「原稿用紙二枚分の感覚」 評01〜05

 評を読む際は、以下の記事を参考にしてください。
 また、敬称は略してあります。


●01 むつぎはじめ 『殺景。ふたり。』

 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 アクションが主体の小説。文章全体で統一感は損なわれていません。殺し合いが一貫して書かれています。「ミリ」や「ぱん」といった擬音も、要所要所で使われているので、統一感という点での違和感はありませんでした。大きな破綻もないように思います。理由を問うべき偶然性も、特に見当たりません。

 ただし美女の、和服で脇差という、格好や武器の必然性が不明瞭でした。キャラクターづけをするため? 殺された資産家の服装は明らかにされておらず、その点で和装が意味を持っているのかは分かりません。持っていると想像することは十分可能でしたが、だったら数文字でいいからそれを匂わせてほしかったように思います。また、クルスは安全靴を履いており、殺しをする格好であるだろうと推測できるのに、なぜ美女は和服? 美女本人の服の好み? この部分が、多少気になりました。ただ美女に関しては、個人的にはすごくかっこいいと思いました。フィクションとして楽しいです。

 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
「しるしると」という表現は、その響きがいいです。「頭部上半分がぞるりと滑り落ちているところだった。」の「ぞるり」は、なかでもとりわけ印象的でした。指のなくなる場面も記憶に残っています。ですが、丁寧にまとめられている背筋のいい文章、という印象のほうが、どちらかと言えば大きかったです。もう少し、異質な表現が見たかったですし、ここにしかない表現に触れたかったと思います。指がなくなる瞬間が、より生臭く書かれてあったらと想像しました。でもやっぱり、「ぞるり」はよかったです。この表現は大きく推して、加点しました。

 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
 全体的に動きがあります。「クルスの全身から汗が吹き出す」という部分からは、痛みや上がった体温、息遣いが確かに感じられました。「雨風で落ちた屋根の隙間から、柔らかな陽の光が美女を照らす」という描写も、光や熱が淡く伝わってきます。クルスの肉体的な痛みも同様です。

 ですが、「『俺の標的のはずだが』」と述べているクルスの驚きなどは、大して伝わってきませんでした。別に驚いていなくても問題ないのですが、クルスの心がいまいち見えてきません。今から殺される、といった恐怖心も、今から殺すといった覚悟も、あまり描かれていないように思います。あるいは、はっきり描かれているのかもしれませんが、弱かったように感じます。唯一あったのは「ははっ、手癖」という台詞でしょうか。美女に関しては、「薄っすらと笑う。」といった表現もあります。ですが文章全体として、作中人物の内面の反映が薄いように思えました。知り合いを殺すという苦悩やためらいなども描かれてはいないように見えます。苦悩やためらいがなくても構いませんが、だったら何かほしいです。何も感じない無機質な人間を描いているのだとしたら、とも思いましたが、だとしたら、会話部分に多少の違和感を覚えます。もちろん、そういう半端な人間がいてもいいですが、だったらそういう人間として細緻に書いてほしかったです。無感情だけど無感情じゃない、という半端さを、動きなりでもっと表してほしいです。そのため、結論としては、伝わってくるものが微弱だった、というところに落ち着きました。もっとも、三人称という書き方ゆえの制限もあったかもしれませんが、考慮しませんでした。

 4.基礎的文章力。
 美女を「美女」と表現することを避けてほしかったと思います。字数のカウントをしたところ、多少の余裕があったので、相貌に関しては、やろうと思えばもっと描写できたはずです。まつ毛や髪、肌は描写されたにも関わらず、全体としては「アジア人らしき顔つき」とざっくり評されてしまいました。何を書いて何を書かないかは重要で、作者に委ねられている事柄ではありますが、描写するならもっとしたほうがよかったように思います。ある人の容姿を、「アジア人らしき顔つき」と表現してしまったら、何をも表現できていないように思えてなりません。アジア人にもいろいろいるけど結局どんな顔なんだろう、という感覚が濃くなるばかりです。加えて、クルスの顔でさえ「彼と同じアジア人らしき顔つき」という部分でしか描かれていません。アジア人は観念であって、アジア人なる個体が存在するわけではないのですから、どうしても曖昧な描写に感じてしまいます。「美女」もそう。観念では伝わりません。三人称で、主要な人物の造形を、こちらに丸投げしないでほしかったです。投げてくるなら理由がほしいように思います。美女が多少描写されてあるので、クルスもされていてほしかったように感じます。安全靴の描写もあったので。結局、クルスが安全靴を履いている以外、どんな見た目か一切分かりません。もう少し、登場人物固有の感じ方、語り手特有の視線があればと思いました。読者が補完する部分が多くなればなるほど、語り手や登場人物の視線ではなく、読者自身の視線でその場面を見ることになってしまいます。今回、他者の瞳、感じ方というものに触れたかったので、そこが薄い場合、納得できる「何か」を求めました。

 仮に抽象的に書くなら、抽象度をもっと高めてほしかったように思います。すべてを抽象的に書いて、観念ばかりで構成して、読者の視線だけで読ませる、という小説も、当然あり得ます。それでも、作中人物の心理を伝えることはできうるはずです。この作品には、具体的な描写も多く見受けられるので、抽象にも具体にも寄りかかれず、ふらふらしている印象を持ちました。

