「原稿用紙二枚分の感覚」 評価や採点の基準について

「原稿用紙二枚分の感覚」に作品を送ってくださったみなさん、そしてその応募作に触れるという形で参加してくださったみなさん、本当にありがとうございます。全49作の応募となりました。

 今後のスケジュールと、評価項目の詳細および採点基準を、ここでお知らせします。また、今回の企画の意図、目的を、改めてお伝えしたいと思います。

今回の企画の意図、目的

 今回の目的は、五感や動作、自然描写で編まれた小説に触れ、人の心、心理、内側と呼ばれるものにそっと手を伸ばし、それをそのまま感じること、感じようとすることでした。そういった態度が、昨今の厳しい現実を、自らの心情を、なにより他者を、じっと見つめることに繋がるだろう。そう思って。

 ですので今回、五感と自然描写と動作のみで編まれた掌編を、正確にはそれらに作中人物の心情が載っている掌編を、制限を設けるという形で、みなさんに求めました。感覚と動きだけで、人は小説を、人間を、どこまで描けるのか。人の内側を、およそ身体に関するものだけで表現すること。それを、応募者のみなさんには求めました。

 それでも、参加してくださった方に望んでいたのは、好きなように書くことです。この制限のなかで、自由に書いてもらうことです。あるいはほかの方の作品を読んで、別の人の表現の仕方、あるいは他者の感じ方、見え方に触れていただき、たくさんのことを感じてもらうことです。これは、参加はせずに応募作を読むという形で参加してくださった方に対してもそうです。心の声そのものではなく、心の声を確かに纏っているもの(五感、動作、自然描写)に触れ、多くのことを想像し、同時に自己の感じ方や見え方を、再確認していただければ。そう思っていました。

 人には、人のことを正確に、完璧に理解する力がありません。人に見えるのは、他者の外形だけです。そしてそれを見て、たくさんのことを想像しますが、往々にして決めつけや断定、自己の感覚の敷衍で止まってしまい、他者を極めて異質な存在のまま、受け入れることができません。他者を安易に分かったつもりになることほど、恐ろしいことはありません。それは他者だけでなく、自己の心という、最も異様な何かを知った気になることでもあります。そうなったとき、人は眼前を、他者を、大いに勘違いし、自らの都合のいいように切り取り始めるように感じます。それは怖いことです。そのうち現実を、あらゆるものを、己の都合のいいよう咀嚼するようになってしまうからです。異質なものを、恐ろしいものを、ありのまま受け入れる力が、受け入れようとする態度が、損なわれるからです。心地よいものだけを求めて、それ以外を打ち捨てるようになるからです。

 だからこそ、心理描写を避けて小説を創ろうとすることは、動作や五感、あるいはその周囲にあるものに、心理を載せて、小説を描こうとしてみることは、とても大切なことだと思います。いかに他者が異質か、異様か、心理というものが複雑か、見る機会になり得ます。あるいは人の書いたものに触れ、伝わってくるものを伝わってくるままに感じ、異質な存在として、あるいは自らに近い存在として見つめることも、同様です。

 今回の催しが、自己の感覚を再確認するきっかけになればと思いました。あるいは他者の感じ方に、じっくり触れるきっかけになればと思いました。あるいはその準備になればと思いました。それが、確かに生きている自分を、他者を、今を、熟視することに繋がるだろうと、そう思って。

 そのため、開始してから応募を締め切り、すべての応募作を何度もじっと見つめた時点で、自分の目的はほぼ達成されます。みなさんの言葉に触れることが主目的であり、採点したり評を書いたりすることは、目的に付随しているおまけのようなものです。そして、みなさんが好きに書いて、互いの作品を読み合い、それぞれが何かを感じ、ある人たちは伝え合い、ある人たちは自らのなかでそっと咀嚼する。それだけで、自分は十分満足です。みなさんの作品についたスキや、贈られた感想を見て、よかったと思いました。ですから、評はおまけと述べました。自分の評や点数などは、みなさんが書き、読んだという事実に比べたら、極めて瑣末な事柄であること、お伝えしておきたいと思います。打ち捨てられても構わないものです。今回の催しの中心は、決して自分ではありません。書いたみなさん、読んだみなさんです。自分はいないも同義です。何もしていないんですから。

今後のスケジュール

 この記事の公開後、作品ごとに書いた評を、まずみなさんにお返しします。評はマガジンに掲載した順番に書いていますので、お返しする順番もその通りとなります。

 本当は、すべての評を一つの記事にまとめようと思っていたのですが、想像以上に応募があったのと、個々の評の文量の都合上、複数に分けてお返しします。そのため、応募した日が締切に近いほど、お返しするのが後ろになってしまいますが、ご了承ください。

