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2024.5.7


数年前、東尋坊で飛び降りを図り警察に保護され、次の日に当時の男友達と、その彼女と居酒屋で飲んだ。
その時、彼女は
「不幸と幸せの総量は決まっているから、だからもっと不幸にならなあかんねん。」とまっすぐな目で言い放っていた。

彼女にそういった哲学を構築させた人生の経緯を考えると辛く、その経緯からしてその言葉は本当に思って口に出していることなのだろう、と真剣に聞いていると
横から「誰もこんな話真剣に聞くやつおらんねん。」と男友達がビールを片手に呟いていた。

少しの間彼ら、彼女らと3人でルームシェアをする奇妙な生活を経て、後に私は家を出た。
彼氏彼女と3人で住んでいたことがある、と言うとギョッとされることが多いのだが、当時の私は誰かがいないと自分の形を保てないほどの病人であったため、実際にその様子を見ていれば納得のいく判断であった。

自分は、自分一人では命が軽すぎるため、他者と関わりを持つことで人生の重さを維持している。という考え方を持っている。
それは単純な、その人たちの好きな音楽、好きな絵画、好きな漫画を知ることで楽しみを増やすような、そんな軽いものもある。
大学時代に1番仲の良かったバニラのお香を教えてくれた女の子とは絶交した。彼女は画家で、今も絵を描いている。たまにふとした瞬間彼女の絵をSNSで観に行くのだが、一度友人として画家として認め合った存在、いいものはいいな、と思いタップして別のアカウントの画像を見に行く。

他者との過剰な依存をせずに、自分を重くすること=自立することは、もともと依存的な人間にとっては難しい課題である。
綾小路きみまろが、人間は凸凹があり、それを埋めようとするんだ、と漫談で話していたのを幼い頃に両親の車の中で聞いたことがある。
その中ではそれを男と女と表現していたが、性別は関係なくその凸凹を埋めるために関わり合いを持つのだろう。

正常な人間関係とは助け合い、程よい距離感で心地よく生活することだ。
それができない関係は継続は難しい。

今年の2月、私はまた自殺未遂をしてしまい、数ヶ月入院していた時期はずっと音楽を聴き、自分で作ったりもしていた。そして避けていた絵も描いていた。
好きだった描くことは、去年、ファンの子が自殺したためいまだにスランプの中にあると、自覚している。
自分のせいでは無いとわかってはいても、どうしても彼女に絵を渡したことを思い出し彼女の携帯は繋がらないのにいまだに1人でかけてしまうのだ。繋がらない電話にかけて、泣く、それは彼女が亡くなってから半年は続けてしまっていた。

最近は関わる人間が少し変わり音楽に詳しくなった。
自分でも詩を書きそれを歌うようにもなった。録音環境は悪いけれど。

明日もまた生きたいと思えるようにカレンダーを埋めていく、キャンバスに色を載せるように。

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