C-Gardenというか僕の話 1 大好きな祖父と祖母へ

 2020年5月7日母方の祖父が亡くなりました。その三年前の6月18日に祖母が亡くなりました。他の人の家庭はよく知りませんが、母方の祖父母宅に行くことが多かった自分にとってあまりにショックな出来事で、でも祖母が中心で回っていた祖母の家では祖父が祖母の死後、体調を崩すのは当たり前の事だったのかもしれません。父ともたばこを吸いながら、かっこつけてそう言ったのは祖父が亡くなる数日前の話でした。

 さて、本記事を読んでいただいた方にはいきなり重い話になってしまいました。
 僕は株式会社C-Gardenという小さなクリエイティブブティックというのか制作会社の代表取締役をさせてもらっています。
 会社を立ち上げさせてもらったのは21歳の10月、大学4年の時でした。
 尊敬する社長たちが皆、会社が四期目に入るとこのように記事を書いてくださっていて勇気をもらえるので、僕も会社の三期目が終わったら書いてみようと思っていたのですが、どうにも先述の祖父の死が大きく、クリエイティブ系の仕事が手につかないので少し早いですが書いてみようと思います。駄文になるかもしれません。ごめんなさい。

 先に会社の話をします。株式会社C-Gardenは現在、2期目の後半になる制作会社です。B to Bビジネスというクライアントの方からお仕事のご依頼をいただき、お金をいただいて該当のシナリオやイラストを納品したりします。メイン事業としてはシナリオ制作とイラスト制作、CSやら翻訳をしています。スタッフ数は僕を含めて20数名ほど。東京都の中の多摩市にあります。『サンリオピューロランド』や『ベネッセ』があり、『耳をすませば(スタジオジブリ)』『平成狸合戦ぽんぽこ(スタジオジブリ)』の聖地と言えば、少ししっくりくる人もいるかもしれません。

 そんな多摩市で平成8年10月3日に僕は「義裕」という名で産まれました。「義」は義理人情に厚く、「裕」は人に恵まれ裕福であってほしいという願いをこめたそうです。愛する母や父が望んでくれたおかげで、父方と母方どちらにとっても初孫として生を受けました。その三年後に一人妹が生まれて4人家族として多摩市で過ごしていました。転校ということも一切なく、多摩市にいました。
 まぁ、初孫であったこともブーストになったのかめちゃくちゃ愛されて育てられました。一か月、遅くても三か月には一回祖父母宅に泊まりに行き、お菓子を買ってもらったり、遊んでもらってました。学校の長期休暇期間は自分だけ祖父母宅にいたこともあります。手伝うとよく褒めてくれる祖母と色々教えてくれる祖父が大好きでした。よく「母と叔父のように兄妹は仲良くしなさい」「人を大事にしなさい」と言われたことを覚えています。祖父は、かつては運転ドライバーだったようで、すごく上手に運転をする人でした。一緒に将棋をいっぱい指してもらいました。祖母は誰とでも仲良くなれる人というか、いろんな人としゃべっては何かをいただいたりしていました。自転車の後ろに乗っけてもらってよく一緒に買い物に連れてってもらいました。

 そんな祖父母にも育ててもらったのもあり、人を大事に考えることができるようになりました。正直、祖父母の話でまだまだ書けてしまうので、何部かに構成を分けようと思います。今回は、身内の話をメインにしますが祖父母の話にいきすぎたのでいったん、会社の話に戻ります。

 会社の社名は、名は体を表すというという言葉がありますし、悩みに悩んで「Creator」と「Creative」の「C」と庭を意味する「Garden」で「C-Garden」にしました。モノづくりをする場所という意味と、モノづくりをする人にとって居心地のいい場所(庭)であるようにという思いを込めています。クリエイティブは僕らにとってどんどん身近なツールになってきたと昨今、特に感じます。と、同時に才能と運に恵まれる恵まれないということをよく聞くようになりました。もっと言うなら天才という人種が増えたなぁと感じます。
 私自身は残念ながら凡人なのですが、23歳という年齢もあり天才とおっしゃっていただくこともあります。その評価はありがたいことなのですが、天才ってなんだろうと漠然と考えると自分にできないことをできる(できている)人なのではないかと考えます。才能の正体は集中力っていう漫画もありますが、ここでは一回おいておかせてください。(『左利きのエレン(作かっぴー)』はすごい面白いので興味のある人はぜひ!!)自分にできないことというと、確かに難しい気がします。でも、才能は環境から生まれるのではないかというのが僕の自論です。音楽で有名な人が昔から楽器をやっていたことは多く、高校大学から初めてプロになりましたって人よりも多いでしょう。その人たちに2代目が多かったりするのもよくある話です。幼少期から音楽をやれる環境があった。そしてそれを教えてもらえる環境があったと考えます。
 では、別の仕事をしながら、余暇の時間でシナリオやイラストを描いている人と、仕事の時間も含めてシナリオやイラストを描いている人ではどちらの方が環境がいいでしょうか。ことその仕事にこだわるのであれば、後者だと考えます。そう考える方が多いからこそフリーランスという形を選ぶ人も増えてきたのでしょう。でも、フリーランスは言い方を変えれば一人企業です。バックオフィス業務を一人でこなし営業をして本業をやります。それができる人を尊敬すると同時に、皆が皆それをやれるとは僕は思えませんでした。

 そうして、株式会社C-Gardenを起業しました。会社を立ち上げるにあたって決めたことがいくつかあります。

◆率先して登録制はやらない
 こう書くと誤解を生みそうですが、マッチングサービスや優秀な制作会社を否定はしていません。
 ただ、僕は雇用というやり方にこだわるということを決めています。弊社は一部業務委託とアルバイトを除き、契約社員か正社員雇用しています。登録制のボトルネックですが、全ての人に仕事を振れるかというと残念ながら振れません。仕事がないこともあります。
 でも、雇用をしていると当然給料が下がったり、解雇も100%ないわけではないですが、法整備がされており明日の生活にすぐ困ることはありません。環境を作る会社として、ここは絶対だと感じました。

◆消費者金融からお金を借りる前に倒産する
 これは両親や祖父母への勝手な誓いです。
 僕の人生は、僕だけのものではないので、社員にも口酸っぱく言っています。

◆その人の人生を背負う覚悟を持って採用する
 これは割と最近決めたことになります。株式会社は株主のものです。そして、弊社の株はほぼほぼ僕が持っています。(数パーセントは役員が持っています)俗に言うオーナー会社です。無限責任という言葉があります、詳しくは調べてほしいですが、ざっくりいうと会社が潰れて負債がある場合、僕に責任があります。だからこそ、何かあった時に社員を責めたくなかった。こいつらとやったんだから、しょうがない。そう思えるようにしようと決めました。

 こう書くと分かりづらいですが、クリエイターにとっていい環境を作る。そういう覚悟と必要最低限のことな気がします。弊社のことを知ってもらえたらと思いますので、少しずつ更新していこうと思います。

 また、最初の記事で大変恐縮ではございますが、本記事はほぼ私文なので天国の祖父母に向けて話をして締めさせてください。

 「じいちゃん、ばあちゃん、僕は人に恵まれたよ。いいクライアントやスタッフ、友達や家族や奥さんに。じいちゃんやばあちゃんに教えてもらったように僕もその人たちを大事にしていくよ。ありがとう。じいちゃんとばあちゃんの孫でよかった。天国で元気で。またね。」

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