 ちなみに、評は採点の根拠でもあります。そのため、加点した、減点した、気になった、という表現が多く出てくるかと思いますが、個々の作品の詳細な点数は、結果発表の際にお伝えします。

 評をお返ししたあと、応募作全体の総評と採点を発表し、結果発表とさせていただきます。よろしくお願いします。

個別の評について

 自分の作品がどういうものなのか、多くの文学賞やコンテストが返してくれる答えは、極めて曖昧です。文学賞に落ちたときは、特にそうではないでしょうか。どういった特徴があって、人から見るとどんな書き方で、どのような色があって、どこが作品の色を濃くし、薄くしているのか。どういうところを磨けばいいのか、どういうところにまばゆいものがあるのか。自分の作品とは何なのか。知りたいと願いながらも、多くの場合、それを知ることは敵いません。

 ですから今回、せっかくなんだからと、透明性が少しでも出るよう採点制を採用し、点数のつけ方を定め、それに沿って機械的に点をつけ、読んで感じたことを、評という形で、なんとか言語化しようと努めました。みなさんの小説から何を感じ、設けた制限のなかでどう評価したのか。その詳細を、理由を、できうる限りで文章にしました。それがみなさんの創作に、書くことに、読むことに、どういう影響が、意味があるかは分かりませんし、役に立つかどうかも怪しいですが、いいように利用してもらえばと思います。仮に指摘されたことがあって、よく吟味した結果、たとえば「何言ってんだこいつ」と思った場合、その気持ちを大切に持ったまま、小説を、言葉を、紡ぎ続けてほしいと思います。自らの思う通りに、書いてほしいと思います。重要なのは、人に言われた通りに言葉を編むことでも、他者の気に入るように綴ることでもないと、自分は考えています。

 できた評やつけた点は、自分の主観を、多分に映しています。評とは言いながら、実際は感想です。論じているようで、厳密な論ではありません。作品の文学的な意義、普遍的な価値、技術論、創作論、芸術論的な意味、社会性、物語性、時代性、オチの意外性などは、頭のなかには置いていません。既存の作品、創作物との比較検討も行っていません。その作品、そこにある文字だけを単体で見ています。そこにいる人間を見ようとしました。それゆえ、客観的によいとか、一般論として面白いとかつまらないとか、文学的に意味のない駄作であるとか、そういったニュアンスは、評には一切含まれていません。今回重視したことと、設けた基準に沿って評価しただけのことであって、点数が低いからといって、その小説のすべてがどうこう、ということでは決してありません。今回の基準に当てはめたとき、選考者が見たらそう感じる、という意味合いしかありません。本来小説は、どのように描かれてもいいものだと思っています。ですので、思ったことを忌憚なく書かせていただきましたが、仮にここでの点数が低いからといって、あるいは高いからといって、それがすべてではないこと、ご了承ください。見る角度が変われば、光り方や陰のつき方は変わるものです。あくまでも個人的な見方であるということ、ご理解くだされば幸いです。また、評や採点を見て感じたことは、どうか大切になさってください。

 個別に評を書く、また採点をするに当たって、事前に言った通り、作品外のことは一切考慮していません。題名と本文だけを見させていただいています。そのため、見出し画像やタグなどは、作品外の要素としています。フォローやこれまでの関係性についても同様です。作品外の要素、たとえば作者の方の年齢や性別といった要素を評価に混ぜ込んでしまうと、言葉それ自体を見て判断したのではなく、若さや老い、性を見て、作品の色を判断したことになってしまいます。関係性や、作品を創る際にどれだけ時間をかけたか、努力したか、あるいは熱意、という部分に関しても同じです。そこを考慮するということは、互いの関係性や費やした時間、努力や熱意を評価するということになり、そこにある文章から目を逸らすことになってしまいます。文章ではない別のもので、文章を評価することになってしまいます。特に熱意に類するようなことは、正確には知りようがありません。結局、言葉それ自体に、余計な色をつけることになってしまいます。それは避けたかった。そのため、題名と文章以外のおよそすべての事柄は、今回、採点するに当たって、評を書くに当たって、無視しています。作品の奥にいる作者を軽視している、という見方があるかもしれませんが、作者の方を尊重しているからこそ、作品だけで一切を評価しています。作品外の要素を含めて作品を見ようとすることは、作者の方にも、言葉にも、失礼だと思うからです。これは個人的な考えですが、今回、それに則っています。

 間違った読み方をしているかもしれない。こういうふうに解釈したのは、自身の無知や偏見が原因かもしれない。この作品を読んだときに湧き上がってくるこの「感じ」は何だろう。絶えず自己批判をしながら、作品と同時に自身を見つめながら、評や採点に取り組んでいます。自身の感じ方を激しく疑いつつ、最終的には自身の感覚を重視しています。そこしかすがるものがないからです。分からなかったところは、分からないものとして、そのまま見つめています。そこにある文章のありのままを、感じようとしています。