 また、字数に余裕があったのなら、擬音を別の表現で細かく書けたとも思います。銃声が「ぱん」の一言で済まされているので、どうしてもかわいらしく見えてしまいます。語り手が子どもだったらそれでも構いませんが、大人の目、大人の言葉を通して描かれた(と思われる)アクションですから、最後までかっこよく描いてほしかったように思います。もっともっと、ドキドキさせてほしかったです。実際、ドキドキする場面はありましたから(手を切られるところなど)。

 それから、細かいところですが、冒頭の資産家の名前を出す必要性を感じませんでした。誰、という感覚が色濃く残りました。冒頭に人名がフルネームで二つあるので、最初読んだときはごちゃごちゃしました。もちろん、意図はあったのかもしれない。たとえば名前の文字を並べ替えると別の意味が出現する、といったトリックである可能性。名前には意味があって、読み解けば何かを暗示しているという可能性。何かほかの創作物との関連性。そういったものも一応考えましたが、どれだけ見つめても分かりませんでした。なのでこの部分は、ごちゃついているという自らの感覚を取りました。ただ、仮に意味があったとしても、雑然と名前が散らばっているように思ったでしょう。どのみち気になったと思います。クルスもそう。なぜフルネームで書かれているのか。作品に絶対的に必要なものだったのか。文章における夾雑物は、作品全体のにおいを損ねることがあります。

 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
 擬音が緊張感を損ねています。言いたいことはこの一点に尽きます。擬音が悪いわけではありません。この作品の擬音は、全体を支える細部として、頼りないように思えました。空気を乱しています。

 それ以外、雰囲気はよく出ています。ただ、廃倉庫の描写が屋根以外にもう少しあれば、もっと空気感が出たように感じます。ほこりや空気の冷たさ、壁の汚れ、置かれている物など。ほかにも、たとえば嗅覚に訴える描写などがあれば、細部が補強され、作品の「感じ」が増したように思います。厚みと呼んでも構いません。字数を制限したので、あれこれするのは厳しかったかもしれませんが、考慮しませんでした。ちなみに見出し画像は廃倉庫でしたが、タイトルでも本文でもないので、採点の際は無視しました。結果、どういう場所にいるのかが曖昧でした。廃倉庫にもいろいろあります。詳細に書かれた殺し合いの空気感を高める要素でもあるので、倉庫に関する抽象性は気になりました。ここを曖昧にする理由も不明です。

 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。
 何度も読み返しましたが、まったく苦にはなりませんでした。終わり方を知っていても読めます。ただ、一度読めば満足でした。つまらない、という抽象的な感覚を抱いたのではなく、ただ純粋に、一度でお腹いっぱいになったということです。アクションの楽しさや躍動感は強く感じました(が採点とは関係ないので加点していません)。ただ「ぞるり」という表現だけは読み返したいと思ったので、ここでも加点しました。

 総評。
 クルスでも美女でも、別にどちらでも構いませんが、とにかくもっと、心なるものに触れたかったです。動作に偏りがある作品ではありましたが、だったらその動作に、二人の内面をより多く載せてほしかったと思います。ただ動きを描けばいいというものではありません。心と呼ばれるものを、もっと濃く反映させてほしかったです。それが、たとえ理に適っていない、混沌としたものであっても。今回は心理描写をなるべく排した小説ということで、特に。そこでしか、心理を描けないんですから。登場人物の感覚、実感と呼んでも構いません。それがもっとほしかったです。殺し合っているときの二人の心理に、もっと近づけたらと思わずにはいられませんでした。終わり方は重視していません。どちらが死のうとも、殺意を向け合っている瞬間を、もっと大切にしてほしかったように思います。決して知りようのない、殺し屋という存在の心に迫りたかったですが、敵いませんでした。結果、死が消費され、ふわりと浮いています。

 また、擬音や「美女」など、簡易な表現が目立ちました。簡易でも構いませんが、だったら説得力がほしいです(例:語り手が子どもである。大人だが何らかの事情で語彙が少ないなど)。各文も平易なものが多く、平易だから悪いとは思いませんが、あと一つか二つ、特異な表現があったら、その平易な文章も、強くにおいを発するようになったと思います。細部の輝きは文の影を濃くします。もし平易な文章でいくなら、徹底して平易であってほしかったです。文体や語り手を慎重に定め、異質な表現をなくし、読んでいて、音読していて詰まるところ、違和感のあるところを可能な限りゼロにしてほしかったと思います。読んだあと、本当に何も残らない小説としてあってほしかったです。すれ違った通行人のような小説。それならむしろ異質で、読んでみたいと思いますし、きっと読み返します。平易な文章を、まさに徹底して書けるなら、それは魅力的なことだと思います。なまじ目を奪われる表現があったばかりに、全体的に味気なかったです。

 ただ、「ぞるり」は本当に惹かれる表現でした。また、一つの読みものとして、おぉ指なくなった、と言ったりしながら楽しんだことも事実です。


●02 天方響 『有明の月』


 個人的に好みの雰囲気を持っている小説でした。ですが地の文全体に、直接的な形で、心情が多分に混じっていました。これらの多くは、内面を直接描いていると判断しました。さらに、心理描写を限りなく排する、という条件から大きく外れている文量であると判断して、この掌編は無評価としました。制限上評価できませんでした。

