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競争から協調へ向かうスマートシティ

スマートシティが再び脚光を浴びているのはなぜ? 

2020年5月、スーパーシティ法が成立しました。スーパーシティは民間企業と協力し、都市のDX(デジタルトランスフォーメーション)を実現することを目的としています。スーパーシティに選ばれた都市は、AIやビックデータといったテクノロジーを、交通、自治、医療、教育、エネルギー、防犯といった分野において、積極的に利活用していくこととになります。

こうしたイニシアティブは、世界でも注目されています。中国ではテンセントが未来都市構想を発表したほか、サウジアラビアではNEOMに代表される国家プロジェクトが進んでいます。日本においてもトヨタのWoven Cityなど、スマートシティの例は枚挙に暇がありません。一方で、Google傘下のSidewalk社が中心になって動いていたトロントのスマートシティプロジェクトは、昨年、計画がとん挫しました。

「スマートシティ」は、日本でも海外でもバズワードとして広く使われています。一方で、このコンセプトは昔から存在しており、必ずしも、わくわくするような期待が感じられず、やや無味乾燥な、計画的なコミュニティといった印象を受ける方もいるかもしれません。もしくは、新しいテクノロジーやアーバンデザインを誇示していて、実際にそこに住む住民は置いてきぼりになっているような印象があるのではないでしょうか。ではなぜ、いまこの言葉が改めて脚光を浴びているのでしょう。またそもそも都市がテクノロジーを実装するとはどんな意味があり、市民の便益の裏にはどんな落とし穴があるのでしょうか。ここで一度、立ち止まって考えてみたいと思います。

一人ひとりが住むコミュニティが、スマートに繋がっていく

AI、ビッグデータ、IoTといった第四次産業革命のテクノロジーは、すでに人々の生活のあり方を変えていると言えます。スマートフォンとアプリは、あらゆるデータを収集・共有することによってすでに「スマート」な日常を多くの一般市民に提供しています。例えば、待ち合わせでレストランに行くとき、もしくは、知らない場所に行く際に、スマホを使わない事はどれくらいあるでしょうか?これはつまり、スマホのメーカー、アプリ事業者、通信事業者といった民間企業によって作られ、運営されている世界に、私たちの日常がすっかり溶け込んでいるともいえるでしょう。

デジタルサービスには境界がありません。それは、どこかの時点で、私たちが「公共サービス」と呼んでいるものと交差することになるでしょう。例えば、いわゆる公共サービスの代表である公共交通、電気・ガス・水道といったライフラインの提供、防犯や見守りといったサービスです。自治体は今、スマートテクノロジーの実装によって、こうした公共領域のデータを収集できる立場にあり、そのデータを使ってより効率的に業務を運営することができます。もしくは、こうしたデータを第三者と共有することでイノベーションに活用することもできるでしょう。一方で、プライバシー、データ所有権、インフラコストの負担といった問題は必ずしも解決していません。

そもそも「スマート」とはなんでしょうか?一般的には、都市がスマートになったからといって、表面的には今と大きくは変わらないと考えます。スマートであろうとなかろうと、傍から見れば、電車もバスも普通に走っています。ところが、多くのIoTデバイスから集められたリアルタイムの情報が直接届けられることで、人はサービスがシームレスにつながっているように感じるでしょう。それは、家でゲームをしていて「集まれ動物の森」のタヌキチが、バスが何分遅れているから数分後に家を出るといいよと教えてくれてくれるような、そんな社会です。キラキラした未来都市を構築しようという話ではなく、今ある私たちの地域に、デジタルテクノロジーを統合していくことなのだと考えた方が自然かもしれません。これは、何も大都市に限定された話ではなくて、多くの地域でも実現可能なことなのです。

「インターオペラビリティ」が成功の鍵に

スマートシティというと、都市の運営を効率的にしていくというイメージが強いと思いますし、実際そういった側面も強いでしょう。確かにテクノロジーの活用によって、エネルギー、水、ごみ収集、ヘルスケアに至るまで、デジタル化はより効率的な都市経営を可能にします。ただ、それが簡単かというとそうではありません。国や自治体が、デジタルテクノロジーへの公共投資を増やせばいいのであれば、予算を増やせば解決です。しかしながら実際は、数多くの自治体によって行われる意思決定が「インターオペラビリティ」と呼ばれる接続性と互換性を確保しているかどうかで、その成功を左右するという状況にあります。仮に多くの予算があっても、それぞれが担当部署がバラバラに作りたいものを作ってしまったら、互換性と接続性のないシステムが一つの自治体の中にたくさん作られたり、地域ごとに作られたりしてしまいます。結果として、利用者である住民の期待に応えるようなシームレスなサービスは実現できず、そこには追加で多大な投資が必要というような状況に陥るかもしれません。また、スマートシティに関する知見やノウハウで自治体を凌駕する民間企業に囲い込まれてしまうような状況が起きないとも限らないのです。

公共のために収集されたデータは誰のものか?