 なお、作品を読んで個人的に感じたこと、読んだ結果胸のなかに生じた感覚を、なんとか言語化しようとしているので、分かりにくい部分、理解しにくい部分が、評には多分に含まれている可能性があります。その場合、ほかの方の作品の評や、結果発表の際に載せる全体の評を読んでいただければ、いくらか補完できるかもしれないこと、お伝えしておきます。

 また、ほかの方への評を読めば、自らの感じ方と、選考者の感じ方の違いが、幾ばくかでも知れるはずです。そうすれば、自らの感覚、感性などを再確認し、あるいは見つめるきっかけにもなるかと思います。

 それから、あっちとこっちで言っていることが違う、という場合があります。たとえば、ある作品ではそこにある抽象性を低く見ながら、別の作品ではそこにある抽象性を高く見ている、という具合です。その場合、そこには個人的に感じられた明確な違いや、「何か」があったこと、お伝えしておきたいと思います。また今回、立てた基準に従って点をつけています。その意味で、後日発表する数字の部分は機械的です。

 なお、あまりにも心理描写が多いと判断し、今回無評価として採点していないものは、その旨、評のなかで明記してあります。今回求めたのは、五感と自然描写と動作のみで描かれた小説です。それらだけで、いったいどこまで描けるか、というのが、知りたいことでもあったので、直接的な心理描写があまりにも多いものは、設けた基準上、採点の対象とすることができませんでした。ご了承ください。


評価項目についての詳細

〜評価項目〜
 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
 4.基礎的文章力。
 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。

1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 文章の流れや全体の統一性、書かれ方の一貫性、あるいは事物や行動の必然性を眺めます。ただし、破綻や偶然性があっても、それだけでは直ちに評価は下がりません。なぜ破綻しているのか、なぜ偶然性が濃いのか、その理由が伝わってくれば、あるいは理由でなくとも、何かしらを感じられさえすれば、そもそも無視できるなら、一切が偶然性で構成されていても、統一性がゼロでも、問題ありません。すべてが破綻していたとしてもです。

2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
 個々の描写を中心に見ます。およそ異質だと感じられれば、心に残る表現が多ければ、ここでの評価は高い水準を維持することになります。すべてが平易な文章で構成されていた場合、ここでの評価は低くなり得ます。一切評価しない場合もあります(ゼロ点)。ただし、個々は平易でも、全体を通して異質であると判断すれば、評価や加点などの対象となります。純粋に、文章や描写が持っている異質性、特質性に注目します。

3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
 五感や自然、動作の描写の結果として、登場人物の感覚や思考が、どういう形であれ伝わってくるかどうかを見ます。その際、作者の方の意図と合っているかどうかは考慮しません。たとえば、作者の方は悲しさと呼ばれるものを表現しようとしたけれど、こちらが楽しさと呼ばれるものを感じ取っていた場合、何かしらは伝わっているので、それで構いません。作中人物の内側が文章(動作や五感)に映り込んでいればいるほど、ここでの数字は高くなります。ただし、説明や心理描写に支えられた心情の伝達は、基本的には評価が難しくなります。内側の表現が説明調であるなら、それを無視させてくれる「何か」や、納得させてくれる「もの」を求めました。説明ではなく、あくまでも描写による表現を、今回は求めています。

4.基礎的文章力。
 基礎的な文章力、という名目で、文章の総体を幅広い視点(完成度、表現力など)から見つめます。これは、「てにをは」を正しく使いこなせているか、単語の意味を正しく用いているか、という観点ではありません。俗に言う文章の上手い人なら点が高くなる、わけではないことに注意してください。「てにをは」がぐちゃぐちゃであろうと、ある語をまったく異様な形で使っていようと、それだけでは直ちに減点しません。明確であろう誤字脱字などには触れますが、国語的なルール、正しい日本語といった視点は、基本的には持ちません。「てにをは」が乱れているなら、その理由が感じられれば構いません。あるいはまったく理由が分からなかったとしても、作品としてその乱れから何かが感じられるなら、問題とはしません。基本的に、文章、表現には理由を求めます。納得させられるようなものを、あるいは生じた違和感を無視させてくれるようなものを、感じさせてほしいです。

 使われている単語群、形容、そのほかの表現などについても、同じような視点に立って見つめます。なぜそれがそのように表現されているのか、また、どうしてその単語がそのように置かれてあるのか、そういったことが曖昧な場合、基本的に採点は厳しくなります。また今回、五感と自然描写と動作「のみ」で描かれた掌編を求めたので、説明的な文章および単純な語りは、基本的には点数が低くなります。明確な説明がある場合は、納得できる理由か、感じられる「何か」を求めました。掌編全体の直接的な解説となっているような文章、表現に対しても同様です。語りで構成された作品に関しても同じです。

