貴様ぁ、早く起きて仕事して来いこのボンクラがぁぁぁ」
長の怒声が響く。響くと言っても、その声は田中とイナリには聞こえても近隣住人には聞こえない。神同士にしか届かない周波数で言葉を発しているからだ。神の間では通神と呼ばれている。
「はいはい、行きますって。行きますから、そんな怒鳴らないでくださいってダンナ」
「はいは一回だろ貴様ぁ」
「はい、わかりましたよ。わかりましたって。さ、行こうぜイナリ」
そう言って、田中はバタバタと準備をしてイナリを連れて家を出た。

「あー、クッソだりぃな。人使いが荒いったらないぜ」
「そんなこと言ってるとまた長に叱られますよ、全部筒抜けニャんですから」
錆びついたママチャリの前カゴにイナリを乗せて、現地に向かって走っている。
「ったく、こちとら好きで神様やってんじゃないんだけどね。ある日突然夢にお前が現れたと思ったら、「明日から神様です」だって。起きたら本当に神様んなってるし、何そのシステムって感じだよ。唐突過ぎるわ」
「仕方がないでしょ、このエリアの前の担当が悪徳坊主とグルになって詐欺働いて、神様クビになっちゃったんですから」
「クビになった前の奴ってのは」
「どうなっちゃったんですかね。それは長にしかわかりません。だからみんな真面目に仕事するんでしょう」
「あー怖い怖い。人間サイドの想像と違い過ぎるっつーの」
田中はわざとらしくかぶりを振った。

神様に死ぬという概念はない。そして、日本各地に割り振られているエリア担当の神たちは、長の指令を受けて動くのみである。
昨日までただの人間だったのに、ある日唐突に「今日からこのエリアをよろしく」と言われる。その時には既に神様としての能力を付与されている。問答無用なのだ。
ルール(神律という)はざっくり言うと「人間に自分が神様であることがバレないように過ごす」「神様らしくあれ」という2つだけ。後は長の指令に従って動くのみ。そして悪事を働けばクビになるわけだが、クビになったらどうなるのかは長にしかわからない。恐ろしい噂ばかりが独り歩きした結果、神律に違反するものはほとんど現れないという。

「あ、現場はそこの病院ですよ」
カゴの中のイナリが、田中の方を振り向いて言った。
「はー、こりゃ大きな病院だねぇ」
たどり着いたのは、都内でも有数の規模を誇る大学病院だった。
「医療ミスってのは時々聞くけどよ、これだけの大病院でもそんなに頻繁に発生するもんかね」
「院長の息子らしくて、何回もミスしてるんだけど全部強引に隠蔽してるんだって。表沙汰にはニャっていニャいみたいですよ」
「で、そのハルって子が今日死ぬ予定なのか」
「そう、医療ミスで。実際難しい手術ではあるらしくて、その医師じゃニャくても上手くいかない可能性はあるみたい。ただ、ハルちゃんのお母さんがお百度参りまでして成功を祈ってるから、その願いを叶えようとニャったようです」
「ニャるほどねぇ」
田中も時折猫訛りがうつる。
「ハルちゃんには元々お姉さんとお兄さんがいたんだけど、ご主人の運転していた自動車の事故で3人同時に亡くしてしまったらしくて。お母さんにとっては本当に大切ニャ存在なんです」
「そうかい、それを聞いたらこっちも気合い入るよ。想像するだけで泣けてくるわ」
「お願いしますよ」イナリが言うと、「おう、任せとけって」田中はそう言ってイナリの頭を撫で回した。

「こっちの病棟だな」
大学病院ともなると目的の場所に行くにも迷路の如き複雑さを極めるが、神様は神の目を持っている。目的地に行くのに迷うことなどないのである。

病棟に入り、件の執刀医を探す。

「この恰好のままじゃ目立っちまうな。着替えるか」
田中の定番はダメージジーンズとよれよれのTシャツ、そしてアディダスのスニーカー。医局にはさすがに不相応だ。
こめかみの辺りに左手の人差し指を置き、目を瞑って医師のイメージをする。目を開くと白衣を着た医師の姿になっていた。
「便利なもんだね」
独りごちて、そのまま執刀医を探して歩いていると、医局の椅子で居眠りしているターゲットを見つけた。
「難しい手術の前に居眠りたぁ、呆れちまうね。そりゃ失敗もするだろうよ」
顰めっ面でボサボサの頭を掻きむしる。
「坂田センセーッ、そろそろ準備してくださいねー」
助手らしき女性が執刀医を呼んでいる。
「んー、あ、もうそんな時間?」
寝ぼけ眼を擦りながら、執刀医の坂田が面倒くさそうに言う。

「あんなアホ、院長の息子じゃなけりゃとっくに刑務所行きよね」
「本当だな。あのアホの医療ミスに巻き込まれない為にこっちは必死だよ。人の命の重さなんて何も感じてないんだアイツは」
助手同士の会話が聞こえてきた。

「神社会もだけどよ、人間社会ってのは理不尽なもんだよな。どれだけルールをちゃんと作ったって、権力者はそれを捻じ曲げちまう。力の有る者こそ見本にならなきゃならねぇのに、権力を手にした瞬間悪い方に行使する輩の多いこと多いこと。悲しいもんだぜ」
田中はそう言って嘆息すると、スタスタと坂田の方に歩いて行く。
「ん、誰だお前?」
坂田は田中を訝しげに睨め付ける。
「アホの坂田さんよ、ちょっとお前さんの体を貸してもらうぞ」
「はぁ?」と言った坂田の額に田中が左手をかざすと、坂田の体にスゥッと田中が入り込み、同化した。
「お前なんぞと同化したかねぇけどよ、こちとらハルちゃん助けてやらないとならんのよ」
そう言いながら、ストレッチをして体を馴染ませる。
「坂田センセーッ」助手がまた呼んでいる。「今行くよー」と返事をして、手術室へと向かった。

