見出し画像

2022.11.13

みんなが空を見上げている姿がなんだか愛しかった、皆既日食の日。帰り道に目の前を歩いていた派手な格好をした女の子が、周りをキョロキョロしながら立ち止まり、iPhoneで空を撮ってからまた元の歩くペースに戻っていく姿を見た。
私もそれに倣って撮ってみた。普段なら手ブレや広角を気にしてわざわざ撮ろうと思わなかったし、写真的には正解とは言えないけれど、ぼやぁと赤く欠けた月も、ぱらぱらと薄く輝く星も、遠い空の向こうを感じさせた。肉眼で見たとき、月の近くで輝く木星も美しかった。
宇宙ってやっぱり好きだなぁ、って再確認しながら、自分と全く無縁の遠い世界のことを想う。
遠い遠い広大な存在が好きだ。まったく自分の影響なんて関係なさそうで、それが妙に気さくに感じて不思議。あまりにもその広大さを思い知ったときは、たまにちょっとこわくなるけれど。


母親といろいろと話をしていたとき、「昔は他人の考えを変えたいって気持ちが強かったけれど、いつからかそれから解放されて、その瞬間から勉強するのがすごく楽になってさらに興味深くなった。論文を書いて他人を指摘したり、自分の正しさを主張することから自由になれたのが大きいのかもしれない。今は自分の考えを守ったり、深くしたり、広くするのがもっと楽しくて興味がある」と言ったのだけど、数日経って母親が「その言葉を聞いて、すごく胸が楽になった」と改めて伝えてくれた。

たくさんの文字と情報と想いがものすごいスピードで行き交う時代だもの、いつのまにか勝ち負けの次元に引き摺り出されてしまうことだって珍しくない。
大前提として、超えてはいけない倫理観はあるけれど、私たちはもっと気を楽にして、自分の話をして、相手の話を共感してあげられたらなぁという理想がある。
自戒のような言葉でもあるけれど、「ここに正しさは存在しない」「あの人がどんな考えを持って生きようが、(危害を加えてこない限りは)私の人生に全く関係のない出来事だ」と思うようになってびっくりするくらい楽になった。

もっとたくさんの人が「どうでもいい」と思われる自分の話をしてほしい、そういう話を聞いてあげたい。
無理して聞かなくてもいいし、理解しようとしなくていいとも思う。「どうでもいい話なんだけどさ、」から始まる話を聞きたい人が、少なくてもここにはいる。


仕事は相変わらずバタバタしていて、まだまだ勉強することがたくさんあって、11月は反動が来ないように少し減速しながらがんばりたいなぁって理想は正直叶えられているか分からない。
がんばっている証明を、別に誰かに認めてほしいわけではないのに、何より自分自身がいちばん自分への期待度を上げているかもしれない。
自分が好きな自分になりたいって、別に悪いことではないはず。仕事のことをあれこれ母親に話したら「あなたは欲が多いね」って、うん、その通りだ。
何より欲張りな私のことを自分自身好きなことがタチが悪いかもしれないが、しょうがないと割り切って自分に課したハードルを見上げる。
大丈夫、がんばれる。
今週から愛おしい人たちに会う予定がたくさん待っている。
いちばん自分が好きな自分の姿で、愛する人たちに会いたいって思うことも、やっぱり私は欲張りなのかなぁ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?