5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
 作品、文章全体の空気感や、微細なところに溶け込んでいる「感じ」を見ます。統一感とは視点を変えて、雰囲気、肌感覚などに、特に着目します。全体の空気感を乱すような表現や、細部に限られた粗さや繊細さは、理由を考えます。気になったところがある場合、無視させてくれる「何か」を求めました。基本的には、雰囲気がしっかりと出ていれば、あるいは出ていなくても全体が「感じ」で満たされているなら、それで構いません。

6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。
 文字通り、また読みたいかどうかという点を見ます。選考に当たって、作品はそれぞれ何度も読むので、また読みたいと思ったらその都度控え、加点します。読み返したいと思う基準は多岐にわたります。表現の異質さ、平坦さ、難解さに平易さ、共感できたもの、反感を抱いたもの。いずれも再読したくなる場合があります。心地よいからといって再読したくなるとは限らないことに注意してください。文章が平らでも、また見たくなることはあります。どれだけ心が震えても、細部の粗さや高すぎる完成度が原因で、再読を求めないことも同様です。

 ここで見るのは、その掌編小説が持つ「何か」です。その掌編小説が、どこまで深く迫ってきたかです。人々の造り出した輝き(面白い、楽しい、共感できたなど)は、選考者にとっての光とイコールでないことはご理解ください。ここでの評価は極端になり得ます(ゼロか満点か)。というより、基本的にはそうなります。読み返したいものは、何度だって読み返したくなるものですから。また、たとえ面白いという抽象的な感覚を覚えられる掌編であったとしても、それだけでは、ここでの点数には繋がりません。文字通り「何か」を感じさせてほしいと思います。その「何か」とは、何もない(と評されてしまう)小説でさえ持ちうるものです。また、物語性やオチなるものは、それ単体では重視しません。


採点方法の詳細

 募集要項にも書いたとおり、五感、自然描写、動作「のみ」で書かれていることが前提です。それらだけでどこまで描けるか、というところを、今回重視しています。

 1〜6の各項目20点満点の、計120点で評価します。評価項目1〜5に関しては減点方式を採用。文章を読んでいて、とりわけ大きく引っかかったところは10点、気になった部分はその強度に応じて5点または3点、些細な気にかかりは1点の減点とします。評価項目6(再読したいか)に関しては加点方式を採用。作品を読み込むなかで、読み返したいと思うたびに、5点の加点とします。その後、評価項目ごとに、加点すべきだと判断した表現、文章、単語などがあれば、その分だけ3点ずつ加点していきます。心理描写かもしれないと判断したところは、評価項目ごとに検討し、減点する場合は3点とします。なお、心を直接的に書いている文章があまりにも多いと判断した場合、評は書きますが、無評価として点数はつけません。基準上、点のつけようがないからです。また、採点の対象となっている作品の場合でも、項目の基準上評価ができないところは、ゼロ点となる場合があります。その場合、基準上評価できなかったと明記することを心がけています。

 それから今回、台詞は心理描写とはみなしていません。発言が直接、内面を映しているとは限らないからです。たとえば、「殺してやる」と言いながらAがBに刃物を向けたとしても、それが憎しみと呼ばれるものであるとは限りません。そもそも、人は生きていれば嘘を言うんですから、台詞は心理を直接描いたものではなく、動作の一つ、発言という動きとして見ています。

 また、原稿用紙の基本的なルールが守られていなくても、一切減点しません。

 なお、採点する際に、ツールを用いて字数をチェックします。改行(空行)、空白を除いた字数が800字を超えている、または満たない場合、1字につき1点の減点とします。ツールの違いで、あるいはみなさんの計算とは若干ずれる可能性がありますが、そこはご了承ください。機械的にチェックさせていただいているので。

 評を読まれる際は、上記を参考になさってください。また、結果発表に添える全体の評もご覧になっていただければと思います。

 今回、可能な限り早めに、結果発表をしたいと思っています。『自己紹介』という記事を読んでくださった方は知っておられるかと思いますが、自分には持病があります。また、昨今の厳しい状況もあって、何がいつ、どうなるか分かりません。そもそも人生自体が、一秒先のことすら不明確なので、できる限り早く、ということを心がけています。幸い体調は落ち着いているので、現在、使える時間をすべてこの催しに回しています。たくさん休憩しながら、という形ではありますが、想定よりはずいぶん早く、みなさん全員に評をお返しし、結果をお知らせできるかと思いますので、お伝えしておきます。

 お知らせは以上となります。最後まで、よろしくお願いします。

読んでいただき、ありがとうございました。