「原稿用紙二枚分の感覚」 評16〜20

 評を読むときは、以下の記事を参考にしてください。
 また、敬称は略しています。

●16 南葦ミト 『僕らは歩いていく』

 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 冒頭の音の響きに惹かれました。ですが「2つの影が1つになって、離れるときには手で繋がっていた。」の「離れるときには」からリズムが少し変わります。音読もしていたのですが、ここで音の感じが少し乱れ、そのあと戻りました。ですがまた、「右掌を握り直し、指を君の左手に絡ませた。」で流れ方が変わり、そのあとは終始変化しています。冒頭の音の置かれ方が特徴的で耳に残るので、音の運ばれ方が変わると少し気になります。「僕」が「君」に接近しており、描写も細かくなるので、「僕」の内側も見えますし、統一性が明確に揺らいでいるとは思いませんが、ほんの少し気になりました。もちろん、些細なことだと思います。

 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
 文章全体の色彩を、耳で感じる擬音が濃くしているように感じます。冒頭の音の流れ方にも惹かれますし、「2つの影が1つになって、離れるときには手で繋がっていた。」や「裾を結び上げて両手を広げ、光の中へと僕を招いた。」には胸が鳴ります。個々の文章は平易ですが、それが全体のやわらかさのなかで息づいています。全体が部分を、部分が全体を、異質なものに変えているよう感じました。引用した二ヶ所と全体の異質性は、それぞれ加点しています。

 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。 
「裾を結び上げて両手を広げ、光の中へと僕を招いた。」から「君」の内面を、あとに続いていく文章群から二人の内側を、それぞれ強く感じました。「舌の感触」から「しょっぱい」、「海水だよ」という一連の流れには、二人のこれまでの関係性なるものが反射しています。かざされた指輪も同様です。過去や経験、未来という幅が生まれています。個々の動きや描写、作中人物の感じ方に、互いや生への想いが出ているように思います。やわらかい文章にも関わらず、非常に生々しいです。生きた人間が見えてきます。

 4.基礎的文章力。

 全体的に細かい描写で紡がれていくなかに、一ヶ所、とても抽象性の濃い描写がありました。「海は命の匂いがする。生の匂いも死の匂いも、総てを含んだ原初の香り。」がそれです。それまでは、多少抽象性があっても非常に細かく、砂や光の感覚が描かれていましたが、そこで突然、思想なるものが現れました。「原初の香り」の意味は、分かることは分かりますが、五感の表現としては極めて曖昧なように感じます。そこ以外はすべて、具体の衣を軽く羽織っているので、「僕」の人生観、物の見方なるものを、抽象性の高い状態で突然直接放り込まれると、少し圧が強いです。「命の匂い」なるものは、掌編全体に、すでに淡く香っています。わざわざ補強しなくてもいいように感じました。仮に補強するなら、たとえば「死の匂い」を強調するなら、打ち上げられた海の生物の死骸なりが、細かく描写されていればそれで十分なはずです。この、思想なるものが直接漂っているのは気になりました。

 また、説明的な文章が少し浮いているようにも見えました。「半歩先を行く君がそれを握り返した。振向き様、小さく綻んだ口元が、僕から笑顔を引き出した。」は浮き方が顕著なように感じます。特に前半です。「君に握り返された」なら語り手の感覚ですが、上記の場合、主語が「僕」から「君」へと移動しているため、結果として説明の色が濃くなり、続く文章の説明感が増しています。全体を通してよく描写されてあるので、細かいところですが気になりました。「砂の音が止み、潮騒だけがふたりを包む」も同様です。「潮騒だけに僕らは包まれる」あるいは「包まれた」なら描写ですが「ふたりを包む」だと説明の色がより濃く感じられます。微細なニュアンスの違いは、表現全体の細緻な描かれ方も考慮して、重視しました。

