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人間関係の鏡🪞

今年の3月はずっと寒い日が続いた。

雪が降ったり積もったりする日もあって、
鉢植えにしてあった去年のヒヤシンスやチューリップが心配だった。

急激な寒暖差は私にも植物にも良くない!


去年部屋で楽しんでた水耕ヒヤシンス🪻


そんな3月は、私にしてはなかなか忙しい毎日でした。
私は滅多に友人と会わないのだけれど、1年少しぶりに高校の時の友人と会ったり、姉といろんな漫画のカフェや展覧会や買い物に行ったり。

忙しいのが苦手で、楽しい予定が詰まってても、すぐ体調やメンタルを崩してしまう。

心の切り替えが上手くできなかったり、ちょっとしたことで過去のフラッシュバックがあったり、良いことがあってもその浮き沈み自体がしんどかったり。


ここ数年、人と会う回数や頻度を減らしたり、自分一人の時間を作るようにしたり、いろいろ試行錯誤している。
それでもやっぱり、まだ数ヶ月に1回くらいはガタがくるというか。
多分、慣れるのに数年かかるのだと思う。"普通に"生きるのは難しい。
本当に、そう強く思う。


普通なんて曖昧なものなんだけど!


「他人は自分を写す鏡」
私はこの言葉が嫌い。嫌いというより、すごくプレッシャーを感じる。怖い。

最近自分の中でこの"怖さ"の中身を分析していて、ちょっと理解し始めてきたので、記録しておこうと思う。


鏡が怖い理由

  1. 鏡が曇って見えるから。

  2. そもそも鏡なんて見たくもないから。


鏡が曇って見える

まず1つ目。人と会って話すことで、自分がどんな人間なのかわからなくなる。
文字で書いてしまうと「自分がなさすぎる!もっと自分を持て!!」と怒ってしまいたくなるけれど、これは私にはしょっちゅうある。

ここ数ヶ月、何度か家族や親戚の集まりがあったのだけれど、いつもそういう場が少し苦手だ。
例えば結婚や恋愛について単に質問されたりあるいは小言を言われたり。
(社会的な幸せ抜きには、人生を幸福にやり過ごすことはできないのか?)
母や祖母が当然のように私や姉に給仕や奉仕することを諭したり。
(私はそんなことをするためにこの家に女として生まれ落ちたのか?)

でもはっきり自分の意見を言える時と言えない時があって、そういう時は自信を失くす。
自分の生き方や幸福論は、自分が感じているように、口に出すことで相反する誰かの生き方や幸福を否定することに繋がるかもしれない。

そんなことをいろいろ考え出すと、自分の姿も、周りも曇って見えてくる

考えすぎるとわかんなくなる🫥


そもそも鏡なんて見たくもない

季節毎に長期休み毎、あるいは年単位で過去の友人と会う。
本来楽しみにすべきなのに(というか、楽しみなのに)、楽しめない自分がいる。
私にとって誰かと話すことは、相手にとって自分がどう見えるか・どういう存在かを知る機会でもある。
だからこそ、期間が開けば開くほど、数ヶ月・数年単位の答え合わせのようで、不安になる。

友達に、恋人に、普通の人は自分のことをどれだけ深く話すのだろう。
私はいつも、くだらないことばっかり話してしまうのに、肝心なことは何も話せない。
というか、話すのが怖い。何をどこまで話せばいいのかすでにもうわからないし、みんなの知っている自分でなくなるのが恐ろしい。

いつも誰かと他人みたいに話せればいいのに。なんの前置きも不安も緊張もなく、突然肩を叩かれて反射みたいに答えるように。
その時間だけ相手と自分が存在しているみたいな。

というか、そもそも鏡なんて見なければ、自分がどんな形をしているのか、思い知ることも思い詰めることもないので楽だ。
鏡なんかなくても、目に映るものの選択肢だけで私は私を認識できるんじゃないか?と思う。


他人の目線なんて本当に必要なのか!


特に考えもなくこの記事を書き始めて、気づけば単なる愚痴のような文章になってしまった。


ここまで読んでくれた人がいるのかわからないけれど、そんな方には(ちょっとあまりにもまとまりがなくって)ごめんなさいという気持ちと、聞いてくれてありがとうを伝えます‼️

4月の目標は毎週、天気の良い日は散歩かピクニックをすることです。

晴れた日がたくさん続きますように。


晴れた日は
みんなでどこか外に行きたい
草の上なんかにねころんでサンドウィッチとか食べながら
ラジカセで大きな音とか鳴らしたい
相変わらず退屈なままなんだけど
なんにも夢中になるもんなくてまだ見つからないけど
それでいいや と思える強さと勇気が欲しい

岡崎京子




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