 たとえば冒頭の「五時半頃か」というのは語り手の思ったことです。思ったことは直接書かず、動作や声などで示してほしかったと思います。また、他者との関係性や過去を、説明にしか見えない形で、そのまま語るのも控えてほしかったです。五感、自然描写、周囲にある小物などで、あらゆる事柄を表現することを、基本的には目指してほしかったですし、そういった掌編に触れたかったです。

 ただ、一編の掌編として、自分はこの『有明の月』が好きです。その点も含めて、評を書きました。

 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 統一性の観点からすると、全体は確かにまとまっています。問題である独白も、各所に散りばめられています。とりわけ大きな破綻も見受けられません。最初から最後まで、話は淡々と進んでいきます。触れずにはいられないような偶然性もありませんでした。ですが、五感と自然描写と動作のみで描く、という前提からは大きく外れているので、実際に点はつけられませんでした。

 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
 全体を通して平易な文章で構成されており、目を奪われるような比喩も文章も、単体としては存在しません。ですがそれは問題ではありません。ありふれた表現や言葉だけで徹底的に書かれてある文章が、全体として、読んだ人間の目を揺さぶるということも、十分あり得るからです。そして実際、この掌編全体には強く惹かれました。その青さに心奪われました。

 語りそれ自体は、上記の通り平易です。短文を重ねていくこういった書き方も、個人的には好きです。実際、読みやすいと思いました。突き詰めて、もっと短くできないでしょうか。各文章を同じような短さにできなかったでしょうか。たとえば、「ここは西向きの部屋なのに、相変わらずいつも月が見えない」の、「ここは」と「いつも」はなくても伝わりますし、表現に鋭さが出ます。もっと言えば前半は、「西向きなのに」で十分です。極論を言えば、西向きという説明はなくても構わないです。削げるところを削げば、平易さの艶は増すように思います。平易な文章は日常を、些細な一瞬を、濃くしうる。そうして、強調したいところだけをほかよりも長くすれば、贅肉を足せば、そこは自然と存在感が増すはずです。逆に、贅肉だらけの文章ばかりにして、強調したい部分だけ削いでも、もちろんいいと思います。いずれにせよ、いろいろと試してほしかったと思います。ちなみに、万葉集の引用があるので、「西向き」という言葉はあってもいいかもしれません。いずれにせよ、試行錯誤で、表現はより艶っぽくなると思います。

 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
 語り手の内面は伝わってきます。なぜか。独白だからです。心の声が、そのまま書かれているからです。

 この作品で、心理描写的な語り以外の描写は、「膝を抱えるように寝転んでスマートフォンをいじる」、「エアコンのリモコンが遠くて、もぞもぞと毛布を蹴りながら瞼を閉じた」など。ほかにもありますが、これらの部分から伝わってくるものがあるかと問われると、少し厳しいように思います。多くがすでに語られてしまっているからです。「春の早朝はまだ寒い」という部分がなければ、毛布でもぞもぞしている部分に寒さが宿りますが、先に言われてしまっています。もし言われていなければ、朝に特有の、あの独特の「感じ」なるものが、動きのなかに生まれていた可能性がありました。

 Uさんとの関係性も、数行である程度語られてしまいました。安易に語らないでほしかったように思います。スマートフォンの画面を描写すれば、心のうちで直接的に語らせることなく、関係性を表現できたはずです。そしてそれは、視覚という感覚を用いた表現なので、説明するよりも印象は深くなります。

 最後の「ここは西向きの部屋なのに、相変わらずいつも月が見えない」というのは説明っぽさを帯びています。月が見えない、だけならまだ五感の描写と言えますが。説明調の文章が全体的に多いように感じます。説明しないで描写してほしかったです。心理を省いた説明で伝わるのは、基本的に情報や設定、作中における事実だけです。ほしいのはそれらではありません。もっと人間の、語り手の感覚を見せてほしかったように思います。

 もちろん、すべてが、あるいは大半が、説明や説明調の文章で構成された小説を、否定はしません。だとしても、登場人物の感覚には触れたいです。また、触れられないよう書かれているなら、理由なりがほしいです。なぜ描写ではなく、直接的な説明なのでしょうか。

 4.基礎的文章力。
 睡眠計アプリの存在から、登場人物の過去が淡く浮かんできます。時間の存在を示せているので、文章に厚みが出ています。Uさんいう存在に関しても同様です。他者との関係性は、作品に時間を羽織らせます。結果、表現が分厚くなります。

 ただ、たとえ意図があったとしても、万葉集を引用しないでほしかったと思います。誰かの言葉をはめ込んで表現するのではなく、すべて自身の言葉で埋めてほしかったです。今回は字数の制限もあったので。柿本人麻呂の言葉が読みたいのではありません。この作品にしか載っていない言葉が読みたかったです。ですがこれは、個人的な好みに過ぎず、引用の結果作品の輪郭は太くなっているように感じました。どういった文章を引用するかは重要で、この掌編に関しては引用が生きていたと思います。また、先ほども述べましたが、この掌編は比較的短い文で構成されており、リズムがいいように感じます。