 ちなみに、「僕」という主語がぽつぽつ出てきますが、置かれてあるところは強調のように感じられ、「僕」があったりなかったりしても、気にはなりませんでした。そもそも、読んだときに違和感を覚えないのは、「僕」という主語が文章全体と調和していることも、非常に大きいと思います。書かれ方として自然でした。「君」も同様です。

 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。 
 赤い感じが、描写全体から出ています。冒頭の音の響きが、海の存在をくっきりさせています。基本的に擬音を用いると、表現がかわいらしくなりがちですが、全体の文章と調和しているので、少しも気になりません。薄赤い空気感が迫ってきます。においがします。文章が、海のように生きています。

 ただ、「海は命の匂いがする。生の匂いも死の匂いも、総てを含んだ原初の香り。」のところが、全体の空気を多少乱しているようにも思いました。正確には、浮いている、といった感じを持ちました。ほかの説明的な文章も同様です。個々は些細な引っかかりですが。

 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。
 何度でも味わいたいと思える、そんな掌編でした。「太陽光を乱反射してきらめく水面を背にした君は、裾を結び上げて両手を広げ、光の中へと僕を招いた。」という惹かれる一文の存在、それを支えているほかの自然描写、作中人物の動き、感覚。すべての文章が複雑に、けれども簡素に編み込まれており、読みほどいていくのが心地よい、そんな文章でした。また、作中人物に関する明確な解説や説明がないので、たくさんのことを想像できる、広がりのある掌編のようにも思います。

 総評。

 作中人物の行動からは内側の白さが発光し、自然描写からは圧倒的な淡さを有した赤が、肌にくっきりと迫ってきます。造られた、という感じがせず、すべてが滑らかで、さらさらしていて、それでいて潮のようなべたつきを感じました。およそすべてが自然でした。そこには確かに二人の人間がいました。作中人物の行動から、心の輪郭が照り返しています。瑞々しさと、その裏の生々しさに、とても激しく惹かれました。


●17 七屋糸 『次に別れるときは「またな」って言うよ』

 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 透明感と淡さが、文章の端々から伝わってきます。全編を通して淡色で、濁ったりすることが一切ありません。細やかな自然描写と一つ一つの動きが心地よく溶け合い、統一感が生まれています。また、作中人物の行動も自然で、生きた人間の香りが感じられます。気になるような破綻などはありませんでした。

 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
 個々の描写に関しては、細やか、という一点に尽きます。「『卒業おめでとう』と手書きされた文字は、少し歪んで右に逸れていた。」や「学校裏の細道に並ぶ桜の木は、まだ満開になりきらないのに、はらりはらりと花弁を手離していた。くすんだカルピス色の空に、渦を巻いた風が薄紅色を連れていく。」など、丁寧な描写を読んでいると、胸がとくんと鳴り響きます。個々の表現はやわらかいですが、それでも全体を通して、際立った細やかさが出ているように感じます。一つ一つの描写をそっと拾い上げてみると、どれも本当に、丁寧に磨かれてあるように感じます。よく手入れされた透明な爪、という印象です。個々の表現というよりも、文章全体として、心にじんわり染みてくる、そんな掌編のように思います。全体の、細緻なまでの編まれ方は加点しています。

 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
「遥香の歩幅に合わせて歩きながら、」というところには、二人の身長差と同時に、語り手の心情がよく出ているように思います。「飛行機の時間なの、と遥香が言うから、僕はできるだけ目を合わせないようにした。」や「僕は花びらごと握り締めた左手をポケットしまい、上を向いて並木道を戻った。」も同様です。個々の行動に、語り手の青くとろけた内面が映り込んでいるように感じます。細かな自然描写もそうです。「足元の砂利は細かく、風が吹き抜けるとほこりが舞って視界が霞がかる。」はただ周囲を描いているだけのようで、実際は語り手の目、そしてその目を支配している心情が、多分に原稿の上を吹き抜けています。「僕は両手のひらをいっぱいに広げてみるが、花びらは指の間をすり抜けて次々に落ちていく。」も同様です。生きた人間の息遣いが聴こえてくるので、掌編全体から、多くのものが伝わってきました。