「神様お願いします。ハルを助けてください」

神頼みをするハルの母の声が聞こえてくる。神様には、神頼みの声は全て届くのだ。

「任せときな」
手術看護師が準備を整えた手術室に、田中が入ってオペが開始された。
「しかしまぁ、びっくりするくらいどれが何に使うもんだかわからないね」
心の中で呟き、目を閉じて、瞬間的な瞑想に入る。冥界に住む医療の達人の魂を探し、一時的に借り受ける。
「センセー、大丈夫ですか」
不審に感じた助手が声を掛けた。
「あぁ、問題ない」
田中がそう返事をすると、「本当かよ」と手術室にいる全員の心の声が一斉に聞こえた。
「よし、始めようか。ハルちゃん、ちょっと眠ってる間に手術は終わるからね」
無言のまま頷いたハルに、麻酔科医の用意した点滴を投与すると、間もなく眠りに落ちた。
「メス」
田中が言うと、助手がメスを手渡した。

そこからのオペはスムーズに運んだ。技術と言い雰囲気と言い、普段と違い過ぎる坂田の姿に助手たちは内心驚いていたが、その美しい所作に魅入られていき、気づけばオペは終了していた。
「よし、完璧だろ」
縫合を終えた田中が言うと、助手たちは手術室の中で遠慮がちに拍手をした。これまでに見た誰のオペよりも見事だったから、心の底から感動していたのだ。

手術室を出て、ハルの母の元へと向かう。
「先生、ハルは、ハルは助かるんですか」
母は涙を流しながら、田中に言った。オペ中も無事を祈り続ける声はずっと田中に届いていた。
「えぇ、手術はバッチリですよ。少しの間休んだら、ハルちゃんはすっかり元気になります」
田中の言葉に安堵したハルの母は、力が抜けてしまい、その場に膝からへたり込んだ。
「お母さんもちょっと休んでください。ハルちゃんが元気になった時にお母さんが元気じゃないと、ハルちゃんが心配しちゃいますよ」
安心させるため、田中も膝を落とし、目線を合わせて言った。
「そうですよね。ハルが目を覚ますまで少し休ませていただきます」
看護師が付き添い、ハルの病室まで母を連れて行った。

医局に戻り、坂田の体を戻して田中は病棟から出て行く。

すぐに目を覚ました坂田は時計を見て、焦って駆け足で手術室に向かった。ドアを開けると、助手の看護師たちが次の手術の準備を始めていた。
「先生、さっきのオペすごかったですね」
坂田を見るなり男性の助手が言った。
「へぇ?」
坂田は状況が理解できていない。
「ちょっと失礼かも知れないですけど、アタシ見なおしちゃいました。難しいオペなのに…あんな美しいオペ、初めて見ました。なんか感動しちゃった」
続くように女性の助手が言った。彼女は感極まって目を潤ませている。
「えっ、あっ、まーな。俺だって本気出したらよ、こんなもんだよ」
とりあえず笑って見せる。釈然とはしないが、褒められて悪い気はしない。
「ハルちゃん、先生のおかげで元気に退院出来そうですね」
女性の助手が嬉しそうに言った。
「うん、まぁそうだな、それが一番だ」
坂田はもっともらしく言ったものの、何処かむず痒しさを感じていた。当たり前のことなのに、その言葉をスッと言えない自分に、何とも言えない違和感を覚えたのだ。
「ずっと手術やってると、たまに命の重さとか、忘れそうになるんですよね、俺。でも、今日のオペに参加させてもらって、緩んだ心のヒモもう一度締め直さなきゃって思いました。ありがとうございました」
男性の助手が感慨深かそうに言った。
「あぁ、おう」
坂田の中にも新しい感情が芽生え始めていた。それがどんな想いなのか、今はまだ整理できていないが。

「かーっ、良い仕事した後のビールはたまんねーな」
帰宅した田中は、折りたたみの小さなテーブルで、ビールを飲みながらペヤングを食べていた。
「うん、良いことしましたニャあ」
イナリもその横で好物のニャンちゅーるを食べている。
「結局ハルちゃんはなんて病気だったんですか」
「うーん、タンドリー…、いや胆道性…あー、長ったらしくて忘れちまったわ」
「よくそんな感じで神様やってますね」
「だーかーらー、好きでやってんじゃないの。能力も俺の力じゃないから。誰がなったってできるんじゃないの、こんな反則みたいな力あったら。こういうの最近じゃチートって言うらしいぜ」
「まぁ、悪用せずにちゃんと仕事してくれれば良いんですけど。で、明日のご予定は?」
「明日は朝からあれだ、単発のアルバイトでイベント会場の運営だな」
「長から急な指令が来ニャいと良いですね」
「本当だよ。当日キャンセル何度もしてると仕事もらえなくなるんだよ。こっちの都合無視して急に指令とか、勘弁してほしいんだよな」
「僕のご飯も安く済まされたくニャいですし」
「それは知らねーよ。ニャンちゅーるとかじゃなくて普通に魚食えっつの」
「いやコレ本当に美味しいんですって。ノーベル賞レベルの発明だから、田中さんも食べてみてくださいよ」
「食わねーわそんなもん。ペヤングの方がよっぽど大発明だからね」

ビールとペヤングを平らげると座布団を枕にして横になり、そのまま畳の上で寝てしまった。「仕方のニャい神様ですねぇ」とボヤきつつ、イナリもその横で丸くなって眠りについた。

神様という存在は、人間が思うよりすぐ側にいて、人間と同じように生活しているのかも知れない。

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