こうした懸念の結果は、Alphabet傘下のSidewalk Labsが提案したトロント市へのスマートシティプロジェクトが記憶に新しいでしょう。まさに未来都市を現実にするような具体的な提案が出されましたが、トロント市民は公共スペースから収集したデータをGoogleが所有するという考えに強く反対しました。

一般的に、街に投資をする企業は、投資をした以上、そのインフラストラクチャから収集されたデータは自社のものであると考えるでしょう。しかし、この考え方は根本的に間違っています。公共の場や目的で収集されたデータは、公共のもの(公共財)です。これは非常に大事な原則です。その上で、インフラに投資した企業に対し、どのように報酬を与えるかの検討を行うべきなのです。例えばそれは、限られた期間におけるデータへの排他的アクセス、または特定レベルの詳細への排他的権利によって実現されるといった考え方があるでしょう。

あるベンダー企業が「自動運転から空飛ぶ車まで、無料でなんでも実現します」と地方自治体に提案してきたら、担当者はついそれに乗りたくなるかもしれません。そのベンダー企業の目的がデータにあるとわかっていても、厳しい財政事情の中、住民サービスを充実させるためには、と考えてしまうのはわからないでもありません。財務的な持続可能性を担保していくことは、売り手/買い手双方にとって重要なテーマです。もちろん、民間企業も何らかのインセンティブがなければ、投資は行いませんし、それがなければ継続性もありません。公共の場や目的で収集されたデータは公共財であるという前提のもと、財政の持続可能性と公益のバランスをとりながらプロジェクトを請負うことになった会社への報酬の枠組みを作る必要があるのです。

個別最適=いつか壮大な無駄に?

日本は新たな政権が始まり、デジタル担当の大臣が任命された他、政府や都市のデジタル化についての議論が連日メディアを賑わせています。日本のデジタル化の遅れは周知のとおりです。

日本は最近までデジタル化の必要性があまりなかったといえるかもしれません。例えば、多くの手続きで未だに紙のやりとりも多いですが、事務処理能力の高さから、間違いがあまり起きてこなかった事もデジタル化が進まなかった一つの要因でしょう。ただ地方において、新しいチャレンジも始まっており、福岡市では自治体への申請等で国や県との共通の帳票等ではない限り、ハンコレスが完了したというニュースが話題になりましたし、加賀市においても、普及が全国的な課題となっているマイナンバーカードの普及率が58%を超える(9月末現在)など、様々な動きが出始めています。

こうした個別の仕組みのアップデートを進める一方で、自治体のDX化全体として忘れてはならないのは、「調達」の方法を変えていくことです。既存の自治体システムを前提として、バージョンアップを繰り返していく事を想定すれば、改修の範囲が少ない分、一見、投資コストは少なく見えますが、そのシステムをずっと使い続けなければならず、いわゆるベンダーロックインが発生します。せっかく多くの自治体で同時にデジタル化が進んでいるにもかかわらず、全体最適が図られない元凶はここにあるのです。一見、合理的に思える個別最適を、バラバラと進めていっても、スケールメリットにつながらないのです。この問題を解消していくには、全体で仕様を揃えて共同調達できるようにする、オープンな技術を活用して代替可能なシステムを構築していくといった方法が考えられますが、司令塔がないまま、個別最適なシステムを多くの自治体が選択していくことは、将来的に壮大な無駄に繋がっていく可能性が高いと考えられるでしょう。

G20 Global Smart Cities Alliance(GSCA)とは

こうした状況のなか、世界経済フォーラム第四次産業革命センターは、日本政府がG 20議長国の年にG20 Global Smart Cities Allianceという国際アライアンスの事務局という役割を拝命しました。

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これまで、多くの自治体がデジタル技術を実装していく中で、どのテクノロジー企業と提携するかという一種の都市間競争がありました。自治体のDXは、企業の観点から見ると巨大な新興市場です。ここで問題になるのは、グローバルベンダーに対する自治体の交渉力です。すでに多くの実績や知見をもつグローバルベンダーを相手に、地方自治体はどのように交渉を進めるべきなのでしょうか。

自治体規模の大小にかかわらず、コミュニティがデジタル革命の便益を享受するためには、システムの購入者である自治体がまずしっかり学ぶ必要があります。実際に何を、どのようなコストで手に入れてようとしているのか。過度のカスタマイズがないか。仕様をどう変えていけば効率的なのかをきちんと理解する必要があるのです。

ベンダーロックインを回避しながらデジタル投資に関する費用対効果を高めていくには、どの要素を標準化し、どの要素をカスタマイズするかを戦略的に決定する必要があります。GSCAの肝は、参画する都市がアイデア、経験、ベストプラクティスを共有できる一種の知識バンクになることです。十分な情報と知見を得たバイヤーは、世界のスマートシティ市場をより健康的かつ効率的にするでしょう。


倫理的なスマートシティ実装のための5原則

GSCAはスマートシティに関する技術の標準化団体ではありません。ただ倫理的なテクノロジー実装に必須となる考え方については「原則」として指針をだしています(下図参照)。

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なかでも特に重要なのは、「インターオペラビリティ」です。標準化とは画一的に互換性を持たせていくことを意味しますが、これは効率性に優れている一方で、イノベーションの余地を残しません。多くのデジタルテクノロジーはまだ発展段階にあります。つまり、完全に標準化するには時期尚早なのです。したがって現時点では、標準仕様のための調整に時間、コストをかけるより、都市Aで採用されたシステムをブラックボックス化せず、住民ニーズにあわせて都市BやCのシステムとも接続できるように、お互いに仕様を公開していくことが現実的な解として求められているのです。

日本からみた「インターオペラビリティ」の意味

このデジタル時代の新しい考え方は、日本という国にとって特に重要だと考えます。米国や中国のような大市場は、独自の基準を設定しても、投資を引き付けることができます。一方で、日本くらいの市場規模ではどうでしょう。それぞれの大国基準に合わせたシステムを複数準備し、常に受け身で対応していくのでしょうか。過去に多くの「ガラパゴス」スタイルの現地基準を採用し、多大な投資を回収できなかった日本にとって、「インターオペラビリティ」の推進がデジタル時代の生き残り施策であることは明らかでしょう。異なる価値感をもつプレイヤーがみな共存できるグローバル社会。それを可能にするグローバルなルールづくりを促進していく意味は大きいと考えています。

世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター
センター長 須賀千鶴
G20 Global Smart Cities Alliance(GSCA) 平山雄太

筆者紹介

須賀千鶴

平山雄太


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