 4.基礎的文章力。
「僕は着古した学ランの横で左手をぶらぶらさせていた。」の「着古した」が気になりました。全編を通して描写が丁寧だからこそ、妙な説明感を感じます。「着古した」ことを、袖のほつれなり裾や襟の傷みなりで描写してほしかったように思います。サイズ感でも構いません。何でもいいですが、表現全体が極めて細やかだからこそ、微細な表現の差が気になります。小指の爪だけ研ぎ忘れてる、という感じでしょうか。そういった違和感を覚えます。

 それから、「流行の音楽のような言葉の波に相槌を打つ。」の「流行の音楽のような」という比喩も気になりました。どんな音楽が流行っているかは時代ごとに違います。ほんの数年で、好まれる音楽というものは劇的に変わります。であるなら、この比喩は非常に抽象的です。どんな音の響きなのか、想像できません。時代が明確に分かる表現がほかにないため、この抽象性は気になります。ほかの描写が具体的なだけに、余計引っかかりました。比喩は基本的に、類似性を利用する形容ですから、「流行の音楽」と「言葉の波」には、同じように流れているものがほしいです。ない場合は、その表現が劇症的なほど異質であってほしいように思います。この掌編の場合、「流行の音楽のような」はどうしても中身を想像できず、「言葉の波」の形容には、およそなっていません。もちろん、「流行の音楽のような」が表現していることはそこはかとなく伝わってはきますが、ほかの細緻な表現との関係も踏まえて、無視できませんでした。ここはどうしても曖昧に見えてしまい、引っかかりました。

 あと、細かいですが、「僕」という主語のある動作表現と、主語が省かれてある動作表現があります。「遥香の歩幅に合わせて歩きながら、流行の音楽のような言葉の波に相槌を打つ。」にはありませんが、「飛行機の時間なの、と遥香が言うから、僕はできるだけ目を合わせないようにした。」にはあります。ここで、あるほうかないほう、どちらかが強調なのかな、とも思いましたが、全体として、使い分けられている差が不明でした。音のリズムかな、とも思いましたが、「僕」という主語がある文章から「僕」を試しに消して音読してみても、そこまで違和感はなく、逆も同じです。なぜ主語の有無が分かれているのか、いまいち伝わってきませんでした。些細なことですし、そこまで気にはなりませんでしたが、一応お伝えしておきます。

 なお、全体の完成度に惹かれ、その部分は加点しています。

 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
 丁寧さが、圧倒的な雰囲気を醸し出しています。恋情、悲哀、悔しさ、強がりという言葉で形容できうる、およそたくさんのものが感じられます。個々の動き、語り手の目が、「感じ」を、どこまでも淡く、それでいてはっきりと押し広げているように感じます。基本的に細部まで丁寧に描かれてあることが大きいように思います。細かなところから香っているものが重なり合い、掌編全体の空気感が分厚くなっています。

 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。
 極めて上品な作品で、文章がもたらしている空気感も、浸っていると落ち着きます。ですがもう一歩、心に迫ってくるものがほしかったと思います。別れ、恋、青春など、核となるものは掌編全体からよく香っていますが、だったらさらにもう一つ、この掌編からしか香ってこない「何か」がほしかったように思います。作品としての整い方は異質だと思います。個人的にはとても好みです。それでも、心を握りつぶしてくるような「何か」があれば、さらに印象は濃くなったと思います。とってもよかったなぁ、という気持ちは、読後確かに残りましたが、作中人物の内面がより生々しく迫ってきていたら、あるいは、という想像をしてしまいました。圧倒的な完成度が、逆に物足りなさを生んでいるように思います。一言で言えば、伝わってくるものがあまりにも穏やかで上品、という感じでしょうか。ぐるぐる渦巻いているであろう内側の感じも、ちらとでいいから見せてほしかったように思います。「僕」が現実を素直に受け入れすぎているように思います。態度や行動は素直に見えてもいいのですが、体の端々は、決して素直には受け入れていないはずです。そこをより細かく描いてほしかったように思います。そのほうが、より生々しく、生きた人間に見えたと思います。もちろん、このままでも十分生きた人間には感じられました。そのことは、繰り返しお伝えしたいと思います。

