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当たり前だと思うことは実は当たり前ではない

2011年3月11日

東日本大震災から約12年。。。。

私は、毎年、3月11日を振り返りの日としている。

東日本大震災をきっかけに、

沢山のことを感じ

沢山のことを学び

自身が人間として大きく成長出来たからだ。

今回の記事は少々長くなりますが、

東日本大震災をきっかけに学んだことをノンフィクションで要点をまとめ、述べていきたいと思います。

最後までお付き合い頂けますと幸いです。

*世界が大変な状況の今だからこそ、ご覧頂きたい内容です。

1.声に出すことの重要性

東日本大震災発生後、私は病院勤務の理学療法士であった(当時2年目から3年目に差し掛かる時期)。

その時期に日本理学療法士協会から、東日本大震災に対する医療従事ボランティアスタッフの募集が開始された。

この瞬間、

自分に何か出来るという気持ちは全く無かったが、

自分の目で現地の状況を確かめたい‼︎

と強く感じたのを今でも鮮明に覚えている。

しかし

ボランティアスタッフの条件は勤務継続5年目以上の理学療法士。

そう、この時点で私は条件から外れている。

普通であれば、この時点で諦めてしまうと思うが、

私はその日から、あらゆる場所でボランティアスタッフとして東日本へ出向きたい意思を声に出し続けた

声に出し続けて数ヶ月後…

日本理学療法士協会とは別のルートで、東日本へ理学療法士を派遣されている先生のもとへとその声が届くことになる(声に出し続けなければ、到達しなかったであろう)。

福島の南相馬にある南相馬市立総合病院へ、数週間毎にリレー形式で理学療法士を派遣するというものだ。経験年数は問わないが意思が強い者という条件。

早速コンタクトを取り、勤務先の理解も得て、東日本に向かうことになった。

2.自分の五感で感じたものがリアル

福島に到着すると、バスを乗り継ぎ目的地の南相馬へ。

移動の際にも、視覚、聴覚、嗅覚などあらゆる感覚を総動員して現地を感じた

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病院に到着すると、周囲は既に暗闇。。。

そこから説明を受け、宿泊する病室へ。。。

病室には、バトンを繋いで来てくれた全国各地の理学療法士の方々の手紙が並べられていた。

一枚一枚、想いというバトンをしっかりと受け継いだ。

到着初日は次の日に備え早めの就寝。。。のはずが、余震、初めて訪れた地、次の日から開始するボランティア、、、中々眠れなかった。

翌日は、朝礼にて病院スタッフへの挨拶を済ませ、病院内・南相馬市内を案内して頂くこととなった。

・数10名いた理学療法士は3名へ
・去って行った理学療法士の荷物は残されたまま
・帰る家のないスタッフ
・取り残されている患者様
・ご家族を亡くしたスタッフや患者様
・跡型も無い住宅地
・津波で破壊された防波堤
・福島第一原発20Km圏内の現状
・町に散らばっている瓦礫や車の残骸

自身に飛び込んでくるもの全てがリアルでした。

報道で感じるものとは全く別の感覚

ここで初めて

普段当たり前だと思っていることは

実は当たり前ではない

という現実を思い知った。

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・噂で聞くこと

・テレビで見ること

・インターネットで調べること

色々あると思いますが、

実際に、

自身の五感で感じなければ

本質を捉えることは出来ない

ということを全身で学んだ。

自身の五感で感じたものがリアル

この瞬間、自身の価値観は大きく変わった。

3.現地の方々から頂いた『笑顔』『感謝』の気持ち

ボランティアの内容は非常にシンプルだった。

病院に入院されている患者様のリハビリテーションを実施すること。

そして次の理学療法士へ引き継ぎ文書を作成すること。

ただ、知らない環境で回診やカンファレンスにも参加。。。

経験年数3年目の私にとっては毎日が余裕の無い日々の連続で、疲労困憊であった。

そんな中、現地スタッフ・患者様とは可能な限り会話をさせて頂いた。

ここでふと気付いたのは、

私自身が元気・勇気を頂いている

ということ。

現地スタッフの、

・笑顔

・余裕のあるコミュニケーション

あれだけ少なくなったスタッフ数で忙しいのは当たり前。

家に帰れないスタッフもいる。

家族を亡くしたスタッフもいる。

第一原発・続く余震など見えない恐怖。

こんな状況にも関わらず、

・あれだけ心地良く働ける環境

・笑顔の素晴らしいスタッフ

・イライラしているスタッフが居ない

・楽しみながら仕事をされている

何故だろうか???

違和感を覚えざるを得なかった。。

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*トイレの鏡には、忘れないで『笑顔』のコメント

そして患者様からは、

・心の込もったありがとう

東日本に来る前は感じなかったが、

日常において、本当に、本当に大切なこと

忘れていたことに気付いた。。。。

4.西日本に帰ってきてからも続く違和感

そんな貴重なボランティア週間はあっという間に終了した。

結局何も力にはなれず、逆にパワーを頂いた

というのが正直な感想だ。。。

被爆のリスクもあったので精密検査も実施し、

スタッフ・患者様へ挨拶を済ませて、

西日本への帰路についた。

移動中、ひたすらと頭の中で想いを巡らせた。

自分に出来ることは何なのか…⁇

答えが見つからぬまま、帰路につくと、今まで通りの日常が再開。

しかし、ここでも違和感が。。

南相馬に比べると明らかにマンパワーは充足している

にも関わらず、

・笑顔

・心からの感謝

など本当に大切なこと

を忘れている人たちがあまりにも多い。。

病院スタッフに限らずだ。。

この違和感を覚えた日から、

自身のキャパシティが広がった

自分には帰る家がある。

友人もいる。

こうやって今を生きている。


リアルで感じた東日本が基準となったため、

今まで以上に

丁寧に、

また、

人に優しく仕事に向かうことが出来るようになった。

やはり、

経験することで基準を変えること

は大切だ。

5.これからも自身に出来ること

東日本に向かったことで様々なリアルを感じた。

このリアルを自身の言葉で伝え続けること

これが私の使命だと感じている。

また

東日本大震災で想いを果たせなかった方々の分まで

精一杯一日一日を生きること。

これからも

3月11日は自身にとっても大切な日。。

朝が来る当たり前だと錯覚してしまうような日々に感謝し、生き続けたい。

出会いにも感謝。

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C Lab 代表
松本康佑:https://lit.link/CLab











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