 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
 しっとりとした朝の感じが全体的に漂っています。最後の「月が見えない」というところは、朝のあの、言葉にならない独特な感覚を、ふぅっと膨らませているように感じます。こちらに寄り添ってくれるような、言葉の温もりも感じました。登場人物の眠りに対する気持ちが、感覚が、表現のあちこちに宿っています。睡眠薬に対する想いも、いろいろと想像できました。迫ることができました。Uさんに対する想いも。ですがそれは、語りだから。五感や動作や自然の描写が生んだ雰囲気ではありません。

 それから、細かいところですが、「そういうとこだぞ、自分。」という表現が、若干浮いているように思います。強調のため、とも考えましたが、浮いているという自らの感覚を選びました。全編に起伏がないのは短所ではありません。もっと淡々としていて構わないとも思います。余計な色は足さないでほしかったです。ここだけ陽気な、暖かい色味がかすかに出ています。出ているだけならまだしも、全体的な青さと変に混ざって、若干汚い色彩となっているよう感じました。文章の色を変えるなら、理由がほしいです。

 作品それ自体の空気感は、しっかりしていると思いました。

 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。
 早朝が、見えないはずの月の存在が、確かに描かれています。目覚め、睡眠薬、似ていないらしい双子、睡眠計アプリ、服用の記録、副作用、体重、吐き気。文章全体に、生のかけらが詰まっています。個人的には好きな作品です。しっとりとした感覚に、読後は浸りました。また読みたいと何度も思いました。感じられる「何か」が確かにありました。この掌編を独り占めできたらという欲求も湧きました。ですがこれは、語りに支えられた作品なので、点数はつけられませんでした。

 総評。
 登場人物の内面が直接的に描かれている文章が多く、他者との関係性や過去に関する語り、説明が中心で、今回は点をつけられませんでした。作中人物の思ったことは、基本的に地の文にそのまま書かず、「」でくくった独り言や動作などで表現してほしかったです。

 ですが、朝のあの青い感じは、文全体から絶えず蒸発していますし、儚さ、淋しさ、悲しさ、苦しさ、虚しさといった言葉で一般的には表現される、生の「感じ」も伝わってきました。字数の制限もあったでしょうが、スマートフォンをつけたときのまぶしさなど、微細な部分がもう少し表現されてあれば、その空気感は確固たるものになっていたと思います。登場人物の肌の感覚や見たもの、動きをもっと信頼して、そこに内側を委ねてもよかったように思います。睡眠薬の服用の記録をちゃんとしたかどうか気になっている心理は、そのときの動作を丁寧に描くだけで事足りるはずです。それで十分伝わるはずです。「したっけか」と書く必要が、強調する必要が、本当にあったでしょうか。神経質な性格を伝えたかったのかもしれませんが、だったらそれを動作で描いてほしかったです。そのほうが、生きた人間らしさがよく出るようにも思います。内面のつぶやきよりも、細緻に書かれた動作のほうが、基本的には生々しいものですから。

 また、説明ではなく、描写がもっと見たかったです。たとえば、早朝にUさんと会話をするといった場面を取り上げ、それを徹底的に描写し、そこに関係性や過去、この掌編が持っていた「何か」を託す、といったやり方もあったはずですから。

 もちろん、一つの掌編としては、このままでも一向に構わないとは思います。描写がもっとあれば、動作をもっと信頼したら、感覚に迫れたら、というのは個人的な嗜好に過ぎません。このままでも、感覚的に惹かれる掌編であることに変わりはありません。


●03 千本松由季 『ゴーストのモンタージュ』

 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 極めて短い文章の連なりで構成された、三人称の小説。とんとんとんと駆けるようなテンポは、最後まで変わっていません。説明になっている文章や説明調の表現もいくつかあります。「イケメン」という形容が用いられたりと、人物の描写も大部分が抽象的。自然描写も、「絶対幽霊のいそうな古い洋館」と曖昧、かと思ったら、内部はそれなりに描かれていました。とはいえ、その書かれた自然描写にも抽象性がありました。それから、「知らないコロンの香り」、「海が近い」、「一階はレストランになっている」など、具体的にどんな、と問える描写は多々ありましたが、抽象性は一貫して感じられます。なぜこうなった、という破綻もないように思います。

 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
 個別の表現のなかに、異質なものは特に見当たりません。すべてが丁寧に、よく使われている言葉で書かれています。世のなかの、生きた日本語で書かれていると言ってもいいでしょうか。各々の表現、というよりは、総体がもたらす響きに触れる小説だと思いました。

 個人的には、ここまで切り詰められた短文の連なりは好きです。非常に読みやすかったです。全体的なやわらかさを強く感じました。この掌編の淡い言葉が織りなす波紋は、確かに鮮やかではありました。表現全体としては、艶があるように思います。

 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
 冒頭の「駆け上がる」でわくわく感のようなものが見えます。「潤は急な螺旋階段を慎重に上がる」では緊張感という言葉で表現できそうなものが、淡く香っています。「寝室をこっそり覗く」も同様。それぞれの動きに、登場人物の内面がよく映っているように思います。「シャツのボタンが留められない」からも感じられました。「時々元章のタキシードの肩が社長に触れるのが見える」も同じ。全体を通して、潤の内面が見えてきます。