 総評。
 繊細に編まれた文章は、目でほどいていると心地いいです。空気感も異様で、語り手の息遣いがよく見えました。最後のほうの描写からは、多くのことが感じられ、想像できます。「柔らかいものが手の甲にあたる。」や「つまんで取り出してみると、くしゃくしゃに萎れた桜の花びら。視線を上げると遥香が大きく右手を振っていた。」の辺りです。文章が見せてくれる淡さには圧倒されました。ですが、どこか物足りない気がしました。こちらの不感症が原因かもしれません。それでも、あと一つ、目玉を掴んで離さない「何か」があれば、この掌編の輝きは、決定的になったように思います。なまじ完成しているだけに、その完成度の高さが、ほんのちょっぴり薄味でした。最後に何か、振ってほしかったように思います。コショウでも塩でも。


●18 プラナリア 『最初の晩餐』

 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 くすくす笑える軽妙さと、その奥を流れるとろりとしたほの暗さは、文章を通して失われていません。説明調の表現や完全な説明になっている文もところどころにあるので、全体の文章の組まれ方は均一に見えます。俺は俺はと、主語もあちこちで多様されています。生じている出来事自体はおよそ現実的ではありませんが、特別な破綻などは見受けられないように思います。読んでいると心が弾みます。

 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
「俺はまず初めに白米を口に入れ、続いて白米を頬張る。」はおかしくて心奪われました。声を出してくすくす笑いました。「間を置かずして、俺の箸は妻に贈られた皮ケースの方へと動いたのだった。」という最後の一文は異質で、掌編に深さをもたらしているように思います。全体としては平易で、強烈な文章が各所に埋め込まれている、というわけではありませんが、それでも総体として、しっかりと鈍く、光っているよう思います。核となっているものの色彩は好みです。

 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
先に引用した「俺はまず初めに白米を口に入れ、続いて白米を頬張る。」を始めとして、動作の描写からは、語り手の内側がよく香ってきます。とりわけ最後の文章から漂ってくるものを重視しました。言語化の難しい輪郭すら不明な語り手の「何か」が、はっきり見えてきました。この一文の存在が、この掌編の肝のように感じます。深みも感じられます。ただし後述しますが、掌編の核の半分を構成しているであろう日常感の表現がほぼ説明なので、その点で、語り手の心情の香りが薄くなっているように思います。

 4.基礎的文章力。
 説明が多いように感じました。説明調の文章も散見されます。たとえば書き出し。「今宵もいつも通り、」と「本日の献立は、」という形容があるせいで、説明的なにおいがしています。「去年妻から贈られた誕生日プレゼントを」というところも、スマホケースの描写ではなく、これはこういう意味のあるスマホケースです、という説明になっています。妻からの贈りものであることが、説明ではなく、描写による伝達であれば、掌編全体の異質さがより際立ったように感じます。説明だと、へぇ、とか、おぉ、とか、どうしても軽い感覚を覚えやすいです。「長女はここ最近料理に興味を示しており、ほんの少しだが妻の料理を手伝ったり、使われた材料、調味料を当てるクイズをしている。」も同様です。この日常感が説明ではなく描写であれば、ほかの文章の香りが、もっと強烈になるはずです。掌編の核のもう半分であろう異質感も、より際立つように思います。「俺と彼女が付き合い初めてから早十六年、俺の様子がおかしい時はすぐに看破される。」も同様です。「間を置かずして、俺の箸は妻に贈られた皮ケースの方へと動いたのだった。」も説明調になっているように思います。説明が全体をぶち壊しているというわけではありませんが、気になったのでお伝えします。説明ではなく、全体の書き方と調和している描写であれば、もっとえぐみのある掌編になったと思います。

