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僕のミャンマー時代。

最近、『ミャンマー』って単語を耳にしませんか??ニュース、新聞、スマホ、、。
僕がミャンマーで働いていたのは、2018年6月~12月の6か月間です。既に2年以上前の話。時の流れは速い!!
そんな話題のミャンマーについて、少しお話をします。

そもそもミャンマーって??

きちんと書くと長くなるので、外務省ミャンマー基礎データをご覧ください。笑
東南アジアに位置し、人口はおよそ5000万人、国民の約90%が仏教徒(上座部仏教)の国です。首都はネーピドー(新首都2006年~)、国内最大都市はヤンゴン(~2006年旧首都)、僕がいたのはモーラミャイン(人口約30万人)で、「ミャンマー第3の都市」と言われる場所でした。
最近は開発発展が著しく、【ラストフロンティア】なんていわれて、ヤンゴンには建設中の高層ビルがたくさんありました。
これから『ミャンマー』の時代が来る、、、はずです。

シュエダゴンパゴダ

何をしていたかというと。

クオリー株式会社のミャンマー支社で、スタッフマネージメントをしておりました。スタッフの日本語サポートや、どのように作業をするかを一緒に考えて、できた仕事をお客様に渡す前に確認をして。「管理職」的なポジションでした。
とにかく苦労したのは、
『日本の会社だが、ミャンマーにあり、ミャンマー人が働く』
という、文化がミックスした状況で仕事をすること。遅刻常習犯がいたり、有休が取れなくてムキー!って来る人もいたり、でも仕事や日本語学習にはまじめで、いきなり歌ったりくだらない話をしながらご飯を食べたり。辛いこと(お腹が痛くなったり、蚊に刺さされたり、お腹痛くなってさらに発熱したり)もありましたが、半年間ミャンマーで生きてたのです。

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ミャンマーのひとたち。

色々な思い出があります。
『家族を大切にする』
→仕事終わりにご飯行こう!と誘っても、高確率で「家族で過ごすので帰ります」と断られます。それだけみんな家族想いなのです。
『めっちゃ写真撮る』
→セルフィーに全力を注ぎます。1人で、2人で、みんなで、、、納得のゆくまで撮ります。それだけ自分の魅力を残したいのです。
『毎日しっかりお祈りする』
→敬虔な仏教徒です。毎朝お祈りをする人がいたり、「観光に行こう!」と言ったら1日中パゴダ(寺院)リレーだったり。それだけ信念がしっかりしているのです。
『優しい』
→人前で怒ること(特に大声で)は”恥”であるという仏教の教えがあります。普段の生活でそのような場面に遭遇することはほぼ、ありません。
ミャンマー人が怒るということは、それだけ耐えらないことなのです。
『政治の話はしない』
→過去に政治の話(特に反政府的な発言)をすると、次の日から姿が消える、ということがあるような時代があったそうです。半年間滞在しましたが、一切政治の話をすることはありませんでした、というかできませんでした。ミャンマー人が政治的なムーブメントを起こすということは、相当な覚悟の上なのです。

チャイティーヨ

現在のミャンマー。

突如入ってきた”クーデター”の情報。愕然としました。ショックで、友人が心配で、しばらく仕事が手につきませんでした。そこから一気に広がる様々な情報。
『アウン・サン・スーチーが拘束された』『ネット、電話が不通状態となっている』『民主化への道は閉ざされた』『アウン・サン・スーチーは果たして民主主義者だったのか??』
確かにスー・チー氏の政治手腕は認めにくい点があります。開発経済の進め方や、難民問題については特に非難を浴びています。(スー・チー氏がうまくいかないように制定されている法律や憲法を軍政時代に作ったから、ということもあるかもしれませんが。)
しかし、です。どの国家であっても『武器を持っている人』が直接政権を握ることはとても認めることができません。
先述の通り、これだけミャンマー人が抗議活動をしているのは、ただ事じゃないのです。

スーレーパゴダ

おわりに。

このnoteはあくまで僕の経験に基づく内容です。正解ではありません。身近な人たちに、『ミャンマーってこんなところなんだ』って知ってもらえればいいな、そんな感じです。
さいごに。
私は、今回のクーデターに対し、強く抗議の意を表します。軍政が敷かれ、国民が戦々恐々と日常を過ごすなんて、そんなこと認められません。
一刻も早く、友人をはじめとするミャンマー人が安心して生活できるようになることを願っています。

カックー

挿入写真
ホーム画像『オフィス前で友人たちと撮影』
1枚目『シュエダゴンパゴダ』
2枚目『リバーサイドで友人たちと撮影』
3枚目『チャイティーヨパゴダ』
4枚目『スーレーパゴダ』
5枚目『カックー遺跡(パゴダ)』

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