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2023.11.26

愛というものは、綺麗に整ったもの、形の綺麗なラッピングのその種類や色ではなく、果てしなく地味なものに宿ると思う。例えば私は猫と暮らしているけれど、身体が疲れていたり今すぐ横になりたいときでも、水を清潔に保つよう努めること、腕が痺れても腕枕で寝る猫の睡眠を邪魔しないように耐えること、大きい揺れがあったときすぐに抱きしめて「大丈夫だよ」と安心させること、そういった日常の細部こそ本質だ。
自分が何かを本気で心を捧げて全力で愛したとき、何かに満たされたいって気持ちがどうでもよくなる。

つい最近聞いた言葉でも、「人は自分の受け取る愛が本物かどうか本能で分かる」と聞いて納得したものだ。
本質的なものがいちばん大事、私にとっては特に。
着心地の良いものより、見栄えは悪くても清々しい本音の方がずっと愛しい。

人との関係の数だけ、色んな形の愛をやり取りする。
私はちゃんと相手の差し出したものの本質を見れているのだろうか。
私もまた、ちゃんと愛を伝えられているのだろうか。
考えても答えの出ないものに時間を投資したくない、机上の空論よりずっと大切なものがあるならなおさら。


季節の変化に振り回されながら、時間の進みに翻弄され続けている。
右往左往、あっちこっちに走り回りながらこの1年の終わりを肌が感じ取る。
「今年のうちに会おう」と、連絡をくれる人たちの心と預けてくれる時間に応えたいと思いながら、次々と埋まるスケジュールをこなすためには体力が本当に肝だと思い知る。
身体がきちんと健康じゃないと、人にやさしくする体力なんてないと思う。少なくとも、私の愛する人を粗雑な言葉や態度で返したくない。慎重さ、礼節、そして義理。どんなに親しくなってもこの3つは忘れたくない。
口馴染みの薄かった「2023年」という数にいつのまにか慣れたように、来年も5年後もその数字に慣れていくのだろう。
ひとつひとつの季節を踏みしめながら、自分なりの愛の態度を表現するものを、自分の手に抱えたものからどうにか私は繋いでいく。



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