 また、「……ハッと顔を上げると、妻と兄妹は既に食事を初めていることに気が付く。」は「……ハッと」と「気が付く。」が混ざって、直接的な心理表現の香りがしています。結果、「妻に俺に向かって怪訝な顔をするので、」の「怪訝な」も、内面の直接的描写に見えています。ここはワンセットで心理描写になっていると判断しました。また、「妻に俺に向かって」と、てにをはが乱れています。ここだけ強調する意図かと思い、ほかの表現とも比較しましたが、乱れている理由としては淡く、小さく引っかかりました。

 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
 奇妙さと軽妙さ、そして深い底をとろりと流れる不気味さが、よく織られているように感じました。語り手の言動がもたらすものと、家族の言動が生み出すものが、汚臭がするほど丁寧に混ざり合っています。空気感は分厚いです。だからこそ、端々の説明が気になりました。説明ではなく描写であれば、この作品が持つ「感じ」は、ますます強烈になったと思います。

 また、文章自体が平易で乱れがないことも、多少気になりました。てにをはがもっとぐちゃぐちゃだったりしてもよかったかもしれません。一人称ですから、語り手の内面に合わせて文章を壊してみる、という表現も可能だったように感じます。特にラスト。どう書くかは自由ですが、なまじ整っているので、一貫した上品さが、雰囲気を多少弱めているように思います。文章が、この掌編が持つ核や流れに合った乱れ方をしていたら、もっと空気感は出たように思います。好みかもしれませんが。丁寧に書くことだけが表現ではないと思います。

 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。
 もっとえげつなかったらな、という物足りなさを強く感じました。個人的には好みで、にっこりしたり、驚いたりしながら読みましたが、それだけ、という印象が強かったです。もう一歩、踏み込んできてほしいと思いました。異質なことが描かれてあるので、文章全体がもっと異様だったらなと感じます。あるいは逆に、もっともっと平易に淡々と書かれてあってもよかったかもしれません。そうしたら、掌編の核とのギャップで、感じられる色彩も濃くなったと思います。半端に起伏のある文章なので、印象が大人しくなっています。急なら急、平らなら平らで一貫していたら、きっと読み返したくなったと思います。

 総評。
 テーマや描かれ方、空気感や掌編が持つ深さ、個々の表現のおかしみは、個人的には好みです。ですが、どこか控えめな感じがしました。もっと荒々しく迫ってきてくれてもいいように思います。そうでないと、あぁいい小説だった、読めて楽しかった、という記憶しか残りません。それはそれでいいんですが。吹っ飛ぶならどこまでも吹っ飛んでいってほしかったですし、地を這うなら這い続けてほしいです。作品全体になんだか溶け残りがあって少しだまになっている、それが気になって仕方ない、という感覚が、最後まで消えませんでした。掌編の核がより生きるような文章表現であれば。その一点に尽きるような気がします。描かれている事柄的に、もっと気持ち悪さが出ていたら、と思います。日常に関する描写がより細かく、語り手以外の人間の息遣いがもっと聴こえてきたら、とも思います。家族の異様さ、と言っても構いません。


●19 きゆか 『午前4時半、川を歩く』

 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 浅くて細い川のように、淡々と流れていく文章に見えます。気になって仕方がないような破綻や偶然性もないように思います。一貫して調子が維持されているように感じました。文章全体の色艶は一定に見えます。紡がれ方は統一されています。ですが、一人称なのか三人称なのかよく分からない書かれ方であったことは、お伝えしておきます。「二人が」あれこれした、という表現が多様されながら、「君が立ち上がったので、すかさず私も立ち上がったけれど、」というところでは「私も」とあります。また、主語のない文章の多くから、一人称的香りが漂っています。掌編がどこか三人称的に見えるのは説明調が原因だろうと思い、この項目では問題視していませんが、どうにも人称がふらついている印象を受けました。