 ただ、「元章が見かねて潤のボウタイを結ぶ」の「見かねて」は、心理の直接的な表現に見えました。「見かねて」を、動きや声に落とし込んでほしかったように思います。また、冒頭には「海が近い」という文章がある一方、そのあとには「顔が近過ぎる」という描写があります。「過ぎる」かどうかは人によります。近過ぎるのなら、それを別のやり方で表現できなかったでしょうか。「近い」と書いたあとに、体温や心音や指の動きや汗などで、描くことは無理だったでしょうか。上記は心理描写であると判断しました。ただし細かいところなので、まとめて一つの減点対象としました。

 4.基礎的文章力
 全体的に抽象性で湿った文章ですが、それでも元モデルの社長を「イケメン」と表現しないでほしかったと思います。「イケメン」だけだと、形容としてはほぼ白紙なのと同じです。加えて語感が強過ぎます。カタカナという直線的な外形も相まって、圧倒的な存在感を持っています。ほかの表現の抽象性を、すべてぐちゃぐちゃに掻き乱すほどの。あちこちにあるカタカナの存在が、わずかにそれを中和してはいましたが。「イケメン」と表現するのがいけないわけではありません。するなら理由がほしいです。たとえばこの掌編の語り手が、仮に十代の女性だったら、一切気にはなりません。二十代でも四十代でも、もちろん六十代の男性だったとしても、納得できればそれで構いません。たとえ納得できなくても、無視させてくれるような何かがほしかったです。ですがそれがありません。そのため、この掌編では受け入れがたいです。三人称だからといって、すべての形容や語が、すっぽりとはまるわけではありません。ほかの文章の淡い色彩に、墨汁をぶっかけたようにすら思えました。気になって仕方ありません。ほかの色が死んでしまいました。逆に言うなら、ほかの文章の淡さが、「イケメン」なる語の極彩色を、恐ろしいほど強調していました。しかも強調されたのが、潤でも元章でもなく、元社長。全編がもっと軽妙であったなら、気にはならなかったろうと思います。また、潤の心情に歩み寄って、この表現でもまぁいいかと流したとしても、別の表現があったのでは、という引っかかりは消えません。もっと目を使って描いてほしかったです。少なくとも「イケメン」は、厳密には描写ではありません。それは語り手の、頭のなかにある観念です。あるいはその観念に当てはまった顔のことです。どうしたって伝わってきません。伝わるはずがありません。こちらは語り手ではないんですから。創作的な用語を用いるなら、設定と呼んでもいいかもしれません。ですが、設定が読みたいわけではありません。かっこいいなら、かっこいいと言わずにかっこいいを表現してほしかったです。かっこいいとこちらに思わせてほしい。容姿を描くなら描写であってほしいです。観念では分かりません。そして、その分からないことから理由などが感じられないのなら、その形容の存在は受け入れられません。

 それから、説明的な文章がいくつかありました。説明しないで描写してほしいです。スカウトされた経緯もそうですが、ある人物に対する憧れを、「ヒーロー」という名詞を置くことで、解説みたく表現しないでほしかったです。呼吸や視線、話し方などで、「ヒーロー」とは書かずに、全体の抽象性を維持したまま、その憧れは描けたはず。「元章は一番売れている男性ファッション・モデル。」という部分もそう。周囲の人間の振る舞いなどで、それは表現できたはず。もっと描写がほしかったです。動きを書いてほしかったです。五感で画面を塗ってほしかったです。心が映り込む形で。また、「ヒーロー」という表現の仕方に、特別な何かは感じられなかった以上、こういった説明調の文章も受け入れがたいです。

 また、「社長と元章は知り合いらしい」という部分には、「らしい」という表現があります。これは、知り合いだ、といった説明とは明らかに異なります。推定のようにも見えますし、思った言葉がそのまま載っているようにも見えます。いずれにせよ、心理的なものを直接的に描いたと判断して、細かいかもしれませんが減点します。「知り合いらしい」なら、それを二人の仕草などで描いてほしかったように思います。実際できたはずです。ほかの描写を見てそう感じました。そういった部分も考慮して、ここで減点の対象としました。

 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
 描写はあるものの、全体的に曖昧な色合いで満ちており、写真の存在もあって、淡い雰囲気がよく出ています。最後の一文もそれを補強しています。作中人物たちのおぼろげな息遣いが、確かに伝わってきます。抽象性は生きています。

 だからこそ、「イケメン」を始めとした、細かな表現が気になりました。なぜこれらの単語が置かれてあるのか。説明的な文もそう。動きも五感も自然描写も、およそ調和がありました。にも関わらず、すべてを台無しにしかねない表現、単語が見受けられました。見た目が目につく、抽象度のあまりに高い語のせいで、さらりと行われている説明のせいで、淡い雰囲気は壊れています。壊れているなら理由がほしいですが、いくら作品に触れても感じられませんでした。自らの不感症も疑い、責めもしましたが、最終的には自己の感覚に結論を委ねました。委ねる以外にないからです。

 なお、抗不安剤の存在には、空気感の乱れというものを肯定する力があるように思います。たとえば抗不安剤を飲んだ前後で、あるいは効果が切れるタイミングで、用いられる表現、単語、登場人物の動作ががらりと変わり、全体の空気が乱れる、ということは十分あり得ます。ですが、最終的には大きく減点しました。抗不安剤が、「イケメン」などの表現をもたらしたとは思えなかったので。また、全編を通して書かれ方、登場人物の振る舞い方に一貫性がある以上、抗不安剤もあるし雰囲気が壊れる単語や表現があってもいいか、とはなりませんでした。無視できませんでした。

