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「エヴァの呪縛」から解放された新卒社会人

はじめに

この記事は、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観た感想9割考察1割のレポートになっております。

ネタバレを多大に含むため、未視聴の方は閲覧注意です。

なお、皆さんご存じの通りかと思いますが、本作も考察するには難解なシナリオとなっております。

あくまで、
・初見視聴
・パンフレット流し読み
したうえでの感想・考察であることをご容赦ください。(2021年3月8日現在)

また、取り急ぎここに思ったことをざっくばらんに書きなぐっているので、メモ書き程度に思っていただけると幸いです。
そのため、この記事は徐々に追記していく形にしたいと思います。

研究の備忘録のために作ったnoteアカウントをこういう使い方するとは思わなかった…

率直な感想

内容に触れる前に、映画を観終えた直後の感想としては「救済された」といったところでしょうか。

私は中学の頃、初めてこの作品に触れました。新劇場版シリーズは間違いなく私の青春の一部でした。
そして気づけば中学高校を卒業、1年の浪人を経て、今月大学を卒業し、来月からは社会人となります。

完全に思い込みではありますが、このタイミングでのエヴァ完結はすなわち私の青春の完結であることを暗示していると感じざるを得ませんでした。
私は「エヴァの呪縛」から解放されたのだと。

そしてタイトルにもある通り、本作をもって、ヱヴァンゲリヲン及びエヴァンゲリオンに関わってきたすべての人間が「エヴァの呪縛」から(一旦)解放されたのではないかと思います。
確かにエヴァシリーズは"終劇"となりました。

一旦、というのは、あくまで本作によって終わったのは庵野監督が描く3度目のエヴァで、エヴァがガンダムシリーズのように派生していくことを庵野監督も望まれているため、ifなどの派生作品が制作される可能性も大いに考えられるからです。
(あと、まだまだ考察し足りなくてTVシリーズから見直す人も少なくはないと思うので…)

それでは本題です。

感じたこと①:「人間の営み」を描いている

本作はパリの奪還から始まりますが、そのあと場面は一転して第3村での生活が映し出されます。

そこで描かれているのは、共同体や家族での生活であったり、生きるための知恵であったり…まさに人間の営みを直接的に表現していると感じました。

ちなみに、第3村ではそっくりさんことアヤナミレイ(仮称)がそういった営みを理解し受け入れていきますが、その中でもよく出てきた「風呂」。
風呂といえばあのシーンを連想したのではないかと思います。
シンジやアスカが初めてミサトの家にやってきたときです。

シンジやアスカはまともに親の愛情を受けていません。
そんな子どもたちに対してせめて親のように受け入れてあげようとするミサト。
「風呂は命の洗濯よ」なんて言っていましたね。

感じたこと②:これまでの作品との内面的な違い

これまでは傲慢や憎しみ、色欲など宗教的に言えば「大罪」とされるものを幾度となく痛感させられていました。

しかし本作では、「贖罪」というワードを何度も耳にします。
各々の持つ罪を受け入れ、贖おうと行動する様子が非常に目立っていました。
本作のテーマはここにあるのではないかと思います。


すみませんとりあえずここまでです。
引越で時間がなくて少しずつしか書けていません。
なるべくまとまった文章を出したいので…

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