 また、後述しますが、よく見ると全体の調和(雰囲気)は乱れています。別の項目で詳しく触れます。

 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
「じりじりと足が泣いてよろついてしまった。」という表現は独特で、惹かれました。全体的におうとつのない文章ですが、上記のように異質な表現も存在しています。もう少し、上記のように鋭く瞬く言葉があれば、掌編全体の表現の艶が増したように感じます。鋭い表現は、ほかの丸みを帯びた表現の質感を、濃くするように思うので。引用した部分は強烈だったので、加点しています。

 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
「じりじりと足が泣いてよろついてしまった。」を中心に、細かい動作に二人の、とりわけ語り手の、形容しがたい心情が載っているように思います。ただ、最後の行の「君の誕生日が川へと流れ、二人は解散した。」を始めとして、解説や説明になっている文章が、それを下支えしている感は否めません。解説、説明になっている文章ありき、という掌編のように感じました。動きや感覚に、あるいは見えたものに、たくさんの情報を忍ばせてほしかったように思います。そのほうが、伝わってくる情報に、生々しさが生まれます。そしてそれらが生々しいと、作中人物が生きた人間に見えてきます。

 4.基礎的文章力。
 全体的に説明的です。「19歳の君は、18歳の高校生の私も19歳だと伝えくれて、なんとか午前3時までカラオケに居た。」のところは、その前の文章で、恐らくカラオケにいるであろうことが推測できます。実際そう思いました。だったらマイクなりの描写を補強するという形でカラオケであることを明かしたほうが、文章に艶が出ます。説明だと、どうしても文章に入っていきにくいです。そうなんだ、という感じになってしまいます。「19歳の君は、」のところも同じです。店を出るときの私の動きなりで、それを示せたのではないでしょうか。たとえば、店員とすれ違ったときの視線、心音などで。あるいは監視カメラに向く意識などで。そのほうが、遥かに内面が伝わってくるように思います。このままだと、未成年なんだね、という了解と情報しか残りません。今回見たかったのは情報ではなく、語り手や作中人物の感じ方、ものの見方、動きです。

「ソファーには疲れ切った2人が並んでいた。」や「行き先のない道を2人が歩く。」は完全に説明です。一人称らしき書かれ方と、三人称の、一歩引いて見ている感じが、あちこちで混ざっています。また後者ですが、「2人で歩く」なら気になりませんが、「2人が」となっていることで、その後ろの文章にまで、説明のにおいがついています。

「24時間営業のファーストフード店を見つけた。」も同様です。夜中に歩いていることはすでに知っています。そのため、開いているファストフード店があれば、それが二十四時間営業であろうことは、十分推測可能ですし、何より伝わってきます。なので仮に、ここが説明ではなく、ファストフード店の放っている光や雰囲気の描写であったら、登場人物たちの息遣いがもっと感じられたと思います。二人の織りなす「感じ」も増したように感じます。

 それから、「この眩しさはいつ消えるか、日が昇るまであと何時間か、川はなにも応えてくれなかった。」は心理的つぶやき、内面そのものの声に感じられました。この瞬間がいつまで続くのかな、というような語り手の心理は、五感なり動きなりで表現してほしかったように思います。何度も相手を見たり、川を見ていられなくて指遊びをしたり、とにかく語り手固有の行動を、感じたものを、丁寧に描写してほしかったように思います。どうしても説明っぽいので、瑞々しい心理が少し薄まっているように感じます。また、上記は心理描写であると判断しました。