 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。
 上記の通り、全体的な空気感もあって、質感のいい掌編でした。音の感じも心地いいです。悲しさ、淋しさ、儚さ、憧憬、恋、という言葉で形容したくなるような「何か」は漂っています。ですが、割れて散らばった雰囲気のかけらが、再読したいという一歩を躊躇させました。終わり方、選んだテーマ、物語性の問題ではありません。細かいところがすべてでした。

 総評。
 全編を通して、うっすらとした色に満ちた掌編でした。水面に波紋がいくつもいくつも広がっていくような心地よいリズム感は、読んでいて胸が弾みます。ほのかに冷たい空気感もあります。文章全体が持つ、ぼうっとした光には惹かれました。抗不安剤のオレンジ色は記憶によく残っています。登場人物の心の香りも確かにありました。その香気はとても濃かったように思います。

 ですが、淡く積まれた抽象性を崩す存在がありました。あっても構わないのですが、納得させてほしかったです。納得できなくても、せめて引っ張っていってほしかったように思います。それがありませんでした。どうしても無視できない、目の粗い表現がいくつかありました。表現が徹底されていたら、あるいは理由などが感じられていたら、と思います。いろいろと伝わってくる、感じられる文章であったからこそ、丁寧に編まれた平易な文章であったからこそ、細部が全体を、非常に大きく歪めています。しっかりとした作りの手袋に、どういうわけか虫食いがあった、と表現してもいいかもしれません。使うなら、穴のない手袋がいいです。その穴に、特別な理由や思い入れがないのなら、どうしたって穴は気になります。肌触りが、たとえどれほどよかったとしてもです。


●04 タイラダでん 『人々の祈りを、力に変えて』

 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 全体を通して硬い文章が続いていきます。漢字が全体を支えており、それは最後まで変わりません。侍女、人々、少女、大剣、厄災、神事の場など、具体的に形容されないものや、抽象性の高い表現も、随所にありました。文章の歩調は一貫しています。記号もところどころで使われています。

 なお、「刹那、大剣より不可視の風が起こり、同心円状に広がった。」とき、なぜ少女は切り刻まれず、侍女が最初だったのか、という疑問は湧きましたが、いくらでも解釈可能なので、問題視しませんでした。

 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
 表現それ自体は平易であり、非常に読みやすかったです。目を見開くほどの異質な表現があるわけではありませんでした。ただ、侍女が切り刻まれた描写などは記憶によく残りました。仰々しい漢字群全体は目を惹きますし、個々の漢字表現も、漢字という字面の性質上、鋭さを感じられました。もっと仰々しくてもよかったように思います。より難しい漢字がたくさんあれば、とも思いました。そうすれば、個々の表現が高度な異質さを持ったように感じます。

 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
 少女の動きが止まるところ、顔に汗が流れる瞬間、柄を持つ手の震え、食いしばられた歯、ひどく歪んだ視界、咆哮。多くの文章に、少女の内面が映っていました。葛藤、義務、悲しさ、優しさ。そういった言葉で表現できそうな何かしらのもので、描写は湿っています。

 4.基礎的文章力。
 登場人物の描写がほぼありません。少女に関しては、銀髪ということが分かる程度。大剣に関する描写も同様です。大剣にもいろいろあります。どんな大剣、という疑問は残りました。ですが全体として、核となる部分に抽象性があることで、締まった文章に彩りが添えられているように感じました。

 一方、「整った顔に一筋の汗が、つうと流れ落ちる。」という描写が出てきます。問題なのは「整った顔」のところ。ある相貌が整っているように見えるかどうかは人によります。時代や文化によっても異なります。一見、少女の容姿が描写されているように感じられますが、よくよく考えてみると、この文章は何をも描写していません。「整った顔」だけでは何も伝わってきません。この部分の抽象性は、「少女」や「大剣」などが持っている抽象性よりも、はるかに濃いものです。であるならば、なぜ濃いのかが気になります。ですが理由は伝わってきません。感じられませんでした。少女があまりに神々しくて、語り手がそう表現せざるを得なかったのかな、と推測することはできます。ですが、だったら少女の容姿については一切触れない、という表現方法もあったはずです。現に、大剣に関しては触れられていません。少女も大剣もこの作品の核です。その核に関する描写が描写として機能しておらず、そこに何かを感じられないのであれば、その描写は受け入れられません。ほかの文章の質感がいいので、なおさら。

 それから、 「”善きこと”」や「――侍女と同じそれを――」など、記号がところどころで用いられています。記号でないとだめだったのかな、という疑問は若干残りました。わざわざ「”善きこと”」という形で表現、強調する必要があったでしょうか。強調する必要があったなら、記号ではなく、ひらがな、カタカナ、漢字で、日本語で表現できなかったんでしょうか。記号は、多様されている漢字群と調和しているように見えますが、記号での表現それ自体は、どこか軽さを帯びるものです。記号は描写ではありません。見た目を飾りつけた表現は、飾りつけられた言葉それ自体をふわふわさせることがあります。そして今回、ふわふわしているように感じました。記号は用いないでほしかったと思います。些細なところかもしれませんが。

