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ボールを受けたら一度落ち着いて確認しようという話。

最近他のnoterさんにコメントを書いた時に、コミュニケーションって難しいなぁって改めて感じた。

何が難しいと思ったかと言うと、
特に言葉のコミュニケーションって、受け止める側の受け止め方にほとんど委ねられてしまうから。

言った側に悪意が無かったとしても、受け止める側の感覚次第でネガティブに捉えられる可能性が多分にある。勿論言った側に悪意が無かったとしても、皮肉っぽい表現になっていたり、捉えようによっては悪く伝わる表現になっている可能性もある。

心理学的な観点で言うと、日本人の98%はネガティヴ思考なのだそうだ。だから、自己顕示欲や承認欲求、劣等感や被害者意識等々のフィルターを通して、言葉を受け止める可能性は高い。

言葉に限った話じゃない。

私の身近な人(女性)の場合、話に出て来る登場人物の7〜8割が嫌な人だ。さながらアウトレイジである。「迷惑もハローワークもあるかいボケ!」である。すみません、ふざけました(笑)知らないですかね。まぁ…実際その人たちがどんなものなのかは私にはわからないが、それぐらい悪く受け止められる要素が存在しているということ。

逆に私は「いろんな人がいるよね」と思うようにしていて、イライラするのが嫌いだから、心から人を信用することはないし過度な期待もしない。人の失敗も基本的に怒らない。家で仕事の話はしないし、飲みに行っても仕事の話をしたいと思わない。愚痴や不平不満の話は付き合うし共感することはあるが、自分から発するのは余程の事があった時ぐらいだ。でも、その“余程の事”の尺度だって、結局私個人の主観による尺度である。相手にとっては余程の事ではないかも知れない。

一時“人を傷つけない笑い”という言葉が流行った。その代名詞的な存在のぺこぱは一時期よりずいぶん見なくなったし、EXITなんかの人気もずいぶん落ち着いた。『人を傷つけない笑い』という流行りでしかなかったのだろう(私はぺこぱ好きですよ)。そして昨年のM-1で優勝した錦鯉は今大人気だけど、アレは長谷川さんのバカっぷりを笑う漫才だ。人は傷つけていないけど、バカを見て笑うのって見下す行為じゃないの?捉えようによっては差別なんじゃないの?

そんな感じで、あっちは良くてこっちはダメみたいな、その時の空気に揺蕩う酷く曖昧でふわっとした価値観の中で、私たちは生きている。

人は同じ言葉でも言う相手によって受け止め方を変えてしまう。相手によっては好意的に受け止め、相手によってはハラスメントになり得る。本人が無自覚であったとしても、全ては受け止める側の感覚に委ねられる。

会話はよくキャッチボールと言われます(昔の人はスポーツに例えるのが好きでしたね)。

出したサインと関係ないボールが来たり、暴投が来ることもあるのだろうけど、優秀なプロのキャッチャーは一喜一憂しない。同じように私たちも、ボールを受けたらすぐに返さず、そこに込められている意味を考えた方が良い。固定観念のフィルターを通さず、多角的に客観的に。違和感を感じた時ほど、どんな想いが込められたボールなのかを考えて、その上で投げ返さないと、ただの失投から、二人の関係が崩れてしまうかも知れないから。感情のぶつけ合いになってしまうから。

だから、悪意の無い言動に悲しんだり傷ついたり腹を立てたりすることの無いよう、出来るだけ、受けたボールは一回確認しましょうね。

出来るだけ、ね。

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