 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
 夜の感じ、語り手の瑞々しさ、淡い雰囲気は、確かに生まれているように思いますが、それは最後の行を中心とした、説明なり解説なりがもたらしたものです。「君の誕生日が川へと流れ、二人は解散した。」という表現は、掌編全体に、正面から色をぶっかけています。「君の誕生日」が、描写という形でどこかで色濃く表現されてあれば、あるいは掌編全体で示されてあれば、この掌編にはこんな意味がありました、という直接的な提示である最後の行は不要なはずです。「君の誕生日」が溶けるように過ぎていったことは、描写一つ一つの積み重ねで示してほしかったです。このままだと、掌編の核が持っているとろとろした雰囲気が痩せてしまっています。解説、説明という手段を用いて、最後に掌編全体の色を示すと、すべてにヒビが入る恐れがあります。設定やテーマ、作品の核となるものの、作中での示し方が荒っぽいと、多くが乱れます。示すなら、制限だった八百字すべてを使って示してほしいです。もし説明中心でいくなら、きっと短編以上の文量が必要だと思います。あるいは異様な「何か」が必要なように思います。

 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。
 掌編の底を流れている、語り手の想いや夜の空気感、しっとりとした冷たさは、個人的にはとても好みです。ですが全体の説明が、登場人物の生々しさを削いでいました。もっと人間に触れられたらと思いました。「じりじりと足が泣いてよろついてしまった。変わらず君は前を向いていた。」など、艶っぽい表現もあったので、そういった表現がもっと多ければ、質感だけで自立した、きめ細やかで艶めかしい掌編になったろうと思います。上記のような際立った表現が、簡素な作りの説明群に呑まれています。それでも、引用部分した部分は繰り返し触れたいほどの魅力を感じたので、加点しました。

 総評。
 解説、説明の多さが気になりました。なまじ目を奪われる描写があったのと、掌編の核が持っている透明感や冷っこさ、瞳でそっと包みたくなるような淡さが原因で、全体の雰囲気がバラバラになっている印象を持ちました。ピースの形は合っているけれど、絵柄がまるで違うパズルを見ているようでした。空気感がすべての掌編に見えますから、設定的なものを直接的な形で見せられると、圧ですべてが歪んでしまいます。作中人物の心情が、動きなどでもっと丁寧に描写されてあれば、深く入り込め、掌編の奥に潜んでいる淡色が、くっきりと胸に刻まれたように思います。基本的には、細緻なまでに書き込まれていないと、こういった掌編特有の淡さは、なかなか出ないように感じます。あるいは全編を通して、高い抽象性が維持されている必要があるように思います。いずれにしても、何らかの形で、語り手という人間に、もっと触れたかったように思います。


●20 azitarou 『パブリック・ギャングスタ』

 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 全体を通して説明的な文章が一貫して続いていく、という印象を持ちました。淡白な描かれ方は特に変わらず、統一性が劇的に乱れているような印象もありません。行動や出来事に関しても、大きく気になったところはありません。

 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
 先程も述べましたが、全体を通して説明の音が響いています。結果、個々の描写は硬く、淡白で、かつ平らなものになっています。そのため、動きや感覚のどの描写も、一枚の薄いステンレスの板のように感じました。もっと表現全体が分厚いほうが、惹かれたように思います。起きている出来事自体には、迫力があったので。

 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
 伝わってはきます。きますが、迫ってはきませんでした。起きている出来事は目まぐるしくても、表現それ自体には起伏がなく、情報がただ流れてきている、という印象が強かったです。それは書かれ方の特性もありますが、完全な説明となっている文章の存在が大きいです。後述しますが、特にある一文が決定的に、掌編全体から描写の、作中人物の内面の香りを奪っています。表現全体の説明の色を濃くしていると言っても構いません。いずれにせよ、説明だと、伝わってくるものが肌に迫ってきづらいです。この掌編に関しては、ただ行動が書かれてあるだけ、というような感覚を、強く抱きました。