 また、これも細かいですが、「刹那、大剣より不可視の風が起こり、同心円状に広がった。」のところの「不可視」は必要だったでしょうか。風は普通、目に見えないものです。見えるのは、風に揺られるものと、音、温度などです。この世界では風が見えるのだろうか、語り手には風は見えるものなのかもしれない、とも思いましたが、それを示唆する描写はないように見受けられますし、強調のようにも感じられません。不可視=その一切が感じられない、という意味かとも思いましたが、いまいちしっくりきません。最終的には、自己の感覚を取りました。なくても伝わるはずの形容なり表現なりがある場合、それなりに納得できる理由、またはある程度感じられる「何か」を求めました。

 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
「どくん」という擬音に関してですが、響きに重みがあるものの、掌編全体の硬い調子を、そのかわいらしい見た目で若干崩しているように感じます。仰々しい漢字群で編まれているので、ひらがなの擬音はそこにいてほしくなかったように感じます。また、「少女は歯を食いしばる」の「しばる」はひらがなですが、こういった部分も漢字にしてほしかったです。「少女の視界が、ひどく歪む。」の「ひどく」もそう。もっと文章が硬ければと思いました。そして、かわいらしい字面のものが使われている理由が特に感じられない以上、雰囲気を乱していると判断しました。

 最後の「覚醒せし神殺しの魔剣」や「聖戦の始まり、その合図であった。」は説明の色を帯びています。特に後者。なぜそこに説明が。空が二つに裂けたところで終わっていれば、少女の内面だけが色濃く残ったにも関わらず。これも空気感、作品全体の「感じ」を乱しています。説明するなら根拠がほしいです。聖戦の合図であったと、直接的に説明する必要があったでしょうか。描写でどうにかできなかったでしょうか。記号による表現も同様です。これらによって、それなりに雰囲気が崩れているように思います。

 それ以外の部分は、細部に渡って雰囲気が出ています。神々しく、かつ生臭い感じが出ていました。

 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。
 登場人物の内面によく触れられます。文章の硬さもいいです。ですが、一度読めたらそれで十分でした。再読を促してくるような思想、表現、テーマ、異様さ、攻撃性、描写、不安感、共感、絶望、興奮、人間性、行動。別に何でも構いませんが、そういった「何か」はありませんでした。それら一切がこの掌編に含まれていない、と言っているのではありません。選考者個人が感じられる「何か」がなかった、という意味です。ただ、善いこと、というこの掌編に含まれているものには少し惹かれました。

 総評。
 全体を通して続いていく硬い文章は、目で触れていると、キュッキュッと鳴るような感じがして楽しいです。少女の胸底にも迫れましたし、多くを想像できました。漂う空気感は生臭く、嗅いでいて心地よいです。ですが、それだけでした。「何か」が欠けていたように感じます。全編を通しての質感はいいですが、もう一つほしいです。今回求めていたような文章ではありましたが、この作品にしかないもの、この作品でなければ触れられない「何か」がほしかったです。楽しいだけの文章ならたくさんあります。特別なものを感じさせてほしかったと思います。

 ちなみにですが、タイトルに丸みがあり、本文の硬さと合っていないように思いました。


●05 サトウ・レン 『それは幽かな』

 1.全体の統一性や必然性。破綻や偶然性の濃さ。
 澄んだ掌編でした。ですます調でやわらかく、書かれ方は一貫しています。淡々とした描写が最後まで続いていきます。水のような掌編として、形は維持され続けます。破綻もありません。問うべき偶然性も見当たらないように思います。ですが、ある一文の存在を非常に重く見て、統一性の部分でも厳しい判断をせざるを得ませんでした(詳細は後述します)。この掌編が持っていた透明性という根幹は、破綻しているように感じられました。

 2.五感や自然、動きの描写が異質か。心奪われる表現があったか。
 個々の表現はやわらかいです。特異な比喩や文はないものの、文章全体としては異彩を放っています。透明感は異様。動きや五感の淡さだけで、完全に表現が自立しています。個々の描写の弱さは、掌編全体としては問題にはなっていません。むしろその痩身さに、激しく心奪われました。全体の異質さが、細部の平易さを異様なものに変化させています。ただし、後述しますが(評価項目4で述べます)、この透明感や痩せを台無しにしているものがあります。

 3.作中人物の内面が(何らかの形で)伝わってくるか。
 ページを破る動き、ほおを伝うしずく、折られた紙飛行機など、各所から、孤独感、悲哀、痛み、想い、願いという言葉で形容できそうなものが伝わってきます。少ない字数のなかに、内側がよく映り込んでいました。

 4.基礎的文章力。
 全体的に抽象的です。お墓や本、小学校、空など、どんな、と問える名詞は、基本的には形容されていません。字数にかなりの余裕があったので、もう少し描写できたとは思いますが、文章が持つ淡さを考慮すれば、この書かれ方、抽象性はむしろ必須だと感じました。

