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293日目(大人の役割)

毎週通ってるぽんぽん。なんとなく子どもに絡んでいたらいつの間にかゲームに呼ばれるように。
「おじさん、ゲームしよ!」
これはこれで悪い気はしない。ただの遊び相手ではあるが、ゲームをわりと楽しくしてくれるおじさんだという認識が、子どもの中に広がっているようだ。そこで、
「何か呼び名を考えてよ」
というと
「おじえもん」
「へんなおじさん」
と、ふざけた名前が続出。個人的にはとてもら気楽でよいのだが、
「おじさんって24時間安心プランみたいなんだよなぁ」
ん?どういう意味だろう?とおもったが、何か安心感のあるおじさんだとも思われているようだ。

子どもにとって、遊んでくれる安心感のある大人は案外いないのだなと思った。
たしかに、その場にはたくさんの大人がいるのだけれど、子どもの遊びに入っていく大人は一人もいない。
事情はさまざまだ。自分の子供を見るとつい口出ししたくなったり、子どものテンションについていけなかったり、他人の子供にどう接して良いかなやんでしまったり、ゲームそのものが苦手だったり。
それはそれでよくわかる。要するに少なくともその場にいる大人には、心の余裕がないのだと思う。
私たち大人は、あまりに多くのものを背負ってしまったのかもしれない。一つ荷物を下ろしたわたしは、無責任に、その場にはい続けようと思う。

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