 4.基礎的文章力。
「身長196cm。混血を思わせる浅黒い肌。逞しい両腕には闘牛士のタトゥー。」の「身長196cm」が、この掌編に対する感じ方のすべてを決定づけました。完全な説明である上に、「大質量」や「巨躯」という語から感じる大きさに比べると、小柄です。身長を数字という形で具体的に説明された結果、後ろに続く表現だけでなく、およそすべての表現に、強烈な説明のにおいがついています。「警官のホルスターは空だ。」も、書かれ方的に、最初はそれほど気になりませんでしたが、身長の説明を見たあとに触れたら、どうにも説明にしか見えませんでした。「人々が悲鳴を上げ蜂の巣をつついたように逃げまどう。」のところにある比喩表現すら、説明の香りを帯びています。「出向二日目。バディ結成後初の大捕物。」もただの説明なので、そうなんだ、よかった、という感じが強いです。嬉しさと呼ばれるものを、より強烈な形で、描写で示してほしかったです。そうでないと、こうだった、あぁだった、という形で始まり終わるので、ただ動きを見せられただけになってしまいます。作中人物の内面が記憶に残りません。物語自体には熱があっても、肝心の人間がひんやりしているので、どうにも入り込めませんでした。

 また、心理描写が散見されました。「入り組んだ一本道を注意深く進むと、袋小路に立ちすくむ男が見えた。」の「注意深く」は作中人物の内側がそのまま出ているように見えます。注意深さは、たとえば歩き方を描写するという形で示してほしかったです。また、「ヤクか。この距離なら大丈夫だ。」や「違う。頭上だ。」は完全に心の声です。これら三つはすべて心理の直接的描写であると判断して、それぞれ減点しています。

 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
 全体的に汗っぽいにおいが香っています。硬い調子も出ているので、確かに「感じ」は出ています。出ていますが、説明が多く、どうしてもそこに浸りきれませんでした。要所要所は確かに描写されています。ですがその描写に、登場人物の内面が、心情が濃く載っていないように見えるので、総体の硬さの割りに、文章が少し軽いです。タトゥーやヤクなど、用いられている細かな名詞からは「感じ」がよくにじんでいるので、余計そう感じました。この表現方法だと、もっと文量が必要なように思います。エピソードを重ねて重ねて、そうして多くのことを伝えていく、そんな描き方のように思います。

 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。

 どこかト書的な雰囲気のある書き方と説明が原因で、ただ動きを追っているだけに見えてしまいました。そのため、一度で十分満足でした。生じている出来事自体には緊迫感がありますが、文章からそれがあまり伝わってこず、迫ってくるものが薄かったように感じます。作中人物に、必要以上に落ち着きがあるように思え、人間がいないように見えてしまいました。あらすじ的、と言ってもいいかもしれません。もっと表現の肉に触れたかったです。

 総評。
 身長の説明がすべてでした。そこで掌編全体の色味が完全に決定づけられ、何もかもが説明に見えてしまいました。説明だと、掌編の核やテーマ、空気感や心情の照り返しが、どうしても弱くなってしまいます。説明でいくなら、基本的には文量が必要なように感じますし、また説明的だと、描写が描写として機能しなくなる可能性があります。描写とは何でしょう。小説のなかで描写とは、何のためにされているんでしょう。一つは、人の内面を、人間を描くためです。そして今回は、それを求めていました。五感と自然描写と動作でどこまで描けるか。それが知りたい以上、それらがただそこにあるだけでは、どうしても目を奪われませんでした。表現自体は丁寧でした。文章自体の完成度は高いと思います。中編、長編にぴったりな表現方法のようにも感じます。だからこそ、本当に動きだけ、という感じが強かったです。そこに心さえ載っていれば、深みのある、触れていてぞわぞわする掌編になったと思います。出来事ではなく、人間を見せてほしかったです。出来事を織りなすのは人間なので。描かれてある物語自体は、テンポもあって、見ていて愉快でした。ただ、物語に人間が喰われている、という印象が、最後まで拭えませんでした。

読んでいただき、ありがとうございました。