 ただ、「本の表紙には青年の名前が書かれていました。」には、もう少し視覚的な描写がほしかったです。細かいかもしれませんが、感覚的に、説明感がほのかに香っているような気がしました。それは薄くあってほしかったように思います。本はこの掌編において、重要な要素です。そこだけ描写が具体に寄っていても、納得はできます。説明感が多少漂っているのが目につきましたが、ここは些細なところです。

 問題は最後。「その紙には一文、『今はもういない、誰よりも愛していた妻へ捧ぐ』と印字されていました。」とあります。どうして解説らしきものがここにあるのか。なぜ明かされてしまっているのか。この一文が、作品の底を濁らせ、圧倒的だった透明感を奪っています。ページのなかの一節を引っ張ってくる形で「愛していた妻」と説明してしまったら、それまであった広がりが、一切なくなってしまいます。終盤までに、誰のお墓参りかは大いに想像できましたし、推測も可能でした。その上で、厳密に誰かは分からないという状況でした。母親、友人、姉妹、先輩、恋人など、選択肢はいくらでもありました。そして青年が、亡くなった「誰か」を大切に想っていることも、最後の行以外で分かります。「誰よりも愛していた」という解説はいりません。なのにどうして、「印字されていました。」という形で、すべての説明がなされているのか。明かされたのか。せっかく膨らんでいたものが、最後で一気にしぼんでしまいました。「愛していた妻」という色が、掌編全体についてしまいました。異質な透明感はここで揺らぎました。説明の色があまりにも濃い場合、それはもう描写ではありません。ほぼ全編に渡って描写がなされているのに、最後の最後に、どうして解説にしか感じられない文章があるのか。語り手が、「愛していた妻」の存在を強調したかったのかもしれませんが、だとしても、説明的な色彩を帯びない形で表現はできたはず。含みを持たせた上での表現は可能なはず。字数にも余裕がありました。説明されると、全体の抽象性と淡さが、その説明の具体に呑まれます。しかも今作の場合、何もかもすべて呑まれてしまいました。結果、掌編が持っていた澄明さが、特異さが、完全に朽ちてしまいました。この細部は感覚的に、どうしても受け入れがたいものでした。ほかの項目でも、最後の行の存在は大きく響いています。

 5.作中における空気感、雰囲気。文章全体や細部における「感じ」。
 前述したことがすべてです。この掌編が持っていた、澄んだ水のような感覚は、最後の一行で、特定の色がついた液体へと変えられてしまいました。ぱっと浮かんだのは薄赤でしょうか。いずれにせよ、空気感も雰囲気も「感じ」も、すべてががらりと形を変えてしまいました。そして、その原因となった解説調の文章が、まさにそこに着席していることへの、明確な根拠や理由は感じられません。「妻」を示すなら、指輪なり思い出の品なりでできたはず。抽象性を含ませた語で細部を補強しながら、妻であることを一貫して強調しつつ書けたはずですし、逆に妻だと匂わせつつ、友人や親、祖母という可能性を残すこともできたはずです。色をつけるなら、最初からつけておくべきだったように思います。圧倒的に澄んだこの書かれ方で、唐突に透明性を奪われると、それまで感じていたものが無に還ります。そこから「何か」が感じられたらよかったのですが。説明という、およそ描写とは真逆であるものが、無造作に置かれてあることで、すべてが壊れました。そのほかが醸し出す雰囲気、澄明さが、圧倒的だったにも関わらず。だからこそ、と言うべきかもしれませんが。

 6.再読したいと思ったか。読み返したい小説だったか。
 極めて異質な掌編でした。その澄み渡った文章に触れるたび、色のない波紋が、画面にとろとろ広がっていくような、そんな感覚を覚えました。全体にまっすぐ通っている抽象性は心地よく、生が淡いながらも、はっきりと香ってきました。読み返したいと思っていました。最後の一文を読むまでは。理由はすでに述べました。しぼんだ文章からは、ゴムのようなにおいがしました。大切に握り締めていた鮮やかな風船が、突然目の前でしぼんで飛んでいき、ぽとりと落ちてきたような、そんな失望感を覚えました。再読したいという火は消えました。

 最後の行を読んで残るのは、そうなんだ、という思いと納得だけです。そこには広がりも、透明さも、心地よさもありません。すべて奪われてしまったからです。

 総評。
 全体が、圧倒的な空気感を持つ文章であったからこそ、たった一行が、これでもかというほど目につきました。死の湿り、大気のやわらかさ、墓石に溜まった空気の熱、青年の心。多くのものが文章中に忍んでいたからこそ、再読したいと思えたはずのものであったからこそ、最後の文がもたらした反動は大きかったです。読んでいる目を、そっと冷たく浸してくれる、温かい掌編でした。途中までは。透明な水は、最後まで澄んでいてほしかったと思います。どこまでも透明で、決して底の見えない掌編であってほしかったです。底が見えるにしても、見え方は問題となります。色づくにしても、濁るにしてもそうです。全体として見たとき、およそ尋常ではない文章、表現であったからこそ、その色づき方、濁り方を、どうしても許容できませんでした。何度読み返しても、その色づいた透明性が見ていられませんでした。消えてしまったあの透明性が、恋しくて仕方なかったです。最後に分かりやすく明かせばいい、というものではない。そんなふうに、強く感じました。直接的な形で解説してほしくなかったように思います。しかも、描写を装うという形で。

読んでいただき、ありがとうございました。